あわただしかった8月を終わるにあたり

2016 年 8 月 28 日

リオデジャネイロで行われたオリンピックの競技中継に心を奪われているうちに、8月も末を迎えようとしています。学校時代の宿題に追われたころの思い出は、さすがに夢にも出て来なくなりました。それでも、8月末が近づくと不思議な感慨を覚えます。何か追われるような印象があるからでしょうか。今、安倍首相はアフリカ諸国との関係をより深めようとケニアを訪れ、将来への思いを伝えています。そのあり方は決して間違ってはいないと思いたいのですが、ある種の思惑が含まれているようで、微妙な違和感を覚えます。アフリカ諸国が安定した政治基盤を築けていない現状の裏には、武器輸出をして部族間抗争を煽り、その隙に乗じて資源を収奪しようとしている「先進国」の動きが見えるからです。例えば、今回も支援対象に挙げられているナイジェリアなど、今から数十年前に、日本の商社などが安定した活動を行っていました。ところが、近年は、国内の治安状態が不安定になって、歴史が戻ってしまったかのような現状になっています。今回安倍首相が、言葉としてはとてもきれいなことを言っていますが、わが国の経済成長のためだからと言って、間違っても武器輸出などは決して進めてほしくないと強く思います。同行している経団連の関係者も、以前のような骨のある発言をする人は消えてしまい、瞬間的な利益の追求しか考えていないのではないかと疑います。外務省も、経済産業省も、もっと広い視野を持って、世界から尊敬される国の発展を考えるべきだと思います。そうしなければ、地球全体の将来を輝かしいものと描けなくなってしまうからです。
西日本では、例年以上の酷暑が続いて、それでも平然と耐えて来られたように見えます。ひとりひとりにとっても、社会にとっても、この厳しい暑さの影響は残ることでしょう。できるだけゆとりを持って、穏やかな秋への進行を図りたいものです。オリンピックを安直な国威発揚の場にしてはいけない、と識者は指摘し続けていますが、現在の報道機関は、この指摘とは全く反対の挙動をとっています。このような情けなさを越えて、深い思いを持って秋に入ることにしましょう。

痛ましい事件

2016 年 8 月 26 日

まだ事件の全容が伝えられていませんから、軽々しい評価は出来ませんけれど、埼玉県東松山市で起きた16歳の少年殺人事件は、昨年川崎市で起きた事件と似た感じを覚えるものです。仲間内の少年に因縁をつけていじめた挙げ句、最後は死に追いやってしまったものです。そして、殺された少年の生き方なども似た印象を持ちます。周囲の中で剽軽者を演じて、それなりに親しみを得られていたようです。でも、そのような振る舞い方が、彼らの工夫なのだとしたら、余計に悲しいことです。剽軽者を扱う周囲は、もっともっと剽軽にと迫り、その結果が死を招く無理強いだったのではないでしょうか。グループの中で、重きを置かれない立場だっただけに、誰も彼のことを助ける発想を持たなかったのかもしれません。ピエロをピエロだからと追い詰める方法は、今日本全体に広がっているように見えます。こどもたちを追い詰めるある競争社会は、このような少年たちを脱落者として排除してしまう雰囲気があります。そこで追われた者同士が集まった中で、また、ややこしい序列化が生まれます。その最底辺への無理強いの果て、のように思われてなりません。都幾川の河原で、裸にされていじめを受け、そのシーンを動画でとっている異常さにさえ気づかず、少年は16歳で命を絶えてしまったのです。
社会全体でこれをどう受け止めるのか、再発防止につながる提案がどこから出てくるのか、重苦しいばかりです。このような事件の再発防止と称して行われる規制は、たいていの場合、再発防止の効果を持つより、もっと弱い人たちを貶めるような策になってしまう場合があるからです。今子供たちを序列化して、結果として教育から排除してしまっている問題から、目を逸らしてはいけない筈です。その序列化の結末の一つが、不本意非正規雇用なのだとしたら、社会全体が何か大きな病に侵されているようにも見えます。重苦しい毎日を過ごさざるを得ない若い人たちから、脱出への希望が訴えられれば良いのでしょうが。それにしても、痛ましい事件です。

