桜満開

2015 年 3 月 31 日

首都圏では桜の開花が宣言されてからも、暖かい日が続いて、一気に満開を迎えています。近くの学校の校庭には桜が植えられています。見事と言いたいのですが、残念ながら無理に枝を切られた株が多く、満開を確認はできても、なぜか納得感が足りません。植樹の時は小さな苗でしたから、距離を置かないでもと考えたのでしょう。ところが、大きくなってくると、隣の樹と競ってしまったり、張ってあるネットにぶつかってしまって、形が悪くなるほど枝を落とされてしまっています。以前本欄では、このようにゆがんだ姿になった桜が、育っていく中学生を象徴することのないようにと、気遣った文を乗せたことがあります。植樹から適宜間引くなど、もっと一貫性のある緑地管理をすれば良いのにと、思うばかりです。
ただ、学校の片側を川が流れていて、こちら向きの枝だけは、伸び伸びと枝を張っています。枝の姿と、水に映えることで、こちらは矢張り見事になっています。日本の学校では桜を植えるのが定番です。これから実施する人たちは、桜の特性を十分考慮して、生徒たちと同様、伸び伸びと大きくさせてほしいものです。
どこか見に行かなければならない、という気持ちも持ちますが、無理をしてまでも人混みには、と躊躇しています。4年前、吉野の桜を企画しましたが、大震災があって、あきらめた覚えがあります。不思議なもので、再び計画を立てることもありません。
また来年も、この桜が咲く季節特有の、心の動きを感じられるのでしょうか。

アメリカの意向

2015 年 3 月 30 日

現在の憲法が存在しているにも関わらず、集団的自衛権の行使容認を西武が閣議決定してから9か月近くが過ぎました。この閣議決定は、アメリカからの要請が強かったためであろうと、その後の報道から感じられます。世界の警察を気取っていたアメリカも、財政事情などからすべてに対応することができなくなってきて、日本に一部の代替を求めてきたことが、性急な閣議決定をもたらしたのでしょう。そして、このアメリカからの圧力に、与党全体が抵抗できないまま、国内に対しては、不十分な情報提供しかなく、仕方がないという諦め感が強くなってきているように見られます。しかし、このアメリカへの協力に対して、微妙に日米間で思惑が違っているようです。日本は、中国からのさまざまな嫌がらせなどに対しても、日米安保で解決してほしいと期待していますが、アメリカは違った見方をしています。隣国との協調は、当該国の外交交渉で解決すべきことで、アメリカに頼られても、と戸惑っています。反対に、アメリカは、日本の軍事力を、現在最もきな臭い中東諸国にも及ぼしてほしいと、対象地域の拡大を求め始めています。ですから、集団的自衛権を議論していた国会質疑の内容までもが、自然に対象を拡大させているのです。望ましいことではありません。第一、このような国家の重要な選択の変更が、これまでのような手続きで済ませてしまうことが、民主主義を踏みにじることなのです。
与党へのアメリカからの圧力は、目に見えない形で、深く浸透しているようにも見えます。なぜなら、このような国の選択に関しては、与党内の良識派と呼ばれる人たちが、まず異議を唱えるのが一般だったからです。その良識派の立場の人が、テレビの討論の中で、与党内からのブレーキはもう掛けられないでしょう、と言っていました。
現政権が、このような歴史的課題を、このように安直に対処してしまうことは許されることと思えません。アメリカの思惑と、日本の政権の期待との違いにもっとしっかり気づくべきなのです。

国民は見ている知っている

2015 年 3 月 27 日

昨年暮れの沖縄県知事選挙で、中央政府が推した候補を破って、米軍基地移転に反対する知事が生まれました。選挙期間中、中央政府が推薦する候補者に対し、甘い言葉で誘ったにもかかわらず、沖縄県民は、対立候補に軍配を上げたのでした。その後、新知事が上京した折など、首相との面談を意識的に回避するなど、政権は大人げない対応を続けました。それは、近隣諸国とのエチケット外交さえボイコットしてきた行為にも似た小児病的な対応でした。その一方で基地移転を進める作業に力を注いでいましたが、その作業の中で海洋にアンカーとして入れたブロック塊が、サンゴ礁を破壊したり、そもそもの範囲を超えておかれてきたことが判明しました。これに対し、沖縄県知事は、作業の停止を求めています。
沖縄防衛局は、これに対し、管轄である農林水産省に裁定を仰いで、作業の強行を計る意図を示しています。少なくとも、新たな知事が就任し、現政権とは異なる主張をしていることに対しては、謙虚に耳を傾けるべきでしょう。ところが、いつの頃からか、現政権は、自分と異なる主張をする人に対し、権力をかさに着て、無視する行動をとってきました。この対立の先は、国民の多くが望まない結果に突き進んでいるかのようです。最後は、裁判所は常に行政に対し臆病だから、政府の主張が通るはずだと考えているのかもしれません。でも、そのような時代の突破の仕方は、決して健全なものではありませんから、さまざまな歪を将来に対しても残してしまうことでしょう。
困ったことです。首相官邸の小児病的行動は、国民全体が見ています。そして、どちらが正しいものかも、見ています。そろそろ、あの官房長官談話でごまかすような策は収めてほしいものです。

