始まりましたが

2017 年 1 月 23 日

アメリカ大統領の就任式などが終わって、新たな時代への取り組みが始まりました。同じ時期わが国も通常国会が開幕し、これからに向けて多くの審議がなされていくはずです。しかし、これら二つのニュースを見たり聞いたりしても、何かがしっくりしてきません。その要因は、大統領の就任演説も、わが国の首相の所信表明演説も、思っていることの羅列ではあっても、政策目標とは違っているからなのでしょう。自国の雇用を増大させるために、これまでのルールを変えて、隣国との付き合いを一方的に閉ざそうなどというのは、思いではあっても政策ではありません。事前のツイートの結果として、海外投資をせずに自国内に改めて投資をすると言い切った企業が出てきたことから、自分の主張は周囲に入れられて、国の方向が変えられると思い始めているのかもしれません。ところが、このような形で思いの結果を求めて行けば、どのようなところに行き着くのか、少し冷静に考えれば判ることでしょう。これまでのルールを破ることから、隣国との信頼関係が当然冷え始めます。最後には自国のことだけを考えて、ちゃぶ台返しもしてしまう大統領は交渉相手にふさわしくない、というレッテルが貼られて、国だけではなく、大統領のあり方自体が孤立化してしまうことになるでしょう。そのことは、自分たちの仲間だと集められた閣僚の間にも軋みを生み始めます。これを抑えようとすると、過去の多くの独裁者が犯した過ちに沈んで行ってしまいます。思いだけでは国家の運営などできないと間もなく知ることでしょう。翻って、この孤独化していくピエロについて行こうとしているわが国の首相は、アメリカの核の傘のにいる居心地の良さが失われて、どこへ導けばよいのか迷い始めるはずです。そのとき、戦前回帰をしてとんでもない方向に走ってしまわないよう、注意が必要です。所信表明の中で、「戦後70年経ったのだから、これからの70年を見越して新たな政策を生み出す」というわかったようで全く判っていないフレーズを口にしていました。70年前、第二次世界大戦を経験して、戦争の絶対悪を思い知ったことを、あのフレーズで消し去ろうとしています。とんでもないことです。憲法問題について議論することは、国家であれば当然ですが、その制定の経緯だけを論じて、だから変更しましよう、とか、だからそれ以前の明治憲法の趣旨に添いましょう、という見解は、見解としての意味さえありません。残念ながら、国会に占めている議員のほとんどの良識は、この判断をしてしまう水準以下です。議員になって地元に利益を誘導し、自身の名誉心も得られる、という程度の政治ゴロが過半です。そけらの人数比の上に国会が運営されている現状ですから、過大な期待は持っても無理なことです。
先行きが見えないだけではなく、多くの人の不幸を招いてしまいかねない動きが始まったようです。これまで以上に気を付けて監視しなければなりません。決して愉快なことではありませんけれど。

自然災害を大きくさせないために

2017 年 1 月 20 日

この一年も、自然災害と呼ばれる災害がわが国を襲うことは避けられないことでしょう。そもそも自然の中で暮らさなければならない私たちにとって、災害をもたらすような現象と向かい合わなければいけないのは当然のことですから。しかし、昨年の自然災害を振り返ってみても、向かい合い方が不十分であったために、災害を大きくしてしまった事例がいくつか見られます。例えば、岩手県で発生した台風の襲来に伴うグループホームの被災です。岩手県や北海道は、これまでの台風被害は、西日本に上陸した後やって来る場合がほとんどでした。ところが、昨年の台風がたどったコースはこれまでに例がほとんどない直撃だったのです。ですから、現地にいた町長たちも、これほど一気に川の水が増えると予測しきれませんでした。その結果、濁流がグループホームを襲ったときには、救出の手立てを失ってしまっていたのでした。また、北海道の被災状況も、これほどの新鮮な台風が来ることは組み込まれていなかったために、予想以上のこととなってしまいました。今年も、台風のコースや強さなど、過去からだけでは予想できないようなことが起きてしまうかもしれません。もちろん、地震にせよ火山噴火にせよ、人類が直接遭遇した災害をはるかに超えた災害があったことは、残されている多くの事実から推定できます。東北大震災の後で、地震学者が総て反省ていたことを思い出してください。あの大震災規模の地震がおよそ1000年前に発生した事実は知りながら、地震学者のほとんどが、近いうちに発生するであろう東海地震などの予測に注力して、結果として大規模な地震の発生予測をしていなかったことへの反省でした。一方で、あの大震災の恐ろしさを経験したことが、昨年の熊本地震対応にどう活かされたでしょうか。最初の大きな地震の後は、次第に収まっていく余震となる、という経験則が覆った熊本地震でした。このように、自然災害の発生パターンそのものだけでも、人知が及ばないことはたくさんあるのです。東北大震災の被害を大きくしてしまった「原発神話」の問題など、どこかに忘れてしまったようなわが国のはしゃぎ方には強い違和感を覚えます。あの時出された事故調査委員会が指摘した「人災」との内容を政府はもっと謙虚に受け止めるべきです。原子力発電所の再起動がなければ、復興費用が捻出できない、というようないい加減なストーリーを先に書いてはいけません。
このように、今年の自然災害への思いを記してみると、現在の大きな課題が包まれているように見えてしまいます。人の命が損なわれることが少しでも減ぜられるよう願いながら。

