安倍首相の発言

2017 年 10 月 20 日

不意打ち解散をして、足並みが乱れる野党の動きに安心しているせいか、また、不用意な発言をしたようです。それは、「森友学園の元理事長である籠池さんは、詐欺師をするような人だから、私の妻が騙されても仕方がない」という趣旨のことです。以前、首相は、「森友問題で、私や妻がかかわっていたとしたら、首相も議員も辞職する」と言っていました。今回の詐欺師発言は、自身の発言を振り返ると、森友問題で明恵夫人が何らかの役回りを演じたことを認めているわけですから、まさしく辞職に至る事態なのです。首相が、籠池氏をトカゲのしっぽとして舞台を終わらせようと考えているのでしょうが、そのストーリーに自ら酔ってしまい、余計な一言を発言してしまったのでしょう。本当に関与していなかったのだとしたら、このようには発言しないはずです。名誉校長などに持ち上げられる背景が全くないわけではなかったと、首相が思っているのです。相手が詐欺師だったから、そのように演じさせられた、という言い訳は、自ら断っているのです。そのような矛盾を抱えた発言を報道陣は衝き切れていません。首相がこれまで発言してきたことを、じっくり聞き取れば、首相自身が嘘をついていることが見えてきます。
もちろん、首相と言う立場である以上、籠池氏を詐欺師と決めつけることに問題があることも確かです。報道陣が指摘する、推定無罪の理屈を考慮すれば、現段階で籠池氏を詐欺師と決めつけることは、行政府の長である首相がやってはいけない禁じ手です。にも関わらず、このように発言して、自分は森友問題から逃れられると考えているとしたら、そもそも、それだけでも首相失格です。選挙では自民党が勝つかもしれませんが、それは、不意打ち解散で野党の足並みが乱れた結果であって、自民党が信頼されているわけではありません。必要以上に北朝鮮の挑発行為を煽って、自分たちの政権が、この問題を解決させる意気込みを感じさせないのでは、全く駄目なのだす。たしかに、北朝鮮との交渉は難しい課題です。しかし、その国が隣に存在しているのは、厳然たる事実です。だから、現実的な解を正しく見つけることが大切です。脅威だ脅威だと言い募り、圧力だ圧力だと言うだけでは、解に近づけないのです。せめて、正しく頭を使って、トランプ大統領のしもべになることはやめてほしいものです。

選挙の予測

2017 年 10 月 18 日

投開票日まで近くなってきたこともあって、衆議院選挙の結果を予測する記事が目につきます。今回の選挙に関して言えば、政権側の不意打ち解散で、きわめてアンフェアーな状態で行われています。報道陣は、結果の予測をする前に、このような事態となってきたことを、もっと厳しく批判しなければいけません。突然「少子化」が論争の対象だ、などと言いだして、政権側が国の運営においてしてはならない「忖度政治」をしたことなど、陰に隠してしまおうとしています。対する野党側も、準備不足と、東京都議選の結果を過剰評価した党首の驕りなどで、選挙戦としてはまともに取り組めていません。判りやすく言うならば、今回の選挙は「該当者なし」と書いて投票箱に入れるくらいしか抵抗ができない感じです。
それにしても、報道陣の姿勢には強い疑問を持ちます。不意打ち選挙であることを、政権側に対し抗議する姿勢が全く見られないからです。民主主義の本質を考えれば、不意打ち解散など禁じ手であることは誰にでも判ることです。そこを衝かなければ、報道機関の役割は果たせません。嘘で固めた選挙を、それでも結果を予測したいという対応は、判らなくもありませんけど、許せないものがあります。拙速な立ち上げをした政党は、選挙区候補の主張が届きません。個人的な主張をしないようにとでもされているのでしょうか。それとも、一つ本音を吐いてしまうと、党首批判になってしまうからでしょうか。この程度の政党と、候補者しかいない中で、憲法論議をしようとしても無駄でしょう。数さえ得られれば、憲法改正発議まで行ってしまうのでしょうか。国民にとっては、もっとじっくり話を聞きたいものですが。今年の5月3日に首相が表明した憲法改正スケジュールなどは、とても賛成できないものです。本当のことを隠して、国民をだまして、これからも国政を担当しようとしている政権を、筆者は許せません。

