根雪になって

2014 年 12 月 20 日

寒波が二回にわたって襲来し、積雪地帯と呼ばれる地域は、もう根雪になったことでしょう。例年よりは、やや早かったと思われます。普段は、雪が降らない場所に住んでいると、根雪を受け止める人たちの気持ちに思いが至らないことがあります。たまたま、以前単身赴任の時に、根雪のふる都市に住んでいたことがありました。ある年に、早く降った雪が凍っていたことに気づかずに、足をとられて滑ってしまい、暫くは打撲の痛みとの折り合い付けの期間となりました。溶けない雪に閉じ込められると、雪解けが待ち遠しくなります。冬至を過ぎて次第に強くなってくる陽射しに、春を待つのでした。陽射しが強くなって、建物の影の雪も次第になくなれば、春になりました。待ち遠しかっただけに、心が浮き立ったものでした。
今、根雪に接することになった人たちが、これから春を待つ気持ちが少しだけ判ります。季節というものは、待てば必ず進んでくれます。ところが、景気回復など、過去の思い出どおりにはならない「公約」は、いくら待ち望んでもやってきません。それどころか、経済成長のためだからと、武器輸出を積極的に進め始めたことで、国としてテロの対象になりやすくさせてしまったのです。なりふり構わない、経済成長神話に犯されてしまった中枢を見ていると、情けないだけです。
ただ時間が過ぎれば、景気が回復するほど簡単な話ではありません。それよりも、景気の回復とはどういうことなのか、本欄でも再三指摘してきたように、上げ底の経済成長をさせてしまったことの「つけ」は誰が払えるのか、もっと真剣に考えなければいけないはずです。与党も野党も、取り組まなければいけない課題を避け続けているだけではないでしょうか。

大雪見舞い

2014 年 12 月 17 日

先日、四国の山の中に孤立集落をもたらしたり、仙山線の電車が動かなくなってしまった雪が降り驚かされました。昨日から始まった低気圧の襲来は、はるかに大きな影響を及ぼすようで、天気予報は災害予防を呼びかける内容となっています。とくに、寒さや雪には慣れているはずの北海道で、風と共に、夜気が大量に降ると予報されています。この季節にこれほど低気圧が発達することは稀ですから、油断は禁物です。強い風が吹いたら、雪の上では踏ん張れないで飛ばされてしまうのではないかと心配したりしています。
以前寒冷地に住んでいたころ、凍った道路で、少しだけ体重を動かそうとしたら、見事に滑ってしまったことを思い出します。今回の暴風雪は、経験だけでは乗り越えられないほど、厳しいものとなることでしょう。天気予報の中では「不要な外出は控え……」と言っていますが、一番厳しい暴風雪の時間帯には、「外出はすべて控え……」と思って対応すべきなのでしょう。
この大雪は、前回大きな被害を受けた四国地方にも及ぶようです。停電が一番こたえるそうですから、インフラの中でも、電気の供給には気を配ってほしいと思っています。
この大雪の後、北海道や東北・北陸などは、一面の雪で、クリスマスにはふさわしい景色になることでしょう。穏やかで、静かな風景となよう願っています。

低い投票率

2014 年 12 月 15 日

昨日行われた衆議院議員の選挙は、前回よりもさらに低い投票率となって、およそ半分の有権者は投票所に行きませんでした。そうなると、動員力のある政権与党側が圧倒的に有利になって、議席の割合から言えば、盤石な体制が出来上がりました。しかし、このことは、日本の民主主義にとって望ましいことだったでしょうか。マスコミに公正中立との姿勢を強要することで、現政権の失政を指摘することすらできなくなっていました。そのうえ、自分たちが有利となる論説は、本当はそれが中立ではないにもかかわらず、平然と垂れ流させたのでした。国民は、このような雰囲気には敏感です。棄権をすることで、政界不信を示したのですが、結果としては、何にも反映されません。国民の参加意識を削いでいくことこそ、副総裁が発言した「ナチスだって合法的に政権を獲得維持できたのだから」という姿勢につながります。
大変由々しいことです。いったん多数の議席を占めれば、驕りはさらに増していくことでしょう。なにより、政策として先を見せなければいけない、過剰に発行された日銀券の収拾策など全く提案されていません。そもそも、現政権や仲良しの日銀総裁には、この方向のビジョンを持っていないのですから。国際的に見て、日本の国債の信用が低下していけば、様々な発言も、尊重されなくなっていきます。海外に良い顔をしたつもりでいても、後ろを向いて舌を出されているのに気付かないとは情けありません。
これからの、4年間は、やりたい放題が一層募っていくことでしょう。投票を拒否した有権者に、過酷な未来がもたらされそうです。