ニューモンロー主義への脱皮を

2017 年 1 月 19 日

アメリカの新大統領となるトランプ氏は、自分が望ましいニュースに対しては正当性を主張し、自分を批判するような内容に対しては、ニュースそのものの正当性を否定するという、ある意味判りやすい対応をしています。ただし、そのことがどこかで破綻するであろうことは、周囲の人たちも恐れながら見守っていることでしよう。いくらなんでも、記者会見の席で、反対の見解を集約した記者に対し、余りにも無作法な態度を示しましたから、どう見てもアメリカ合衆国の大統領にはふさわしくないものと、世界全体が見ています。彼の主張である保護主義的な施策は、かつてアメリカが進めていた世界の保安官である、という自負の主張と相容れない面があります。そこの矛盾を克服する施策となるとすれば、ニューモンロー主義を打ち出すのが妥当ではないかと考えます。これまで世界の保安官気取りで、海外に駐留してきた軍隊を、割に合わない務めだと放棄して、ひたすら自国のことだけを考えていくことです。世界の中で、アメリカにとって不愉快なことが起ころうとも、他所のことだからと悟った行動に出ることです。このような自国の行動規範変更を宣言していくなら、今やろうとしている国内雇用の確保の話とバランスが取れることでしょう。当然そうなって来ると、アメリカとの同盟関係を前面に打ち出している国(当然わが国も含まれます)は、頼りににしていた軍事力が離れてしまうことになるでしょう。その隙に中国が大きい顔をして西太平洋をわがもの顔で君臨し始めるかもしれません。しかし、軍事力を背景に自国を有利に導こうとする意図は、決して永続性を持ちません。軍事力を維持し続けようとすることで、結局その国の経済的基盤が揺らいでしまうからです。20世紀の大きな試みであったソ連が崩壊して行ったのも、その現象だと言えます。他国に脅威を及ぼして上前を撥ねるような国家運営には、そもそも無理があるからです。
ですから、今トランプ氏が主張していることを実行するとすれば、かつてアメリカが標榜していた「モンロー主義」の21世紀版に挑戦するのが唯一ともいえる道筋です。果たして彼のブレーンの中に、そのことを整理して政策化できる人材がいるでしょうか。そのような道以外に彼の主張を述べ続ければ、結局世界史から葬り去られるよりほかないでしょう。中国も力による主張の限界を近いうちに知らされることでしょう。
世界全体がもっと穏やかな発想の中で生きて行くことを探らなければいけません。やたら、勇ましいことを述べてみても、尊敬されない意見であれば、決して長続きはしないのですから。

