カヌー協会だけの問題か

2018 年 1 月 12 日

オリンピックを目指していたカヌ―競技の選手が、ライバルを蹴落とすために、ドーピング検査を悪用する事件が起こりました。結果的には、犯行を行った選手が自白したことで、全体像は明らかになりましたが、なんとも後味の悪い事件です。ドーピング以外に、用具を隠匿するなども同じ選手が重ねていたのではと推定されます。スポーツマンにとって、同じ競技を目指す選手は、同僚でもあり、ライバルでもあります。しかし、実際に競技に情熱を傾けた経過が進めば、相手の足を引っ張ろうなどと発想できなくなるのでないかと、筆者の乏しいスポーツ経験からは考えるのですが。それでも、オリンピック出場と言う魔物は、選手にそのような誘惑を仕掛けてくるのでしょうか。各競技団体は、代表選手の選考を可能な限り透明なルールに則る方式としていますから、遠い昔のように代表選考に怪しげな力が及ばなくなってきています。その中で起こった今回の事件は、選手に対するさまざまな圧力が、偏った形で表に出てきてしまう現象とも受け止められます。誰か有力な選手が自分の近くにいたとき、その人への期待が、選手に無理をさせてしまう場合はないでしょうか。無理の範囲がルールの中で行われているなら、傷をつけることにはなりませんが、ひとたびルールそのものを覆すよえな振る舞いになってしまえば、スポーツ界全体に害毒が流れます。選手個人の資質の問題だけでなく、選手周辺で過度な期待を負わせてしまう風潮が、もしあるとすれば、改めなければいけないことです。
それだけに、オリンピックだけが目的であるとするような報道姿勢には疑問を抱くことがあります。東京の地元で開かれるのだからと、他の問題が総て超越出来るかのような雰囲気が見られます。困ったことです。筆者は、前回の東京オリンピックを経験しましたが、当時も、「オリンピックまでに」と、急激な道路建設などがなされました。その結果の一つが、日本橋の上に架かる高速道路です。都市の美観から見て醜さを曝しているような景観になっています。今回のオリンピック開催の機会を、当時の失敗を払拭するために生かしてもらえれば、少しは納得できるでしょう。
スポーツの持つ清新な空気が流れてほしいものです。

議員秘書

2018 年 1 月 11 日

自民党の鳩山議員の秘書が、国税庁幹部に消費税の還付請求の件の説明を求めていたニュースが報じられた時、最初に思ったことは、この秘書の胡散臭さでした。顔つきを見て、いわゆる政治ゴロとして永田町周辺をうろうろしている輩の一人だと感じたのです。永田町周辺には、このような怪しげな人種がいっぱいいます。かつて、TPP担当大臣であった甘利氏は、正しい人とばかり付き合っていては議員にはなれない、と言いました。議員になるにあたって、この種の怪しい人々の力を借りて初めて大臣がやれたのだ、という反発言なのですが、だからと言って、このような連中が闊歩する政治の世界であって良い訳がありません。鳩山議員にしてみれば、自身の判断を下す前に、自分の生きる場所を彼らの土俵と一緒にされてしまっていたのでしょう。だからと言って、議員自身に問題がなかったわけではありません。自覚もないままに、周囲に推されて議員になって、言葉だけ国民の為と言いながら、国を混迷に向かわせてしまっている議員があまりにも多数いるのが現状です。本欄では、このような事実があることを再三指摘し、少しでも脱皮できるよう求めてきましたが、図らずも、今回の鳩山議員秘書の事件で、また指摘せざるを得なくなったのです。報道された鳩山議員秘書の悪相により、国民の皆さんにも、本欄の指摘の正しさが理解してもらえたことでしょう。さんざん悪辣な手を使って、秘書である地位を利用してきたわりに、周辺がこの秘書をばっさり退場させたところに、問題の深さを感じます。いわば、同類であるからこそ、問題が波及するのを恐れて、永田町がたたき出したのでしょう。違う表現をすれば、永田町にはあのような人種が多数生息していることの表れとして、素早い対応がなされたのです。
筆者は、このような悪辣な人種を、若いころは全く知りませんでした。退職してNPOにかかわっていた時、この種の怪しげなメンバーを知ってしまうことがありました。お金に汚く、税金を本来の趣旨に使うより、自身の儲けのために利用しようとする、いかがわしい輩です。政治家に寄生し、時には政治家になろうともする、このような政治ゴロこそ、「排除」すべき対象なのです。