桜前線

2015 年 3 月 24 日

暖かい日が続き、桜開花の便りが南の方から順に伝えられています。若いころは桜を見てもあまり感激はしませんでしたが、いつのころからか、桜を見て春を強く感じつつ、なぜか人生の無常も思うようになりました。筆者の周辺にも、他界する人が増えてきています。それぞれの方の過ごしてきたことを思えば、ただ嘆くだけではなく、共に過ごせた時間を大切なものだったと、感慨にふけってしまいます。人との出会いは偶然に過ぎないのでしょうが、その偶然が醸し出す「身の回り感」が、その人にとって、とても大切なこととして記録されていくのです。触れ合うことができなかった人には、恋することさえできないのですから、この偶然の持つ不思議さを、なんとすれば良いのでしょうか。
偶然の中で所帯を持ち、子供を育てて、いつの間にか、子や孫に煽られる生活になっています。それが、連綿と続いて行くのですから、不思議なことです。そんな人々の営みを超越するように、春が来て桜が咲くのです。いつ咲くものかと見守っていたのが、咲き始めれば散らずにいてほしいと願い、人は勝手なものです。そんな勝手な思いを嗤うかのように、風を伴う雨でも降れば、桜はすぐに過去になってしまうのです。
桜は、卒業、入学の時期とも重なっているので、それが一層無常観を強めるのかもしれません。昔、恩師がクラスの文集に寄せた一言が今でも強く印象に残っています。「このクラスのメンバーで、ああでもない、こうでもないと過ごしてきたけれど、今日の終業式を過ぎれば、二度と全員が集まることはないでしょう。それだけ、今までが皆にとって、とても貴重なことだったのです」この言葉に込められていた同級生であったとということへのこだわりが、今でも胸に熱く思われるのです。

集団的自衛権行使に関する暴走状態について

2015 年 3 月 22 日

昨年の閣議で、集団的自衛権行使を容認する決定がなされました。そのこと自体、現憲法の下、正しい判断とは思えません。ところが、この閣議決定に基づいて、安全保障関係の法整備が言われている中、話がどんどんエスカレートしていることを危惧しています。あたかも、日本の自衛隊が、世界の警察を名乗るかのような行動まで積極的に認めていこう、とする論調が際立ってきています。国際問題がきな臭さを増してきているから、という与党側の判断ですが、きな臭さを日常的に防ぐための手段を全く講じようとはせずに、軍事部門だけの検討を進めている現政権の姿勢には、疑問を持たざるを得ません。
尖閣諸島に侵入してきたり、小笠原諸島でサンゴを密漁させたり、という隣国の態度は極めて不快ですし、抗議しなければならいことは強く抗議するべきだと思います。しかし、そのような事象の解決には武力しかありえない、と短絡的に考えている現政権の将来選択が、国民を不幸に導いてしまうものと恐れています。本欄でも再三指摘しているように、軍事力が肥大化してきた現在、ほとんどの戦争行為は、国際法に反しています。それにも拘わらず、このような行為をわが国も行っていくのだ、とする判断は許せません。というより、戦争行為を前提としてしまった国家の運営の先には、悲劇しか待ち構えていないでしょう。終戦を迎えて、平和国家への選択をしたわが国は、これまでそれに相応しい行動をとってきました。それをあざ笑おうとする隣国がいたとしても、こちらも同等の判断しかしないとするのでは、まったく国家としての進歩がないことにしかなりません。
さらに現政権が、批判的な記事を取り上げることに対して、怪しげな牽制を掛けたために、ほとんどのマスコミは翼賛記事しか書かなくなっています。こんないい加減なことで、時代を改悪していくのかと、不思議な思いがめぐります。