通常国会の開会を前に

2017 年 1 月 17 日

アメリカで新しい大統領が就任する日、わが国では通常国会が開会となります。議席数に圧倒的な差があることから、与党側はなんでも押し通せると思い込んでいるようです。事実、最近の国会審議の経過を見ると、反対の意見など簡単に封じ込められてきました。年金カット法が、いつの間にか、世代間の公平性をもたらすものと評価されていますが、真実はもっと違っています。この程度の調整では世代間の格差はとても埋められません。本来であれば、年金の制度設計のどこに問題があり、どのような解決策が必要なのか、もっと根源的な議論が巻き起こらなければならない課題でした。それを、この程度の姑息な法律で手当てしてみたところで、破綻に向かっていくことは防ぎようがありません。野党も、年金カットと言う一面だけでなく、年金制度そのものが不安定化してしまう課題を、もっと指摘し続けるべきだと思います。そのために必要なさまざまな数字を国民全体に示していくべきです。たしかに、細かい数字を並べられれば、国民すべてが理解するのは困難かもしれませんが、その理解をうまく進めるには、報道機関の記者たちの知恵が必要となることでしょう。そのようにして、将来不安を取り除くとともに、現在の受給者と将来の受給者とが、ともに納得いくシステムを作り上げれば良いのです。ここでは、年金の問題に関して述べましたが、再提案されようとしている「共謀罪」に関しても、テロ対策であるなら、謀議の対象もテロに絞る法律とすべきです。何やらおかみに盾突くようなことをことを話しただけで弾圧される、というような恐れを排しなければいけません。ところが、現与党は、おかみに逆らう人を生贄的に絞り出して社会から排除したいという感覚を持っているようです。そのことは、民主主義とは全く反する感情です。マスコミもこのあたりの問題点を解読していく責任があります。一旦出来上がってしまった法律は、決定した時の議会の意思とは別に動き始めてしまうのですから。
十分な審議をと、口にしながらそのための努力をしようとしない首相の行動に厳しく目を注ぎつつ、国会の開会を待っています。

豊洲市場問題について

2017 年 1 月 15 日

築地からの移転先として建設が進んでいた豊洲市場が、その目的に照らして大丈夫な環境にあるのかどうか、注目されています。この問題が明らかにされたのは、他の問題で辞任した前知事の不祥事があったからでした。ところが、明らかになって来た内容から言えば、都議会なり関係者なりから、もっと以前に指摘されていても不思議ではない事項なのです。土壌汚染が言われるような場所に市場を移転すること自体に問題の一因があったとは、誰もが思うことです。この課題を克服するようにと「盛土」を採用するようにと委員会からの方針が示されたにも関わらず、全面盛土とはせずに、建物の地下を空間にしてしまう施工が行われてしまったのでした。その地下部分に溜まっている水から汚染物質が検出されています。前回の分析結果に対し、専門家は「この水を飲むわけではないのだから、分析値の程度であれば問題はない」と述べていました。ところが、昨日発表された数値は、前回の分析値よりはるかに高い結果を示しており、さすがに専門家も問題のない範囲である、とは言い切れませんでした。工法を勝手に変えたことのために、このような結果となってしまったのか、今後も分析を重ねて明らかにすべきことがあります。その場合、豊洲移転そのものを断念する覚悟か、あるいは現在建ててしまったビルを全面的に撤去してやりかえるような覚悟まで、東京都には求められているのだと思います。それほどまでに、過去の隠蔽体質が不健全であったのだと筆者は思っています。水質基準が飲用に供されるという前提で定められたものであるから、専門家が述べていたことに嘘は無かったのだと思いたいのですが、分析値がこれほどまでになって来ると、施工法を代えてしまったことのいい加減さがあったのだと、追求したくなります。
もうひとつ、昨日の会見の中で見過ごせないことがあります。「今回は、以前とは違う分析機関に委ねたから、そこに問題がある」と言ったり、「次回は我々(有識者と言われているグループ)も参加して分析したい」という言葉です。たしかに、かなり専門的な分析手法が求められるものではありますが、自分が直接分析したものでないから信用しきれない、という言い振りからは、科学者の信念が感じられないのです。「私が分析者であったなら、問題視されないデータを作りましたよ」と言わんばかりの驕りが見られるのです。どこの業者に依頼しようが、そこには、環境分析責任者がいるはずです。多少の誤差はあるにしても、結果に対しこのような不信感を示す余地は、そもそも無いはずなのです。それをこのような発言が出てくること自体、委員会そのものが隠蔽体質にあるのだと言われてしまいかねません。
以前本欄でも指摘たことですが。このような事実があるのに、知事が交代していなければ、豊洲の落成式やそこへの移転が進んでしまったのかと思うと、許せない気持ちでいっぱいになります。