公平・中立という強要

2014 年 12 月 12 日

選挙戦に臨むにあたって、政権政党がマスコミは公平・中立であるべきだとテレビ局に圧力を掛けました。一つの事象に対し、公平・中立な立場で報道すべきだと、権力についているものが強いることは正しいことではありません。なぜなら、沖縄県知事や、名護市の選挙にあたって、政権に就いているから、自分たちの推している候補者に投票してほしい、という訴えかけをすることの無責任さと比べてみれば、すぐにわかることです。政権を握っていれば、何でも言いたい放題で、それを批判することは中立性を欠くと指摘するようでは、民主主義の入り口で失格なのです。
その意識が高じて、大学の関係者が相手候補を推薦するようでは、文部科学省も放置できないことだと、ある県の関係者が通告したそうです。自分たちを応援することは全く問題視せず、相手の陣営に対しこのようなゆさぶりをかけることは、決して許されることではりません。
もっと気になることは、このような圧力があったことで、マスコミ自体が委縮してしまい、結果として、問題提起さえできなくなっていることです。たとえば、国債残高がこれほどまでになっていることに対し、各政党は解決する策を持っているのか、という問いかけを、マスコミから各政党に質問するような気配が出てきません。問題点を指摘すると、結果的に現政権を批判することに結びつくのを、恐れているかのようです。そして、選挙戦は低調となり、現在の政権側が圧倒的に有利な方向に進んでしまいます。政権党の思う壺です。
その壺の中には、戦争礼賛の空気さえ入ってしまっています。なんとか止めなければなりません。なにより、批判を許さないという姿勢そのものが民主主義に反していると強く指摘したいのです。

停電

2014 年 12 月 10 日

大震災の後、計画停電が言われながらも、実際に停電することはほとんどありませんでした。ところが、昨日、筆者の住む地域で停電が発生したのでした。あれ、電源が入らない、という事態で、まず自宅内のトラブルを疑います。入力の配電盤に行ってブレーカが落ちていないか調べると、通常の位置にあります。どこのコンセントにも電力が供給されていないとわかって、これはきっと電力会社の責任の範囲に原因があるのだろうと推理できました。たまたま、日中でしたから、半分は遊びのようなつもりで、電力会社のトラブル相談に携帯電話で連絡してみました。市内の一部に停電が起きています。復旧に努めていますから。というアナウンスが入力されていました。
そこまで調べた後、隣人から、停電なのでしょうか、との声が届きました。確かに停電です。復旧作業をしていると電力会社の相談コーナーでは応えています、と伝えました。
四国の雪害の報道を見ながら、「現在の我が家では、実際に停電するような状態になったとしても、利用者にそれと覚られる前にバックアップがされているはずだから」と、つい先日会話したことを思い出しました。それなのに、なかなか回復しません。1時間近くたってから、電力会社の車がサイレンを鳴らして近くを通り過ぎました。(電力会社、ガス会社には、緊急車両の資格を持った車が配置されています)今頃、停電の範囲を確認しているようでは、簡単には復帰できないのか、と考えていると、1時間20分を過ぎたころ、ようやく電源が入ったとコンセントのランプが示してくれました。
電気に頼り切っている生活を反省させる程度には役に立ちましたが、なんのお詫びの通報もないことに、家人は少し腹を立てているようです。まさか、原発再稼働を狙っての騒動ではないのでしょうが。