政府がたるんでいる

2018 年 1 月 8 日

今朝の新聞に、山梨県下の国有地が、高等学校に異常に廉く払い下げられていたとの記事が出ていました。国民の財産である国有地を、きわめて不適切な形で払い下げをした事例として、昨年の森友問題の小学校用地のことが、国民の心に直ぐ思い浮かびます。また、その経過を説明した財務局長が、国税庁長官に就任した経緯に納得いかない思いをしている国民が多数いることも周知のことです。あの事例は例外だろうと考えていた国民は、今回のこの報道をどのように受け止めれば良いのでしょうか。筆者には、公務員のタガが緩んでしまった結果だと感じます。同じ構造は、昨年の加計学園の忖度問題や、議事録開示の不透明さなどにも表れています。官僚は、国民の財産を国民のために守るのではなく、政治権力のある部分に対してだけ、阿っているに過ぎないのだと知らされた国民は、とても醒めた気持ちで国政を見ています。首相が北朝鮮の脅威を煽ってみても、少しも納得していません。支持率は低迷するばかりです。その根源は、官僚たちの不誠実さに見られる、国民をなめ切っている政治の大勢にあるのだと、筆者は思います。
昨年も、丁寧に議論をすると口先だけで言っておきながら、議論をすり抜けて国会を解散し、その結果で議席数を多数獲得できていても、本当に国民全体に信任されたわけではありません。憲法改正を発議するには、余りにも姑息な手段で与党勢力を維持しようとしたのです。当然のことですが、首相が力みかえるほど国民は憲法改正の必然性を感じていません。それよりは、口にだけしているのに実行されていない、丁寧な説明と、これまで国民をたぶらかしてだけいた官僚の国会への証人喚問を行うべきでしょう。このような、民主主義の「いろは」のところから、現政権はやり直さなければいけません。たるみ切った政府の行動の結果が、国民に不幸をもたらせてはいけないからです。

新しい年に

2018 年 1 月 3 日

私たちが選べる明日は、もっともっと可能性に満ちているはずです。アメリカ大統領と北朝鮮の最高指導者との間でたたかわされている言葉の応酬などは、私たちが考える明日の範囲から外してしまった方がよい程度のものです。それなのに、報道機関は、この二人の発言の幅の中に世界の歴史を押し込めてしまうような姿勢で、ニュースを流しています。まるで、あの二人の狭い料簡に世界全体が牛耳られてしまう、という前提に立っているかのようです。そこに大きな間違いがありますし、このような呪縛の中に私たちが居るはずがないと考えることで、もっともっと本当に安心できる明日が得られるはずです。もうひとつ忘れてはならないことがあります。戦争の脅威を煽ることで、武器輸出を強引に押し付けようとしているアメリカの産業構造の問題です。使われなくても、装備は必要だと同盟国に迫ることで、貿易赤字を埋めようとしています。とても悪辣な企みです。そのような脅しをかけるために、他国とのつまらない言葉の応酬をしているように見えてなりません。そのたくらみに乗せられてしまうわが国の外交力のなさも呆れるものです。
改めて、「国」とは何なのかを考えさせられます。その国民の安全を守るのが国の使命の一つだとしたら、現在行われている両国間の言葉のやり取りは、いったいどのような意味を持つものでしょうか。筆者には、トップである立場の者のメンツに拘る程度の内容にしか見えません。これまでのアメリカと北朝鮮の位置関係は、巨大な保安官的な国と、拗ねたような小国とのように見えます。保安官国家が、武力も大して持てていない国に、まともに交渉をしようとしてこなかったのものですから、それなら対抗できる武力を持ってから交渉したいと、小国は考えたのでしょう。そこで、核実験を進めたり、大陸間弾道弾の開発をしたりしたのです。それが一定の成果を見たからと言って、大国は相手を侮る態度を変えることなどありません。そのような経過と現状を見比べると、このままの応酬の先には何の解決策も出て来ないだろうと予測されます。意地の張り合いをいくら続けても、両国が納得できる「解」が得られません。それよりも、このような情勢を利用して、自国の軍需産業を繁栄させようとする邪悪な意図ばかりが見え透いてきます。
長い歴史の中の2018年に入るにあたり、愚かな意地の張り合いを納めさせる知恵者の出現を期待しています。