平成の変の終焉がこれか

2017 年 1 月 12 日

天皇陛下のお気持ちが伝えられた後、スムーズな退位がどのように行えるものか、有識者による協議などが続けられています。その結論の一つとなるのでしょうか、あと2年弱で皇太子殿下に譲位される案が浮上してきました。それは一つの形式ではあると思います。ただ、このような形式の話が先行してしまうと、国民が望んでいる本当のスムーズさや、これまでの天皇陛下の行為に対する敬愛の情が、正しく活かされるのかやや不安も感じます。
本日の話題は、本欄では「平成の変」として、国会のねじれ現象の下、決められない国会と、先送り体質の中の国債の肥大化などについて、これで良い訳がないと述べてきました。その結果に対する思いの整理です。民主党政権の崩壊の後、ねじれ現象が消えて行くとともに、決められる国会、審議を重んじない国会が出来上がってしまっています。たしかに、筆者が平成の変と呼んで問題視した事態から変わっているのは確かです。だからと言って、このことが民主主義国家であるわが国にとって望ましいかどうかは疑問です。疑問と言うより、明らかに間違っています。そのうえ、この流れの上に憲法の改正(筆者は現政権が行おうとしている内容は改悪だと感じています)まで進めようとしています。このような事態を国民が本当に待ち望んでいたのでしょうか。報道の中立を求めるとして、批判する力を奪ってしまったことが、歴史の中でやがてとんでもなかったことだと総括されることでしょう。そのような報道機関の翼賛体制を作り上げつつ、とんでもない国にしてしまおうとしているように見えてなりません。おりしも、海外でも自国中心主義だけが力を得ているように見えます。もともとは、大国と呼ばれる国が、他国への干渉の中で「難民」の発生を無理じいし、その難民の現象が国家の壁を高くさせているのです。広い視野を持てなくなってきている国家は、他国との関係の中に「敵意」を作り出して、自国の主張の正しさを強調します。このような不寛容な動きが地球全体を覆ってしまいそうです。世界を俯瞰する外交などと言葉だけに酔っていても、現実はこのようなとんでもない方向に進んでしまいそうなのです。
まだ間に合うはずです。間に合わせなればいけません。改めて、戦争の悲惨さと、その絶対悪を噛みしめて、新年号が広がるときまでには、世界全体が調和ある展開にできるように切り替えなければいけません。不寛容な言葉で自国国民を煽るような指導者をこれ以上増やしてはいけません。平成の変の総括と、これからの時代に向けて、強い決意を国民一人一人が持つことを切に望むものです。

小池都知事に期待すること

2017 年 1 月 10 日

昨年の都知事選挙では、自民党の推薦する候補者を圧倒的に引き離して勝利した小池新都知事でした。その新都知事に、本欄では着任直後に期待を一度述べたことがありました。その後の豊洲市場問題、オリンピック会場問題などで発揮された対応は、筆者の思いと通じるところが多々ありました。都政をもっと透明化して、都民が中身を検討できる状態にすること、これは成果を挙げつつあると考えます。その一方で、本欄は、議会から可能な限り政治ゴロを排除することを求めました。都の予算が正しく執行されるかどうかより、政治ゴロは予算を利用して自分の周りに利益誘導をすることに強い関心を示して、都政全体のことなど全く考えていません。これは、東京都だけの話ではなく、国会に関しても似たような種族がはびこっています。口先では、国民の為と言いながら、実際には社会に対する「たかり」でしかないような人たちです。『正しいことだけをやっていたのでは政治家に馴れない』、と平然と口にした元TPP担当大臣のような人格の持ち主です。このような種族を排除していかなければ、わが国の政治に未来は描けません。国家全体のバランスを見ながら、予算はいかにあるべきかを考えられる人を議員としなければならないのです。それは、思想が右だとか、左だとか言う以前の問題です。そのような人たちが議員になって初めて、議会が浄化されるのです。小池知事が議員候補者を獲得しようと政治塾を始めようとしていますが、聞くところによると、期待できる人材がほとんどいないのだそうです。自分が当選したくて、小池知事にすり寄るような卑屈な人間ばかりが塾に押し寄せているのだそうです。これは困ったことですが、違う見方をすれば、わが国の民主主義の底の浅さを見せつけられているのかもしれません。政治ゴロが選挙戦を有利に戦いためだけに小池知事に近づいているというのは、とんでもないブラックユーモアのようです。
熟の公募で数千人が知事に接近しても、そのような人しか得られないのは、とても嘆かわしいことです。遠い昔、市川房江さんが主張していた「出たい人より出したい人を」にふさわしい人が少しでもいてくれることを望みます。また、小池知事は、その判別を正しく実行してほしいと期待しているのです。
誰でも自分がかわいいと言いますが、それ以上に公の心を持っている人も決していないわけではないと信じたいのです。