副総裁発言

2014 年 12 月 9 日

麻生副総裁が、少子化が年金会計圧迫の要因であるかのように発言したと報じられています。みんながもっと子供をたくさん産んでくれれば、現役世代の負担を背負える人が増えて、年金会計が安定するであろう、という趣旨であったと見られます。部分的には正しいことを言っているようにも感じられます。しかし、もっと大切なことは、副総裁自身が、自分が総理であったときに認識していたように、産みたくても産めない、結婚したくても結婚できない、若い人たちを作り上げてしまっている現在の社会が問題なのです。すなわち、個人の選択の問題以前に、個人にそのような選択を強いている現在の日本に問題があるのです。
非正規雇用を増やし、ワーキングプアーと呼ばれる若者たちを増やしてきたのは、現政権につながる人たちです。それを今更他人事のように言い張るとは、ふざけた話です。もちろん、そのような動きに迎合してきた大企業の組合関係者も同罪でしょう。労働分配率を、もう少しずつでも高める活動を続けてきたならば、これほどまでの「貧しい」状態には至らなかったはずです。ここで、「貧しい」とかっこ付けにしたのは、心が貧しいことを強調するためです。その極みが副総裁発言です。世代間競争というより、弱い者同士の責任のなすりあいにさせて、政権に就いている自覚が感じられません。
選挙期間も残り少なくなってきました。現与党が圧勝するのではないかと伝えられています。投票率を低くさせようという政権から発する臭いの胡散臭さを思うと、せめて投票にだけは行かなければと思います。

思わぬ雪で

2014 年 12 月 8 日

温暖化の問題ばかり取り上げるな、とお天道様の意地のように、雪による災害が起きてしまっています。先日のJRの通勤・通学列車の立ち往生は、直接の人への被害が発生しなかったのは幸いでした。首都圏で通勤している人に言わせると、あれだけの状況なのにパニックにもならず、さすが東北人と感心させられたと。そのあとの、四国などで道路を不通にさせてしまうような雪の降り方は、これまた不意打ちのように襲ってきました。四国の中では降雪地帯と呼ばれていても、これほどの雪が、この時期に、というのが住んでいる方の感想でしょう。道路が通じなくなるだけでなく、停電が同時に発生してしまうことで、とても不安になっていることと思います。
本欄でもお伝えしましたが、今年の春の雪で、カーポートが崩れ、車ごとの被害を出してしまいました。新設したカーポートには、雪が積もりそうだったら、特別の支持のための部材があります。二回目も失敗しては笑いものになるだけですから、せいぜい天気予報には注意したいと思っています。
首都圏は、今日は綺麗に晴れています。日本海側に住んでいる人が、この天気を羨ましいと言っていたことを思い出します。

政策議論であるのなら

2014 年 12 月 6 日

現在進められている衆議院選挙を伝えるマスコミは、本当に討議されるべき事柄から逃げているだけではないかと思わされます。それは、「アベノミクスが正しいのか、どうか」の議論にしかとどめていないことに象徴されます。本来、これからの施策について議論するのであれば、議論すべきは「アベノミクスからの着地の仕方はあり得るのか」ということであるはずです。通貨を過剰供給することで、外観上のデフレを脱却できたと叫んでみても、実際には日本国の通貨が信用を落としていくことだけでしかありません。したがって、現在処方されている経済策は、やがて(
というほど先のことではなく)破綻する恐れが強いものなのです。それを回避して安定した経済運営に持ち込めるかどうかを、政党それぞれに国民に提示しなければいけないはずです。もし、その議論ができないようであれば、それだけでアベノミクスは否定されます。
何回も指摘したことですが、返す当てもないまま国債を発行して、それを原資として公共事業を実行して、結果として経済成長を遂げたと宣伝してきたことが、どれほどわが国の将来を蝕んでいるかは、経済学者でなくても判る話です。その放漫な国家運営の挙げ句が、「……ショック」と呼ばれるような形にたどり着くと、まるでそのことが自然現象であるかのように、政治家は責任をとりません。そういう構造を避けて、賢明な将来を求めよう、というのが、本来は今回の選挙の争点であるはずなのです。多くのマスコミも、評論家も、このような点に触れません。たぶん、答えを持ち合わせていないからでょう。持ち合わせていなくても、議論を尽くすことで、最悪の状況は回避できるかもしれません。それなのに、賢明さを求める政治家が見えてこないのです。せめて、少しでもましな候補者を探さなければいけないのでしょうけれど。