相撲協会の醜態

2017 年 12 月 29 日

日馬富士暴行事件に端を発する相撲協会の醜態は、昨日の理事会における貴乃花親方の処分が決定したことにより、さらに混迷する状況になってきました。貴乃花親方が訴えたかった内容が、暴行事件だけでなく、背後にあるモンゴル出身力士間の驕った姿勢への糾弾だとしても、そのことと、巡業部長と言う自身の役職とを考え合わせると、対応の仕方に無理があったのは事実でしょう。一方で、そのことを糾弾しようとする相撲協会の執行部の姿勢にも、ちぐはぐなところが感じられます。当初、貴の岩はビール瓶で殴られたと報道されましたが、実際にはリモコンのコントローラーで殴られ、縫わなければならない傷を負っていたのでした。それは、酔っぱらってころんだから、というような言い訳ができるものではなかったずです。このような言い訳で事実を隠蔽しようとする体質が相撲関係者の中にあるような気がします。そのことも、貴乃花親方の指摘したかったことかもしれません。危機管理担当の親方が訪れても、会おうとしない対応は、余りにも稚拙に映りました。まるで拗ねているだだっこのようでした。このようなことで、世間の関心を引き付けていたのは、政治問題を隠そうとしている操作ではないかとさえ感じたほどです。本来であれば、この一年を振り返って、森友問題、加計問題を原点から掘り返すテレビ番組が作られて当然のはずでしたが、相撲協会のみっともない事件の陰に隠れるように、問題点を整理するテレビ局が出て来なかったのです。
公益財団法人である日本相撲協会は、世間的に見て正しい規律を守らなければいけないのは、当然のことです。ところが、暴力容認とか、しきたり偏重とか、国民に広く納得されない暗部が現在でもあるように見えます。部分的な解決だけでなく、相撲協会としてこれらの課題に対しても、今後は一切断ち切るのだという声明を出さなければ、ファンは再び相撲から離れてしまうのではないかと思っています。相撲協会の混迷の陰に隠れようとしているものたちも、追及求していくことを本欄はお約束いたします。

新幹線インシデント問題

2017 年 12 月 28 日

重大な事故になる恐れがあったと指摘されている新幹線のインシデント問題。台車に亀裂が生じ、14cmにも達していて、破断直前とさえ見える写真が公表されました。博多発東京行きののぞみ号に、どうしてこのようなことが起きてしまったのかは、今後の調査で明らかになるかもしれません。少なくとも、今回の事例から学ばなければいけないことがあります。博多を出発した後、小倉駅で異常に気付いて、岡山駅で点検要員を乗車させました。その点検要員が、東京の指令所に、「大阪駅で台車等の点検を行いたい」と伝えたにも関わらず、指令所からの返答は、「走行できないものなのか」というものでした。この返答には、できるだけ定時に走行させたいという思いが込められているように聞こえます。「走れるのか」と問われても、新大阪でチェックしたいと伝えた立場の点検要員は、自分が主張しようとしていることが素直に届いているものと思っていますから、その範囲で指令所も検討してもらえているはずだと考えます。ここで大切なことがあります。対話が対等には行われていなかったのではないかと言うことです。現場から、電車を遅らせてでも点検が必要だと訴えられた時、東京の指令所は、現場の切迫感が理解できていないのです。それより、定時走行のことが頭を占めています。結果として、指令所は、残念なことに「指令所」になってしまい、相手の言うことを謙虚に効く力を失っていたのです。JR西日本の社長の記者会見でも、このあたりのことが、歯切れよく聞こえてきません。まして、相手との通話中に、指令所の上司が経過を尋ねようとしたことなど、論外です。このような指令所の体質があったことが、事故直前まで事態を追い込んでしまった理由でしょう。日本の企業の多くが、現場を軽視してトラブルを誘発しています。今回のJRの問題も、その視点で解きほぐすと、経過がよく理解できます。
JR東海が新幹線の利益の上にリニア新幹線を企画していますが、本当に利用者のことを考えているのか、土木やさんに儲けを提供しようとしているのか、疑問を持っています。新幹線の安全神話を揺るがしかねなかった今回の騒動を、どのようにただしく収められるのか、JR幹部の芯かが問われています。