10月10日

2017 年 10 月 10 日

今から53年前、東京は日本晴れの天気でした。過去の天気などを調べて、この日を東京オリンピックの開会式に選定したメンバーにとっては、安心してほっとできたことだったでしよう。スポーツの秋にふさわしい日を選んで開会式とした前回のオリンピックに比べ、次回の東京オリンピックは、暑さ真っ盛りの中で行われることとなります。さまざまな条件が変わって来たからと言って、競技者にとって望ましくない時にオリンピックを開催する理屈が理解できません。オリンピックを取り巻く商業主義の結果だとの解説も、ひとつ判らないことがあります。そのような競技者を排除するような企画をしておきながら、結果としてのメダル数獲得に目の色を変えるような人たちに、スポーツを語る資格はないと筆者は考えます。文明の進歩で、世界どこで行われていても、生放送で映像を見ることができるようになったのは、喜ばしい反面、このようなトラブルを招いてしまうこともあるのです。ローマオリンピックで、裸足のアベベが独走で優勝した時は、さまざまな伝説が一緒に聞こえてきました。そのような素直な驚きが伴う方が望ましいことなのかもしれません。当時は、電送写真が新聞を飾る時代で、粗い点だらけの写真が伝えた映像は、今の時代でしたら、とても耐えられないものでしょう。それでも、そのような伝達手段しかなかったからこそ、オリンピック競技の結果に、心を動かされたのだとも感じます。映像の伝達手段が飛躍的に向上したばかりに、現地のコンディションなどを置き去りにして、競技の順番などが変えられているのだとしたら、本末転倒と言うべきではないでしょうか。実施時期、編成など、メダル至上主義とともに、今からでも反省してほしいものです。
今日、関東地方は、暑いくらいの好天となりました。スポーツの秋は、こういう日に行われるべきなのです。

アンフェアーな

2017 年 10 月 7 日

今回の解散について、昨日のテレビ番組の解説で指摘されていた、「与党はアンフェアーな姿勢である」との内容に納得しました。解散権がどれだけ存在するのかは、憲法を読んだだけでは見えてきません。しかし、第7条による解散とされる今回の事態は、憲法を制定したときには、想定されていなかったのではないかと思います。先日も少し触れましたが、国会と政府とが合意できないような何かがあった時の解散については、憲法69条に基づいて、解散が行われます。そのような備えとして憲法が規定している「解散」に対し、今回の7条解散と言うのは、手続きを定めた内容を強引に解釈して解散しているように見えます。その権限が首相だけに与えられているものだ、というのが定説のようですが、憲法上の隙間をこのような使い方をして良いとは認められない考え方が、国際的にも強くなってきています。言い換えれば、憲法上の不備をついて、かつ、野党の姿勢が整っていない不備をついて、解散に踏み切ったこと自体が民主主義のルール違反で、アンフェアーだと解説委員は指摘したいたのでした。このような無理をした解散をしていて、野党の歩調が整いきっていないことをあげつらうというのは、とても恥ずかしいことです。今更あの首相に恥ずべきだ、などと指摘してみたところで、効果はないかも知れませんけれど、正しい道は示しておく必要があります。森友学園問題、加計学園問題のいずれも、首相の厚顔無恥な要請を周辺が忖度してしまったところから発生していたのです。それを防ぐためにも、間違いは間違いなのだと指摘し続ける役割があると、筆者は強く思っています。
昨日の解説者は、与野党両方に辛口のコメントをしていましたけれど、ことの本質を衝く力ははっきり見えました。報道陣全体が「忖度」モードに侵されつつある中で、あのような解説を聞くとすっきりした気持ちになれます。