慰安婦問題のくすぶり

2017 年 1 月 7 日

在韓国の日本大使を急遽帰国させるほどの事態になっている「慰安婦問題」は、一昨年暮れに日韓の間で解決策がすでに決定しているものです。そのときに強調されたのが、「不可逆的な」ということばでした。もう蒸し返しませんよ、という両国の合意だったわけです。ところが、今回韓国の大統領不信任の動きとともに、一昨年暮れの合意も破棄させたい、という動きが韓国の中で活発化しているように見えます。たしかに、あれほど「不可逆的に」を加えなければならなかったのは、この案件に対する韓国民の非難の意見が深く、強かったからでしょう。しかし、歴史を作っていくためには、過去の案件にこだわり続けていては前に向けないと考え、一昨年暮れの合意に達していたのだと考えられます。それはそれで当然正しいと思いますが、わが国の中のある勢力は、この合意ができたのだから慰安婦そのものがなかったのだ、という見解をやたら強め始めてしまったのも、残念ながら現実としてあります。そのような刺激的な行為をする人たちがわが国の中で勢力を拡大していけば、韓国内に反発する人が増えてくるのは当然です。「不可逆的に」をかぶせ付け加えたことを、将来に対する責任として謙虚に考え続ける必要があると、わが国のその勢力の人たちに対しては伝えなければなりません。戦前および戦時中における植民地支配を受けた人たちの心の中に被害があったことは、わが国に現在生きている人たち総てが知らなければいけないことです。「不可逆的に」という言葉で、この過去を免責できないことくらいは、現在の首相でも理解できるはずです。
人は皆歴史の中に生きています。その過去に於いて、消し去ってしまいたいような案件が存在しているのはたしかです。植民地支配構造などは、かなり一方的ですから、お互いの心の中に複雑な思いが今でも残っているはずです。そのことを、どう克服して将来図を描いて行けるのか、望ましい提案を考え出す立場にいるのが「政治家」であるはずです。心の傷を煽って、将来不安を招こうとするのは政治家がやってはいけない禁じ手です。ところが、この禁じ手を口にすると大衆が迎合するものですから、どこの国でも最近、このような大衆受けをする政治家の勢力が台頭し始めています。嘆かわしいことです。
新年にあたり、世界平和を求めるためにも、大衆こそが冷静に歴史を見つめ直してほしいと強く願っています。そしてまた、報道機関は、そのような冷静さを導くような報道姿勢を貫いてほしいと強く求めるものです。