不寛容な言葉の応酬

2017 年 12 月 24 日

北朝鮮の最高責任者と、アメリカの大統領とが、相手に向かって不寛容な言葉を応酬し、わが国の首相が深い考えもなく、大統領の尻馬に乗る、という愉快でない一年が終わろうとしています。世界全体が、人類の英知によって、穏やかで豊かな方向に向かう、という方向とはまるで反対のようです。本来であれば、理想実現の手段となるべき国際連合も、宥和に向かうための議論は行われず、自国の主張だけを偏屈に述べることが横行している。そのうえ、アメリカの大統領は、イスラエルの首都というきわめてデリケートな事柄に関して、自身の選挙公約なのだからと、一方的な宣言をしてしまいました。これからの緊張が、一層高まるであろうこと、アメリカがテロの標的として狙われても同情されなくなること、などが今後予想されます。このような偏った歴史の進行はいつまでも続くはずはないと信じたいのですが、積極的に平和に向かおうとの主張が聞こえてこないのは残念なことです。国際連合の本来の目的に向かって、堂々と世界全体の幸福を求めて行く主張がどうしてできないのでしょうか。「世界全体が幸せにならなければ、個人の幸福はありえない」という真実を知らなければなりません。一時的に自国を有利にさせよう、などという発想で大国が動いてはならないのです。その考え方に従えば、ソチオリンピックで、国を挙げてドーピングをしてしまった国は、暫くはスポーツ界から遠ざかってもやむを得ないことでしょう。それよりも、オリンピックを、その程度に国威発揚の場として考えてしまう国のトップがいるようでは、潜在的なドーピング国家とも言えると思います。「国」というものが、すべての人を幸福に導く動きができるような日々になってほしいものです。
わが国も、国際紛争を憎み、平和を願う国家であると、もっともっと主張できるように動くべきでしょう。現在の政府は、国民を馬鹿にしているとしか思えない行動をとっています。「丁寧に」「隠さず」国民に説明しなければいけないことが多すぎます。

あと2週間

2017 年 12 月 17 日

今年も残すところあと2週間となりました。一文字で表すと「北」なのだそうですが、筆者にはあまりしっくりきません。世界全体が心配していたアメリカの新大統領が、多くの人が恐れていたとおりに、調和を求めようとしない行動をとり続けました。結果として、とても不安定な一年だったと感じさせられたのです。そのうえ、わが国は、論議のないままに衆議院が解散されて、東京都知事が舞台を壊すままとなり、民主主義が遠のいてしまった感があります。このような解散権が首相に固有のものとして与えられていると考える方が無理です。それをもてあそぶような国の運営を危ぶみます。ところが、このような独善的な与党の行動が、当たり前になってしまい、国民全体として異議を申し立てる気力が失われつつあります。困ったことです。森友・加計問題で国会で証言した官僚たちは、本当に正直に述べたのでしょうか。嘘を言い続ければ、誰もが黙ってしまうような動きは、もっと危ないことだと思います。会計検査院が問題点として指摘したことに対し、政府は正しく答えようとしていないままです。そのような政治家の顔を思い浮かべるだけでもとても不愉快になってきます。
北朝鮮との拉致問題解決に向けて、政府はどれだけ努力をしたのでしょうか。努力の仕方が判らない、というのであれば、胸に付けたブルーのバッチなどさっさと外すべきです。自己満足だけの主張にとどまるのであれば、政治家失格です。家族の方々の思いをなんとか実現させようとする政治家が出て来ない不毛さを嘆きます。人は生きていますから、日々、墓場に近づいているのです。その厳然とした事実を、やり過ごすだけにしか見えない政治家たちは許せません。数年前の交渉で、拉致被害者の話を明確にさせなかった外交官は、これからでももっと正しい主張を伝えるべきなのです。
男子の100m競走で、ついに10秒の壁を破る選手が現れました。来年は、複数の選手が破ってほしいと思います。また、長距離の選手たちは、アフリカ勢に遅れて当たり前だ、という考えをまず捨てないことには、応援する気持ちになれません。もっと自分の内側から走る意欲をにじみだすような選手を見たいものです。