睡眠障害

2016 年 8 月 23 日

政治家の悪さを法律だけでは裁ききれないものだと、国民の大多数は感じているはずです。政治家の動きを健全で透明なものにしようと、さまざまな法律が作られていますが、それらの法律に基づいて罰せられるのは、わずかな素人すぎる政治家なであり、裏では捕まるものかとほとんどの政治家が嘯いていることも、国民は知っています。ですから、今年前半の国会で、当時のTPP担当大臣が口利き疑惑が暴かれた時、正しい結末まで行かないのだろうと、半ばあきらめつつも、事態の推移を注視していました。その厳しさに耐えられなかったのか、大臣を辞職し、「睡眠障害」との理由で国会に出て来なくなっていました。当時、必ず経過は明らかにします、と弁明していたことを筆者は忘れません。ところが、いつのまにか、法律的に追求していた検察庁が立件は無理だと判断したことで、まるで無実(罪を問われないことと、潔癖であったということとは全く違います)であるかのように、国会に出てきています。そのうえ、説明責任をとろうともしていません。これまでもたびたび本欄では、日本の政治の状況を嘆く論を展開しましたが、今回の睡眠障害を起こして国会を休んだ元大臣の挙動にはあきれるとともに、政権与党の責任も強く指摘しなければなりません。業者の立場からは、相打ち覚悟での訴えだったはずです。そのことを退けるかのような検察の対応は、裏側で汚い圧力がかかったに違いないと、国民が感じていることです。法律の社会が、社会正義を守るよりも、権力の座について者が自身を守るために使おうとしている事例が沢山あることを知っているからです。
このようなことで、政治が動き、社会が動いていることが、いずれ破綻を招くであろうことも、国民は知っています。そのやるせなさが持つ閉塞感に、民族主義的な動きが怪しい働きかけをしています。日本会議に代表される、ある種の論理性を持って、国民全体をマインドコントロールしようとし言います。以前環境大臣が、その任にとっては致命的ともなる失言をしたのも、下敷きには日本会議の主張があります。そのようないい加減さが見え見えであるところに、現政権の底が知れるのだと思いますが。

マラソン日本復活のために

2016 年 8 月 22 日

男子マラソンもわが国の代表は勝負に加わることもできず惨敗の結果となってしまいました。陸上競技連盟では、当然のこととして、これまでを反省して強化するには何が大切かわ考えることでしょうが、他の競技や他国の状況などを見てみると、答えの出方は自然と導かれると思います。わが国の関係者や指導者の多くの頭の中に、「アフリカ勢にはやられて仕方がない」との発想があるのではないかと疑っています。このことが、まず復活への最大の支障でもあります。高校から大学、実業団のチームまで、チーム強化のためにはアフリカから人を呼べばよい、と考えている限りは本当の強化は図れません。今回のオリンピックを見ても、アメリカの長距離選手は、アフリカ勢に対抗できる力をつけていました。このことが、回答への大きなヒントになります。DNAに言い訳を求めて、負けて当たり前と思うようであれば、選手派遣などしないことです。そのためには、箱根駅伝が頂点になってしまっている現在の選手強化の目標を叩き直すことです。青山学院大学の挑戦は、もしかすると、この課題を突破できる可能性を持っていると思います。箱根駅伝など目標ではなくて単なる通過点と認識して、世界の長距離競技に向かっていく姿勢こそが必要なことでしょう。かつて、瀬古選手が世界を相手に戦っていたのは、胸にWのマークを付けていたころからでしたから。当時の早稲田大学の監督は、800mからマラソンまで走ることを選手に求め、たくましい選手が輩出しました。正月の駅伝劇場で止まってしまうような選手しか育成できなくなったわが国の長距離協議の指導体制そのものが問われているのです。
当時、大学出と対抗しようとしていた実業団選手の対抗意識は、とても強いものがありました。中山選手のように個性的な選手も生まれました。
あの頃を思うと、「部活」の延長で自分を売り込むために長距離を走っているとしか思えないランナーたちには、マラソン日本復活の力になれないのだと烙印するべきでしょう。そこから出発しないことには、越えられないハードルがあるのです。