世界カーリング選手権

2015 年 3 月 20 日

札幌で開かれている世界カーリング選手権、日本女子は決勝トーナメントには進めませんでしたが、強豪国に対してもそれなりの戦いをして、楽しませてくれました。これだけ見続けたのは初めてでしたので、思わぬ感激をしたところもありました。ストーンが並んでいく経過は、隠されている作戦なども読み取れて、とても興味深いものです。あれだけ遠くのところに、思い通りに投げることの難しさと、それを克服する技術、さらには、途中で機転を利かせて作戦を変更する読みには敬服します。それでも、きわめて一般的な評価をすると、いかに失敗を防げるかどうかが、勝利を決めることとなのだと知りました。
結構長い試合ですけれど、見飽きませんでした。選手の心の揺れが微妙に反映されますから、スポーツとしても面白さが増します。氷の上のスポーツで、誰もが楽しめるものではなくても、見るだけで納得できるものです。世界各国と言っても、どうしても限定的になってしまいますが、これからもう少し競技人口が増えてくれば、国内の大会ももっと活発になるはずです。スポンサーをうまく見つけないと、会場の準備などに結構費用が掛かるのかもしれませんが。
これから暖かくなっていくと、屋外のスポーツもより活発に行われるでしょう。強いだけでなく、フェアなプレーで楽しませてほしいと思っています。

核兵器使用の現実性について

2015 年 3 月 18 日

ロシアのプーチン大統領が昨年のクリミア併合の事態で、核兵器の使用も検討していたと伝えられています。部分的だとかなんとか理屈をつけようが、大量破壊兵器である核兵器を使用することは、現在国際的に受け入れられている法に反することは明確です。それでも、大国の理論では、持っているものを使って自国の主張を遂げたいと考えるのでしょう。実際に核兵器が使われてしまった場合、人類は取り返しのつかない災難を受けることになるでしょう。広島、長崎で日本人を相手に核兵器使用をした連合国は、いまだその責任をとることもなく、世界に君臨し続けています。勝ったもの勝ち(当然のフレーズですね)の世界史の中では、法を破ってでも、勝者になればすべてを免れると考えられてしまっているようです。大国の首脳の頭の中には、核兵器を、万一使用してしまった後の、悲惨な光景が思い浮かばないのでしょうか。
まるで、世界全体を国盗りゲームのような感覚で見ている大国の首脳陣は、兵器を使用する場所に普通に暮らしている人がいることを理解できないのでしょうか。現在でも、ウクライナ東部など、一般の人たちの日常は狂わされてしまっています。大国のメンツより本当はもっと尊重されなければいけない、市民の平和な生活が脅かされています。
翻って、わが国が集団自衛権の行使を、現憲法の下で使うことができる、という憲法学者がいるのでしょうか。ひとりもいないでしょう。平和憲法を平然と蹂躙して歴史を作ろうとしている勢力が存在していること自体が、わが国の汚点です。もし、そのような行動をとれるようにしたいのなら、憲法の改正を正面から取り上げるべきです。アベノミクスという通貨の過剰発行政策の矛盾は、まもなく表面化することでしょう。

競歩で世界新記録樹立

2015 年 3 月 16 日

日本のマラソン界が世界から大きく取り残されてしまっている現在、久しぶりに日本人が競歩で世界記録を樹立したと、うれしい報道がありました。日本の陸上競技界の中で、競歩はどちらかと言えばマイナーな扱いをされて、競技人口も少なかったと言えます。競歩の選手が練習していると、見ていた子供たちが「急ぐのなら走った方が早いのでは」とアドバイスしたというエピソードがあるほどです。それでも、長年にわたって、競歩人口を高めるための努力が重ねられ、ようやく近年は世界と太刀打ちできる状態になってきました。昨日の20kmのコースは、2kmを十周するものでしたから、ペースもつかみやすく良い結果に結びついたのでしょう。
新記録を樹立した選手が、「この競技にはまだアフリカの選手が挑戦してこないので、今のうちに」という冗談とも本音ともとれる発言をしていました。それよりも、マラソン界もアフリカ勢に負けない競技力をつけることが大事なのでしょう。自然に高地トレーニングができる国の人たちとも対等に戦える方法はあるはずです。諦めないで、マラソン界もぜひ奮起してほしいと、競歩の世界記録のニュースに触れて思ったものでした。
競歩の大会を誘致している自治体が何箇所かあります。このような支援をしてくださった自治体にとっても、このニュースは明るいものでしょう。とかく正月の駅伝にばかり目が行きがちな長距離競走も地道な選手の発掘が求められているのかもしれません。
世界の中ですから、またライバルがこの記録を目指して挑んで来るはずです。迎え撃って、さらに記録が伸びることを期待しています。