手の平を反すような

2017 年 1 月 6 日

新春恒例の今年を占う様々な専門家の論評が報道機関から伝えられます。この中で、とても納得できないのは、アメリカの次期大統領であるトランプ氏に対する評価が以前とはまるで異なっていることです。たしかに、これからおつきあいをしなければならないのですから、あの暴言を暴言とだけ言っていたのでは話が進まないのは確かです。だからと言って、彼が主張することが全体として矛盾なく実行できるものだという点に関しほとんどの人は検証をしないまま、褒め称えるばかりです。法人税の減税と、軍事費の拡大が、果たして予算に組み込めるでしょうか。組み込んだ場合、他の予算が滅茶苦茶になってしまわないでしょうか。温暖化ガスの削減に対しては、会議で行われた議論の方が間違いだから、パリ協定など糞くらえだ、とばかりに放言していますが、このままで世界と普通に話ができると思っているのでしょうか。きっとアメリカの環境関係の予算は削られてしまうことでしょう。それで通用すると考えているとしたら、国内からも痛烈な批判が出てくることでしょう。それは、共和党とか民主党というくくりの問題でなく、科学的根拠を貶める政策に対するブーイングとなることでしょう。そのような当然の揺り戻しが出てくるはずであるのに、まるでそのようなことを忘れて、トランプ氏の主張に迎合するだけの財界人や政界人のインタビューを聞くと、この国のいい加減さに腹が立つばかりです。選挙前の予測と、予想外となった結果とで、これほどまでにスタンスを変更できる変わり身の速さに呆れます。市場で株価が上昇しているからと、その動きに乗せられて、批判を封じられてしまっている評論家たちの底の浅さを指摘したい。
それにしても、不寛容な言葉を次々と吐いて、その延長上で国を運営できると考えているのでしょうか。わが国がもたもたしている間に、いつの間にか頭越しにアメリカとロシアが手を結んで、世界を両大国で分け合うような無理を強行してくないでしょうか。心配は尽きません。いつの間にか我がまま勝手に振る舞う両大国に対し、抵抗勢力の動きが悪い意味で活発になってしまうことを懼れます。
イギリスが離脱するEUの今後についても楽観できないものを感じます。アリとキリギリスと全く異なる発想の国々が提携することに、そもそも間違いがあったのでしょうか。それとも、共同体意識のどこかに甘えが潜んでいたのでしょうか。この共同体の将来が見通せなくなっていることは、世界全体を不安定に導いてしまいそうです。
もっと心配なことは、いつの間にか、戦争は絶対悪であるという共通の理解が消されて行ってしまうことです。
新年も、あきらめることなく、声を挙げていく必要があるのでしょう。

正月休みは駅伝観戦

2017 年 1 月 4 日

今年も正月は積極的な外出をすることもなく、テレビの前で駅伝観戦をしして過ごしました。元旦の実業団駅伝は、力の似通ったチームがいくつかありましたから、抜きつ抜かれつのレースを期待していました。結果的には、双子の兄弟が二組という旭化成が競り合いから抜け出して久しぶりの優勝となりました。優勝した旭化成は、二区のインターナショナル区間も外国人選手を起用せず(チームに外国人が在籍していないので)一旦順位を落としたものの、その後区間賞を獲得する選手が続き、安定した力を示しました。何より、今回のチームの戦力強化に貢献した二組の双子選手たちが、マラソンを目指してトレーニングしていると聞いて、頼もしく思いました。駅伝を最終目標にしてしまっているようなチームが多かったことが、わが国のマラソンの低迷に引きずり込んだ原因ではないかと疑っていますから、今年の旭化成チームのように、マラソンを狙ったトレーニングをしていて、その結果が優勝につながったのだとしたら、わが国のマラソンの低迷から立ち直るきっかれにできるのではないかと思うからです。マラソントレーニングは、決して半端なものではありません。一つ間違えれば故障を招いてしまう恐れもあります。だからトレーニングしないのではなくて、その厳しさに立ち向かっていって、その成果の上に優勝を勝ち得たのですから、称えたいと思います。たしかに、この双子の兄弟二組が一気に一つのチームに入ったので、力が違いすぎますよと、他のチームの監督が嘆いたかもしれません。しかし、関係者は、昔宗兄弟が双子で活躍していたイメージが強かったので、就職先に選んだというようなことを言っています。それは、過去の実績があったからこそなのでしょう。この優勝に酔うことなく、この冬のシーズンで、マラソントレーニングの成果を発揮してほしいと願っています。
一方、箱根駅伝は、同様に学生時代からマラソンに挑戦することを勧めている青山学院大学が選手層の厚さと、トレーニング法の自信から、段違いの強さを見せました。他の大学もそれなりの力を持っていましたが、10人を揃え切った青山学院大学には及びませんでした。この冬のマラソンシーズンに、学生ランナーが沢山出場し、好記録をたたき出してほしいものです。ただ、大学駅伝が、箱根に偏り過ぎて、他の地域の大学に選手の関心が向かなくなっているように見えるのは決して望ましいことではないと思います。大学の売名行為に長距離ランナーが力を貸していることには、賛成できませんから。
駅伝で実績を作ってからマラソンに挑むのではなく、若いうちにマラソンを走って、自信を付けていくことの方がよほど大切なことなのです。
駅伝中継のコマーシャルの間に、時々ドラマ「下町ロケット」に切り替えて、感動させてもらいました。