オリンピック男子400mリレー

2016 年 8 月 20 日

今回のオリンピックでは、男子100m競走で、オリンピック特有の高揚感に押されて10秒切りが出るのではとも期待されていましたが、残念ながらその夢は先に繰り越されることとなりました。しかし、予選、準決勝の日本選手の動きを見ていると、力をつけてきていると感じられました。そのような中で、400mリレーの予選が行われ、アジア新記録をマークして、通過だけでなく決勝でもメダルに近づける気配を与えてくれました。もちろん、アメリカやジャマイカの強豪チームは、エースは出さずに予選通過をしていましたから、メダルに近いとは言え、決して楽観が許される状態ではありませんでした。しかし、期待感が高まる中で、この決勝をLIVEで観戦できました。各チームがゲートを通りながら紹介されます。日本チームは、侍のイメージでしょうか、それとも居合の動作でしょうか、やや照れながらのパフォーマンスを示して入場しました。予選と同じオーダーです。強豪国は、予選とメンバーを入れ替えて最強のものとしています。それでも、通過記録も決して悪くはありませんでしたから、どこまでやれるかと期待は高まります。しかし、バトンパスの難しさも少しばかり知っていますので、大事な決勝でトラブルなくこなしてほしいと、まずはその安全を祈ります。スタートの山県選手は、期待通りのダッシュを見せて、他のチームと遜色ない飛び出しです。第二走者とのパスで、ややぎこちなさが見えましたが、スピードは落とさずに済み、バックストレートも遅れることなく競います。第三走者の桐生選手に、解説者は、「リレーだと伸び伸びは知れています」というようなコメントをしていました。そしてアンカーのケンブリッジ飛鳥選手へ。数チームがトップを争うその中に、日本チームも加わっています。手に汗握るとは、こういう時のことなのでしょう。飛鳥選手のスピードは、隣のボルト選手には及ばなかったものの、競り合っていた他のチームと同等で、胸半分くらいの違いでアメリカを抑えて二着に入賞しました。このあとアメリカが失格となりましたが、走りとしても、アメリカに負けなかったことは、とても評価できることだと思います。陸上競技の他の種目では、全般に不甲斐なさばかり感じられましたが、この400mリレーで、その鬱憤を晴らすことができました。
もっともっと能力を引き出すシステムを作り出してほしいと強く思います。女子レスリングや、バドミントンの競技は、力を延ばすシステムがとてもよく機能しているように見えるからです。陸上競技は、なんといっても花形種目です。そこで活躍できる選手が次々と生まれてきてほしいのです。ジャマイカの人口を考えれば、わが国はもっと伸びしろがあるはずだからです。

問われるべきこと

2016 年 8 月 17 日

黒田日銀総裁は、マイナス金利の効果が不十分だと、さらに金利を下げる計画を考えているようです。金利を下げることで、物価上昇を期待するというのは、そのことだけでも矛盾しているように感じてしまいます。ところが、このことは年金問題とも強くつながっているのを見過ごすわけには行きません。年金会計には、やがて支給するための資金が大量に蓄えられており、これを一定以上の運用により活用することで、全体の計画が回る前提になっています。ところが、低金利政策は、この年金資金の運用にとっては、負の条件を突きつけることになるのです。適切な運用益が見込めなくなって、それなら株式市場などで運用すればよい、と安直に考えられて、マイナスの結果が報じられたりしています。年金の資金が株式市場で運用されてマイナスになってしまったことに対し、報道各局は「マイナスになることに不安を感じますか」という設問で、国民の思考を聞き取ろうとしています。この質問には強い違和感を覚えます。このような運用を図らなければいけなくなったとすれば、年金会計そのものの基礎が揺らいでいるのだ、とまず担当部局が感じ取らなければいけないはずなのです。ところが、そのようなことに触れられないまま、この運用に不安を感じますか、と設問をする報道機関には、年金の基金が持つ公共性という性格を全く理解できていないように思われるのです。株式市場がそれなりの意味を持つことを否定するものではありません。しかし、公共のものと考えられる資金を運用する場にふさわしいものか、と問われれば、否定的な答えしか出てきません。なぜなら、投資する株の配当で十分な運用益が確保されるならともかく、そうではなくて、投機的なお金が、より弱いものから収奪する構造が株式市場にはあるからです。そのような構造の中に、国民の将来の命綱となる資金をさらすことは決して望ましいことではありません。マイナス金利政策の陰には、このような不穏当な動きがあります。そのことの持つ、反社会正義に関し、報道機関は全く触れることがないのです。
この国の持っているこのような不健全な社会構造は、今後さらに増大してしまうことでしょう。社会保障の中核である年金の基金が、このような構造の中で蹂躙されている様を見たくはありません。そして、瞬間的に儲かったとか、マイナスになったとか、という判断ではなく、正しいことを国が行っているのかどうかを、報道機関は追及しなければならないはずなのです。