国家予算の示すもの

2015 年 3 月 14 日

衆議院の予算委員会で質疑されたことの多くは、予算の中味にかかわるものではなく、政治家とお金の問題だったような気がします。本欄では、随分前から指摘していますが、このような不健全な内容の予算を提出する政府も、審議する議会も、ともに将来に対する責任を持てていないと強く感じています。それは、もう20年余り前から、いざとなれば国債に頼り切った予算を編成することで、つじつまを合わせてきたことに起因します。返済の当てもないほど増加してしまった国債に関しては、誰も責任をとろうとしません。まるで、自然現象が起こったかのように知らんふりをしている国会議員ばかりです。そのことが与える見通しの暗さに、目を背けようとばかりに、妙な勇ましい言葉が横行しています。本当は、このようなことでは国家の将来像などどこにも見えてこないのです。
これから、予算案は参議院に送られ、そこでも本質的な議論は全くなされることなく、なし崩しに政府原案が確定するのでしょうが、暫定予算を組まなければならないという、ほとんど無駄な作業について、国民のほとんどは、無駄な動作であることさえ理解しないで放置することでしょう。
ただ、厄介なことに、このような不健全な予算編成のあり方に、あのとぼけた日銀総裁さえ気づいています。どのような形で、国の行き詰まりが示されるのか、誰も知らないまま、財政破綻に向かってまっしぐらな国なのです。
歳入に見合った、等身大の予算を組むことが必要でありながら、義務的経費と称する予算を積み上げていくと、このような事態になってしまうのです。積み重なった国債は、さらに予算編成の自由度を縛ってしまいますから、今年はなんとかできたとしても、来年以降、もっともっと組みにくい状態になっていくことでしょう。団塊の世代が早くあの世に送り込まれて、年金の総支給額が減少してほしいと、どこかのお役人が悪態をついているような気がします。
国民全体で、予算のあり方を真剣に考えなければいけないのですが。

東日本大震災から4年

2015 年 3 月 11 日

あの日の揺れは、忘れられません。その3日前だったでしょうか、マグニチュード7.3の宮城県沖の地震があって、もうしばらくは強い地震はないだろうと、たかを括っていたところに、強い揺れを感じたのでした。初めての経験でした。事務所の中のぶら下がっている器具が大きく揺すられました。普段感じている地震とは違うものでした。隣のビルと揺れが同期していないように感じたことも不思議な体験でした。緊急事態と、ヘルメットが配られ、どうしようもないまま収まるのを待っていました。もう終わりかなと、ヘルメットを外したところに、駄目を押すかのように、もう一度強い揺れが来たのでした。幸い、器具等の転倒はなく、事務所の中の被害もなく、ほっとしました。しかし、暫くすると外で緊急車両のサイレンが聞こえてきて、都内でも被害が出ていると推定されたのでした。
報道に触れる機会がないまま事務所に居ましたが、一緒にいるメンバー達は、帰れないようなので泊まるつもりだと聞かされました。居候状態でしたから一緒にと言うのは憚られて、ゆっくり帰ってみますと告げたのが、帰宅難民経験の第一歩でした。まだ生きていね自動販売機から水を一本カバンに入れて、事務所を出ました。なぜか律儀に5時までは事務所に居ました。外に出て皇居前広場を抜けてきたに向かうコースに入ると、たくさんの人たちが歩いています。同じ職場の人たちでしょうか、ヘルメットをかぶり防災袋を背負ったグループもたくさんいます。その時は知らなかったのですが、家には歩いて帰るとメールをしました。そのメールが着いたのは、カニだが着く一時間近く前だったのでした。それだけ、メール配信なども緊急事態で遅れていることさえ知らずに、のんびりした気分で歩き続けました。
不思議なもので、同じ境遇の人がたくさんいると、遠くまで歩くことさえ負担と感じないでいたのでした。ところが、革靴で歩いていたものですから、次第に足の裏に痛みのような感じが出始めました。歩道にある点字ブロックからの刺激がねやがて痛みに変わっていきました。それでも、帰宅グループの群れの中にいると、当然のように周囲の人と一緒に歩けました。
荒川を渡って埼玉県に入ると、人の流れが分かれ始めました。それに、東京から歩いてきた人たち以外も増えてきて、なんとなく孤独感が高まってきます。それでも、ひたすら歩き続けてはいても、身体の力が抜けてくる感じがしました。遠い昔、学生時代にマラソン競技に挑戦した時に体験した脱力感に似た思いでした。足の痛みと力が抜けるような思いのまま、あと数kmまで戻った時、バスが走っているのを見ました。そういえば、金曜日でしたから、駅からの深夜バスが設定されているのだと知り、バス停で待つことにしました。そこへ、自家用車が停まって、「どこまで行くのですか」と親切な声がかかりました。降りるつもりのバス停を言うと、それなら帰り道ですからどうぞ、と乗せてもらうことになりました。お礼を言ってバス停で降ろしてもらいましたが、いったん歩くのをやめていたために、足の裏の痛みやかかと、膝などの痛みが、とてもこたえた残りの数百メートルでした。家に着くと、靴下も自分で脱げないほど足の裏の豆が破れており、大変な思いでした。それでも、最後に優しい人と出会えたことで救われた長距離帰宅でした。
今にして思うと、このころ東京電力福島第一原子力発電所では、過酷事故が起こってしまっていたのでした。