政治家同士の騙しあい

2017 年 10 月 5 日

今回の選挙に当たって、小池都知事が希望の党をスタートし、それに合流するかのように、民進党からの議員が流れ込みました。首相の不祥事に関する議論が、丁寧な説明がされないまま、この状況になりました。今朝の新聞に、政治家の言葉の重さが失われていると、指摘されていました。筆者も同感ですが、ただ、重さが失われているだけではなく、平然と相手を裏切っているのではないかと疑います。小池知事と前原委員長の会談の後、前原委員長が党の議員総会で述べていた内容から言えば、希望の党側が排除の理屈を述べないと考えていたのだろうと思われます。ところが、実際には、民主党時代を担った何名かを排除の対象リストとして持っていたのです。そのうえ、安保法案に賛成であるという踏み絵も突きつけました。都民ファーストの会、小池都知事の政策の中に、これほど強いものがあったなどとは、国民の大多数は承知していませんでした。踏み絵の中の安保法案に対する記述が、原案より弱まったあたりに、このストーリーが急造であったことがうかがえます。選挙であるから、争点を作り自分たちを肯定する動きそのものを否定はしませんが、瞬間だけで相手を罵倒するような縛りをしてしまって、その延長で国の運営ができると本当に考えているのでしょうか。きわめて疑問に思います。選挙の当落は、候補者にとっては命なのでしょうが、なりふり構わずに当落だけにしがみつくような候補者は、結局国家のためになっていないと考えざるを得ません。政党の間や、候補者の間で、言葉をいい加減に使って騙し合いをしていて、最終的には、国民を平然とだましているに過ぎないのだと、気が付きます。このような現象は、本欄で再三指摘してきた、選挙ゴロにより選挙が取り仕切られ、政治ゴロが国会に送られている、という嘆くべき現実を示します。
騙し合うような人たちに、この国の行く末を託さなければならないなら、国民全体が不幸になるだけです。質が低下し過ぎている議員候補者のリストを見るにつけ、民主主義を維持する困難さを覚えるのです。

解散の先に

2017 年 10 月 2 日

臨時国会の冒頭で衆議院の解散を宣言し、選挙戦に入りました。ただし、取り組む政党の枠組みがまだはっきりしていないところなどがあり、情勢ははっきりしていません。小池都知事が提唱している「希望の党」が、民進党に仕掛けた合流話は、お互いにうまいとこどりだけを狙った寝技のように感じます。もちろん、今回の選挙も、大方のところは、選挙ゴロが取り仕切り、政治ゴロを当選させるだけのことでしかないのでしょうけれど、森友学園、加計学園の二つの問題に象徴されている政治の私物化を一定範囲に納めようとするには、この機会を最大限利用しなければいけません。絶望的な状態てはあっても、絶望してよいのではありません。少なくとも、今年の都議会議員選挙の時のように、既存勢力に打撃を与える可能性があるなら、少しでもその方向を求めるべきだと思います。あの都議会議員選挙の時は、投票率が向上し、既存の団体などが票読みできる範囲を越えたことで、結果として既存政党の牙城が崩れたのでした。同じようなことが起こってほしいとは思いますが、挑戦する側の新鮮さが失われつつあるのを見ると、政治への期待が弱まります。
それでも、既存政党で議席数頼りの議会運営をしてきた現与党にしてみれば、思わぬ結果がもたらされる可能性が出てきただけに、狼狽えた対応が見えます。「看板だけ掛け代えた議員に何ができるのか」という問いかけが、選挙戦の中で聞かされるでしょうが、その主張は政治を私物化したことを免罪させるものでないことだけははっきりしています。本欄で再三指摘してきたことですが、お友達の学園に有利に動くことを、戦略特区などと言う言葉でごまかして実行させてはいけないのです。
あまりの虚しさに、執筆することを躊躇してしまったほどです。