寝不足

2016 年 8 月 14 日

リオオリンピックが開会されてから、寝不足状態が続いています。地球の裏側にある関係から、毎日の競技が佳境に入るころ、眠るはずの時間になります。LIVEで中継される画面に見入ってしまい、枕にたどり着けなくなるのです。その時の興味にひかれての生活をしているための寝不足です。今回の寝不足は、欲求不満に陥ることが少ないので、自身でそれなりに納得しています。球技などで、「チャレンジ」という制度が取り入れられています。審判の判断の客観性を求めるためのものです。画像処理にはまったく間違いがない、という確信が持てる状態になって来たからこそなのでしょうが、場合によっては、スポーツの持つ特有のリズムが壊れてしまうこともありそうです。間違いのなさを求めることはとても大切なことですが、難しい問題です。たまたま、陸上競技の走り幅跳びの有力選手の跳躍で、上位を超える記録が出たのではないか、と思われる場面がありました。ところが、発表された記録はそれより数十センチ低いものでした。コーチがいきり立つ光景が映し出された後、その場面のリプレイが流されました。跳躍した選手の左手が、砂場に触れてしまっていたのでした。以前に比べ、測定ポイントが遠くからでは判りにくかったため、あのコーチのような反応があったのでしょう。
期待されている男子100m競走の予選では、二名が準決勝に進みました。あの時間に自分の持つ能力を凝縮させる努力は、並大抵のことではないはずです。だからこそ、最速ランナーへの称賛があれほど強いのです。一方、決勝が行われた男子10000m競走では、わが国の代表は、上位争いに加わることはできませんでした。アフリカ勢に押されて、との判断は簡単には成り立たないはずです。なぜなら、アメリカの選手が最後まで頑張っていたからです。マラソンにも共通することですが、あきらめてしまっては進歩はありません。学校教育の一環の限界なのだとしたら、水泳競技のようなスポーツクラブ主導の発展を考えるべきなのかもしれません。長期的視野に立った関係者の議論を期待します。

天皇陛下からの問いかけ

2016 年 8 月 9 日

天皇陛下が、生前退位を求める内容の見解を昨日発表しました。現在の定めでは、死ぬまで天皇であり続けなさい、と決められているように考えられていますが、そうではない選択をしてほしいと、強い要望が込められています。象徴として国民の平和と安寧に尽くされている天皇陛下の献身的な努力は、広く国民に認められているところです。この努力を続けることが、肉体的にも難しくなってきているとの自覚が、今回の談話の発表に至ったベースになっていると思います。そのうえ、退位をしないと次の世代の天皇が、高齢になってからの交代となることで、そこにも不都合があるとお考えになったのだと思います。この問題提起に対し、国民のほとんどは、納得できることだと思います。天皇を神格化して利用しようと考えている不届きなグループは、この発言を押しとどめようとするかもしれませんが、これまでの天皇皇后両陛下の公務に対する姿勢を考えれば、賛成の思いが強いはずです。ただし、さまざまな法律や慣習があることですから、簡単に実行できないであろうことも、国民は理解しています。
政府が進めなければならないのは、天皇陛下御自身が提起した問題について、天皇陛下のご意向(これは、天皇家の総意でもあるととらえて)に応えるための対応を厳正に行っていくことでしょう。気を付けたいのは、現政権の周辺に、天皇を神格化するような動きを示す人が多少いると思われることです。「日本会議」風の思考に心を奪われているような閣僚も散見されますから、間違っても、このような方向に向かってはなりません。そこのところは、国民全体で監視しておくべきでしょう。天皇陛下もお考えのとおり、オープンで思いやりのある議論によって、この問題提起を消化していきたいものです。