代表値

2014 年 12 月 4 日

今月になって、東京都心の気象状態を計る場所が、気象庁近くから北の丸公園に移転しました。今度観測地点となった北の丸公園は周辺に林もあって、ビル街の中だった従来地点とは、少し環境が違うようです。これから関心が増す朝の最低気温について言えば、1℃以上下がることになります。当然、今回の移動に先立って、従来のポイントと移動後のポイントの比較を長く続けてきました。最低気温にこのような違いが見られると判っているのは、この長年の並列観測の結果によるものなのです。
それでは、東京のビル街の一般的な値として、どちらが正しいのでしょうか、という疑問が浮かびます。それに対する答えは、代表値を計測した場所ごとによって異なることなのだから、どちらかだけが正しいという判断そのものが間違いになってしまうのです。
遠い昔は気象観測地点は少ししかありませんでした。埼玉県の熊谷市は、昔からの観測地点でしたので、その中では常に夏の暑さが際立っていましたから、「暑いぞ熊谷」と言い張ってきました。ところが、各市町村ごとに観測されるようになると、他にも「暑いぞ……」と宣伝するところがたくさん出てきました。それはそれで、市民の方が関心を持ってくれるのですから、決して悪いことではないでしょう。
ですけれど、今回東京都心の観測地点が移動したことで見られるように、単独の観測事例だけで全体を代表することの限界を知ることも大切なのだと知らされます。
同じようなことは、地震の揺れの観測でもあります。東北大震災の後、どうもあそこの地震計は周辺より大きな示度になっているようだ、と指摘されたことがありました。度重なる余震があったことが、地震計の校正に役立ったのでした。
気象の課題に限らず、観測されたデータとは何なのかを、時には考えることも大切なのです。
議席数が、国民の選択と大きく異なってしまう現在の衆議院選挙なども、課題を抱えていると思われます。

論戦

2014 年 12 月 3 日

いよいよ解散となって、衆議院の選挙活動が正式に始まりました。今回のマスコミの報道を見ていると、政権政党から発せられた文書の結果として、萎縮している側面が明らかに見られます。それは、政権が、これまでも「大いに論戦しましょう」と口先だけでは言っておきながら、実質的には多数の横暴で進行させてしまっているいくつかの事象が取り上げにくくなっていることからも判ります。秘密保護の話は、情報公開とのバランスによって成立することは、海外の状況から理解されるはずです。ところが、わが国では秘密は守るけれど、将来的に公表される保障が与えられていません。そうなると、担当者の恣意的な対応が許されてしまい、そのこと自体が国民の利益に反することに至ったとしても、誰も責任を追及されなくなってしまいます。海外の場合は、文書公開などが義務付けられていることで、歴史に耐えない判断が為されないような工夫が施されています。集団的自衛権の行使についても、議論大いに結構と、素振りだけで、実際の議論は不十分で、なし崩し型で国民に押し付けようとしています。
このような政局運営のいい加減さをマスコミが追及できなくなるだけの結果を、政権党の文書がもたらしてしまっています。これは、たいへん恐ろしいことで、副総裁が言っていた「ナチスだって合法的に政権を得ていた」というたとえ通りの筋書きが進んでいるように見えます。政権に就いていれば、このような批判を受けることは当然なのですが、この批判を封じ込めるてしまっています。それを抑え込もうとすること自体が民主主義に反しているとの自覚は全くないようです。困ったことです。そして、その結果として低調な選挙戦を進めて投票率が落ちれば、しめたことなのでしょう。
アベノミクスが良かったかどうかを議論するのでなく、第一の矢であった通貨膨張策をどのように収束できるのか、それを論じなければいけません。現状のまま時が過ぎれば、通貨不安からの経済破綻が強く恐れられることです。与党も野党も、そのことについて、国民に安心感を与える(具体策はどこも持っていないのかもしれませんが)方法を提示しつつ、議論してほしいものです。