衆議院解散

2017 年 9 月 27 日

自党に優位な状況となったことを見計らって、安倍首相が衆議院を解散します。建前と、腹の中の読みが異なっているため、取ってつけたような政策論争も全く意味をなしていません。それでも、報道機関は、無い大義をあるかのように見せなければ、役割を果たせないとばかりに、無理矢理論争を仕掛けようとしています。今回の解散に当たって、安倍総理は露骨な嘘をつきました。森友学園、加計学園の問題で、真相の究明がなされていないにもかかわらず、閉会中審査などで、問題はほぼ解明されていると、言い放ったのです。臨時国会の開催を求められて、それに対する臨時国会を今月末から開くと釈明していたのに、その冒頭で解散させてしまうことは、あのとき使った言い訳を自分自身で反古にしていることに他なりません。その嘘こそまず追及しなければならないのに、マスコミ各社は、首相の意向に沿うような対応しかしていません。人の噂も75日、なのか、喉元過ぎれば熱さを忘る、なのか、情けない話です。しかし、今回の状況の中から一つだけ見えてきたことがあります。憲法改正論議に、首相による衆議院の解散権の制限を明確にすること、というのを付け加えるべき点です。本来、解散を行えるのは、議会と政府とが対立してしまい、停滞してしまうような状況に対処するためのものです。ところが、首相の専管事項だと決めつけて、今回のような党利党略、疑惑隠しにその手法を利用しようとしていることは、それだけでも許されないことですけれど、議論されるべき憲法問題への一石として、尊重するべきことなのだと思います。それは、自衛隊の問題などよりも、民主主義にとって、より重要な課題だからです。国民が平等な立場で、それぞれの政党に対しどれだけ共感が持てるのか、素直にその結果が反映できるような解散とされるべきなのです。
政府のスポークスマンである官房長官は、「怪文書」として、首相が不利になってしまう文書を排斥しようとしました。また、この官房長官は元文部科学事務次官の人格を貶める攻撃を仕掛けました。このような非道は、見過ごすわけにいきません。厳しく質問してくる記者に対する対応も、入り口のところで民主主義を否定するかのようです。一連のこれらの政府対応を、国民はまだ忘れてはいません。

中学校の給食について

2017 年 9 月 23 日

神奈川県のある町で、この春から始めた給食の評判が良くないと、報道されています。筆者の中学校時代は、弁当を持参していた記憶があります。肩からかけるカバンに入れた弁当から浸みだした汁で、カバンに微妙な色が着いてしまった覚えがあります。新聞紙が弁当の包み紙だった時代でした。弁当を持たない人は、パンを購入する方法もありました。出入りの業者に、朝申し込みをすると、お昼の時間には、届くシステムでした。ですから、今回の給食騒動の中身は、筆者の体験からは指摘することはではないと思いますが、関係者の釈明などを聞くと、どこか根っこのところで間違いを犯しているのではないかと疑います。給食センターで作られた給食が、学校まで配送されて、おいしく食べられるための条件を、関係者は事前に検討したのでしょうか。一つは、給食センターが町の外にあることが問題なのではないかと感じます。ただ、食べ物を作って配送するだけでは、給食を「食育」の一環と位置づけるには不十分です。少なくとも、その中学に通う生徒たちを思い浮かべる人が給食を作るような条件にしていたら、今回のようなトラブルは起きなかったのではないでしょうか。中毒の予防の観点から、加工された給食は、一定の温度以下で運ばれます。生徒たちの口に届くとき、給食にどれだけの愛情が籠められているのか、どうしても疑問に感じてしまいます。町役場の担当が、「食育の意味からも薄味にしている」という趣旨の話をしていましたが、どれだけ生徒たちの要望に応える努力をしたのでしょうか。これまでの経過から見ると、この町の学校給食は不幸なスタートを切らされているようです。もう少し、初心に帰って、生徒たちが積極的に受け入れられる学校給食の体制にしてほしいと願います。
この報道の中で気にかかることもありました。クラスの中で、完食している子が少数ですがいるのです。インタビューに対して生徒たちは「味が悪い」「夾雑物があることもある」など、不評ばかりでしたけれど、その給食を完食する子供たちのことが気になるのです。贅沢など言えずに、この給食を食べているのは、普段おなかをすかせているからだとすれば、他の級友たちが勝手を言っているだけにも感じます。筆者の小学校時代、学校給食の中で、脱脂粉乳によるミルクがとても不評でした。ところが、このミルクをおいしいとお代わりする子がいたのです。不思議な気がしましたが、今にして思うと、彼にはまずいなどと言える状態ではなかったのだと思います。このミルクでも飲める幸せを感じていた級友がいたことを、とても切なく思い出すのです。