男子400m個人メドレー

2016 年 8 月 7 日

リオオリンピックの水泳競技、決勝種目のトップでしょうか、男子400m個人メドレーが行われました。世界選手権の実績や、これまでの記録などから「金メタル」への期待が高いレースでした。予選では、日本選手は2位と3位で、これを上回っていたアメリカの選手は、自己記録を大幅に更新していただけに、決して楽生とは考えられないスタートとなったのでした。日本の二人の選手の間に、アメリカの好敵手が入るという配置となって、このことは日本の選手にとってプラスになるかもしれないと思わされました。ライバルに囲まれるのは、心理的に負担になるはずだからです。決勝がスタートすると、瀬戸選手の泳ぎが、予選ほどのびやかではありません。それに比べ、萩野選手は思い通りの泳ぎのようでした。最初のバタフライと背泳までは日本の二選手がリードしていたのも、予想通りでした。その次の平泳ぎに入ると、アメリカの選手が追い上げてきます。これは、予選でもほぼ同様な経過でした。日本人は平泳ぎに秀でていると、なんとなく思い込んでいましたが、今日のレースはそのような思い込みの間違いを指摘するものでした。最後の自由形になるときには、萩野選手がややリード、瀬戸選手は二位以内がやや苦しくなってきました。萩野選手は、自由形だけでも世界に通用する力があります。この時点で、きっと金メダルを獲得してくれるだろうと、期待が高まります。四位以下の選手は、この争いから遠く遅れて、アメリカ一人と日本の二選手が競り合っています。競泳の解説者は、盛んに萩野選手を声援します。残り25m近くになって、萩野選手の優勝が見えてきました。堂々一位でゴールしました。
この種目で、日本は一位と三位を獲得できたのでした。二人の才能は、以前から言われていましたが、この二人に割って入ったアメリカの選手は、予想以上の健闘でした。伸び盛りの選手が、このように番狂わせをさせる、というのも、観戦をしていて興奮させられることです。バタフライの池江選手など、ぜひそのような結果を生んでほしいと思っています。それにしても、オリンピックの大舞台で日本新記録をマークして金メダルを獲得した萩野選手、関係者に賛辞を送りたいと思います。

原爆忌に当たり

2016 年 8 月 6 日

広島に原子爆弾が投下されてから、71年が過ぎました。たまたまこの日がリオオリンピックの開会式の日でもありました。原子爆弾は、まさしく大量破壊兵器であって、当時の国際法に基づいても、使用できない規模のものでした。ところが、勝てば官軍であるかのように、その兵器を使用した国は何のお咎めもないまま、戦勝国として平然と歴史を歩んでいます。もちろん、このような国際法自体が、一旦戦争状態になってしまえば、守られることなどなくなるのだ、という解釈が厳然として存在します。ですから、兵器の殺りく能力が過大化している今日では、戦争状態にしてしまっては、人類の滅亡を近づけるだけなのです。昔は、兵力同士の競い合いが戦争でしたが、現在は、一般市民を人質にしたかのような兵力が世界を覆っているのです。この均衡の上に平和があると思い込んでいるのは間違いです。大量破壊兵器の均衡の上にあるのは、束の間の戦争回避の期間でしかありません。大量破壊兵器を人類自身が放棄して、少なくとも人類滅亡の引き金を人類が引くという愚かな行動を、絶対に避けることが今こそ必要なのです。オバマ大統領は、その目的に少しでも近づきたいと願っていながら、実際の進展には至りませんでした。わが国の現防衛大臣は、このような人類の理想への接近を好まないようです。核兵器廃絶は、少しでも想像力を持つ人であるなら、将来に向けて不可欠な行動であるはずです。
オバマ大統領の広島訪問は、本来であれば、このような崇高な理想への一歩として考えるべきものであったものが、選挙戦を有利に進めようとする与党の狭い料簡によって、その目的があいまいにされてしまいました。情けない話です。
大国は、難民を生んでしまう時代を一方的に作ってきました。その結果に対して誰も責任を取ろうとしません。それよも、難民の大量発生に対して、自国のことだけしか考えない、口汚いキャンペーンが世界各地で張られています。そのような口汚さを、大統領選挙の中で当然のように使ってしまっていることの恐ろしさを、当人は感じていないようです。でも、これはとても危険なことです。口ぎたなそや、不寛容が平然と前面に出てきてしまうと、国際問題の話し合いでの解決が遠ざかってしまうからです。話し合いによる解決が遠ざかると、きな臭さが増してきます。間違っても、この方向に地球全体が侵されることがないよう、広島原爆忌に強く思います。