北朝鮮の脅威はどこまで本当か

2017 年 12 月 12 日

北朝鮮が、核開発を行い、大陸間弾道弾を開発しているのは、報道されているとおりではあるが、このことが世界全体をどのように脅威にさらし、人類滅亡へのシナリオとなるものか、もう少し冷静に考えてみる必要があるのではないだろうか。おりしも、ノーベル平和賞には、核兵器の廃絶を訴え続けてきたICANが選ばれ、表彰の式典に被爆者の演説が行われた。人類の英知と、愚かな武器の開発とが、いったいどのような結末を迎えることだろうか。これからの人類史を延ばすには、今何を考えどう行動すべきなのだろうか。本欄では、一昨年の集団自衛権問題などを取り上げるたびに、次のことを指摘し続けてきた。戦争を行おうと考える指導者は、相手の軍隊を無力化する戦争行動よりも、相手国の一般住民を人質に取るような戦争行動を前提にしているように見える。このこと自体、国際法上許されることではないにもかかわらず、愚かな政権の愚かな指導者の発想は、自身が攻撃を受けることより、相手を殺戮することの快感の上に成立しているようにしか見えない。このような指導者が人類の将来にとって、大切なものなのか、排除されるべきものなのか、少し冷静になって考えれば結論は明らかなはずである。ところが、本来排除されなければいけないような指導者が君臨している国が、世界の中にいくつか存在することが、大きな問題なのである。「核の傘」と呼ばれているのは、本当に戦争抑止力なのだろうか。触れてはならないスイッチを、押すぞ、押すぞと言い続けることが、外交交渉の背景にありえるものなのか、考えて見なけばいけない。すると、おのずから得られる結論は、核兵器の存在は、人類の存続とは相容れないものだという、ICANの主張の方が説得力があると、筆者は強く思う。ノーベル賞に責任を持つノールウェーが、核の傘に守られているからと、ICANの主張について行かない現実は、人類の正しい想像力が、まだ欠けていることの証左であろう。
このように、世界全体を見渡すことができれば、今、わが国が選択すべき事柄、その方向性はおのずから見えてくるのではないだろうか。アメリカの軍需産業にへつらうだけのわが国の現在の選択は明らかに間違っている。この方向で、力をためたつもりでいても、それは結局わが国の将来のためにならない、と自覚しなければいけないと考える。

トランプ大統領ご乱心か

2017 年 12 月 8 日

大統領候補であったときに、それを公約としていたから当然だと思われるかもしれませんが、トランプ大統領がイスラエルのアメリカ大使館をエルサレムに移すと発表しました。このことは、世界を驚かせています。たしかに、その方針はトランプ大統領が唐突に言いだしたことではなく、アメリカ議会が随分前に決めたことです。しかし、実際に与える影響の大きさなどから、過去の大統領は大使館移動を指示することはしなかったのです。イスラエルの首都をエルサレムにすることは、三つの宗教の聖地であることと、相容れない選択となってしまうとは、世界の常識です。この常識に照らせば、過去のアメリカ大統領の判断こそが、安定を維持するうえで欠かせないものだと、ほとんどの人たちが思っていたのでした。ところが、トランプ大統領が、選挙公約に掲げていたとはいえ、この世界の常識を覆す行動をとってしまったのです。当然のことながら、イスラム諸国からの反発は強いものがあります。イスラム諸国だけでなく、現在の安定が損なわれると、ヨーロッパの各国も非難しています。その中で、日本の対応の仕方がはっきりしていません。少なくとも、国際的な緊張感を高めることに対して取るべきは、無用と指摘することでしょう。ところが、トランプ大統領とお友達であることを強調しすぎてきたために、そのような独立国の首相としての態度が全く取れていません。嘆かわしいばかりです。それよりも、今回の中東の緊張感は、北朝鮮の挑発行為対応より、はるかに重いものです。
このトランプ大統領の唐突な動きが、大統領選の時のロシアの干渉問題を目くらますために行っているのでは、と評する人もいます。国民の支持率が一向にあがらない中で、自分の狭い支持者との関係ばかりを重く見た決断は、後悔しても戻れない傷を地球に残してしまう恐れがあるのです。不寛容な言葉ばかりをツイートするのがアメリカ大統領うのやり口だとしても、今回の動きは納得できない以上に、自分がやっていることの内容を理解できていないように見えてなりません。暴走しそうなアメリカ大統領を諌める人の出現が待たれます。
そのように考えると、アメリカ追随型のわが国のあり方も、もっと慎重に考えて行かなければならないのでしょう。