地震対策

2017 年 9 月 21 日

東北大震災の後、毎年のように大きい被害を伴う地震が起きている気がしています。太平洋の向こう側のメキシコでも、地震の発生による多数の死者が報じられています。世界全体が、地震の静穏期ではなく、活動期にあるためでしょうか。東北大震災の後、ずっと気になっていることがあります。それは、ひずみが残った結果として、どこかで、奥羽山脈西麓を震源とするかなりの規模の地震が発生するだろうと指摘されていることです。先日秋田県の大仙市を震源として、最大深度5強の地震がありましたが、予測されているのは、これよりもう一段階強い地震です。東北大震災の後の地形の変化が、どこがどれだけ動いたのか(以前に比べ。精密なGPS計測などの結果)が示されると、たしかに、このままでは終わらないだろうと考えられます。ただし、このひずみの抜け方として、必ず大地震の形をとるかどうかは、判らないことも多く残されています。地震が発生するたびに、速報とともに、津波に関する注意が喚起されます。たしかに、あの東北大震災の時は、地震の「揺れ」よりも「津波」による被害の方がはるかに大きかったのですから、報道機関のこの姿勢に間違いはないのでしょう。ただ、考えてみなければいけないことは、本当に何万分の一でしか起こらない「「津波」が、われわれの想定を超えた被害を与えたことです。東京電力福島第一発電所で起きた事故は、想定外であったことは確かなのでしょうが、被害の甚大さをあもぇば、想定外であるという言い訳は、どこにも通用しないと感じます。
貞観年間以来のことかもしれませんが、人は少しでも災害を小さくするために、最大限の努力をしなければいけないと思います。
翻って、「戦争を起こしてはいけない」という大切なことは、自然災害回避の重要さと同等です。国連の演説で、戦争が必然であるかのように話をする大統領を、筆者は全く信頼できません。その尻馬に乗るだけの、わが国の首相も信頼できません。

余りにも無責任な

2017 年 9 月 19 日

突然衆議院の解散がなされようとしています。以前、臨時国会の開催を求められたのに対し、与党は、今月下旬からの臨時国会でこれに応えるとしていました。ところが、この臨時国会の冒頭で首相は国会を解散するというのです。と言うことは、「丁寧に国民に説明する」という自身の立場を放棄しようとしているのです。国民に対する背信行為以外の何物でもありません。国会の議席数だけに物を言わせて、質問に対しては、正しく答えようとせずに、「記憶にない」「記録にない」を連発して、森友学園問題、加計学園問題を逃れてきました。本欄では再三指摘した通り、「李下に冠を正さず」という諺を知っているのであれば、それだけで十分、首相は辞任すべき問題なのだです。細かくどのような事実があったから、という問題以前に、お友達に対し便宜を図ろうとした首相夫妻の立場は明白だからです。本当に公正だと考えているのなら、堂々とを述べれば良いことでしょう。公正さを失わさせる忖度などが、首相官邸の周辺で起きていたことは、これまでの審議経過だけでも国民には見えてしまっています。その結果として、支持率が激減したため、一時はしおらしく振る舞っていたものの、野党がオウンゴールのような失態を演じているので、この際解散してしまえ、と考えたのでしょう。どう見ても、国民を馬鹿にした判断でしかありません。北朝鮮の挑発的態度を煽るような言動も、国とトップとは思えないものです。その陰に、森友学園問題も、加計学園問題も隠しきれると思っているのでしょうか。確かに、支持率は一時より回復し始めています。それだけで、このような国民を愚弄する政策判断が子実れると思っているのでしょうか。
情けない話ではありますが、国民のできることは、投票でこのような与党の大勢を認めない、とする方法でしょう。余りにも無責任な解散は許せないことですから。