心の拠りどころ

2017 年 8 月 21 日

人が生きて行くうえで、心の拠りどころを持つことはとても大切なことだと思います。拠りどころと言うと大げさすぎるかもしれませんけれど、例えば「お天道様に顔向けできないことはしない」という心情などは、それだけで立派な拠りどころだと思います。最近の世相の関係で、若い人たちに「拠りどころ」に当たるものが見えにくくなっていると、先日参加したあるシンポジウムで演者が述べていました。筆者が若かった時代は、世の中を理想に近づけていくことができるのではないか、という社会全体の認識がありました。ですから、世の中の間違いを、若さから見て糾弾していくことは当然と思われていたのでした。ところが、理想を求めていても、現実はそれに近づこうとしない、というある「現実」が厳然として存在していると感じられる現在、筆者が若かった時代に思い描いた理想は、幻のように消えてしまっています。心の拠りどころがないことが、日々を生き続ける力の欠如につながってしまうこともあると、演者が指摘されていたことに、妙に納得できてしまいます。だからと言って、拠りどころを求めてオウム真理教のような教団に引きづりこまれるのでは、若い人の一生はかえって悲惨なことになってしまいます。今回参加したシンポジウムは、このような結果として反社会的な発想には至ることがない拠りどころをどこに求めるか、という問題意識もあったようです。自然科学を深めようとする学生たちに、誤った拠りどころの選択をさせてはいけない、という大学側の立場は、オウム事件を振り返るとよく理解できます。この大学側の考え方が、素直に学生に浸透するものでもないことを、演者の方たちの言葉から判りました。使命は大切であっても、その思いどおりにはならないのは世のならいです。
アメリカのトランプ大統領に代表される、これまでの常識からは評価できない言葉を平然とツイートする人がいます。判りあえるはずだという期待が簡単に裏切られてしまいます。そのようなことは、海の向こうだけの話ではありません。森友学園問題、加計学園問題の議論のされ方を見ていると、この国は法治国家なのだろうかと疑ってしまいます。「記憶にない」「記録にない」ということを口にしてはならない人が、ずうずうしくも口にして、出世の先が国税庁長官と言う、ふざけた話がまかり通っています。
心の拠りどころを失わせているのは、このような世の中の動きそのものなのかもしれません。

東京大空襲

2017 年 8 月 17 日

最近のテレビ番組の中で、日本が敗戦間近に受けた大空襲の背景を解説したものがありました。日本の本土への爆撃を有効に行えるようにと、まず南の島を攻撃し、そこから日本を狙おうとしたアメリカの作戦の経過を見させられると、ここまで裸にされてしまった後に、本土決戦を叫んでいた軍部の先の見え無さを非難したくなります。本欄では何回も書いたことですが、東京大空襲のような非戦闘員を無差別殺戮した作戦は、当時の国際法に照らしても違法な行為であるはずです。このテレビの番組を見て、アメリカ側は、非戦闘員であっても、それなりの理由を付けて殺戮して構わないと、指示していたのだそうです。確かに、アメリカにしてみれば、南方の島々を制覇してようやく日本本土への空襲拠点を得て、国際法を守っての爆撃など構ってはいられない状態だったのでしょう。戦争とは、そのようなひどいことなのでしょう。爆撃機の搭乗員に対し、動いているものならすべて、というような指示があったとも伝えられました。都市の非戦闘員を無差別殺戮したり、鉄道を目標に襲撃したり、あとになって思えば非人道的な行為なのですが、それらを当たり前にしてしまうの手が、戦争なのでしょう。
これは、現在シリアなどで行われている内戦でも同様なことなのだと感じています。戦争をいったん始めてしまえば、国際法がどう規定していようと、戦闘要員のモチベーションを抑えてしまうような抑制は効かなくなってしまうのです。核廃絶への道のりをどのように示すことができるのかは、唯一の被爆国である日本の首相に求められていることなのですが、そのことさえ十分理解できずに、狂っている現状を嘆きます。
この空襲のように、戦争は相手の戦闘要員とだけ戦うのではなく、相手の非戦闘員を人質にして、どれだけダメージを与えられるかの話になってしまっています。これを間違えて解釈すると、だからテロ行為も当然だとなってしまうのですが。違う見方をすれば、戦争の過酷さを正しく理解すれば、外交交渉によって他国との関係を作り上げて行く大切さが判るはずです。
敗戦記念日近くのテレビの特集を見て考えさせられました。

首都圏夏異変

2017 年 8 月 14 日

5月のころから暑い、暑い、と嘆いていましたが、このところ首都圏の気温が上がらなくなっています。そのうえ、雨の降る日も多くなって、なんだか梅雨空に戻ってしまったかのようです。このような天気を見ると、昔おつきあいしていたスイカ農家の言葉が思い出されます。「おいしいスイカをたくさん食べてもらうには、しっかりした暑さが来てくれるのが一番」。今年の異変は、お盆前のスイカの販売に影響が出てしまったでしょうか。お盆過ぎのスイカは味が少しおとっていた記憶もあります。身体にとって、厳しい暑さより涼しい方が良いのでしょうが、これほど暑さが弱まってしまうと、スイカ農家のことが少し心配されます。首都圏が涼しい日が続いていても、豪雨被災地の九州や関西は、猛暑日がかなり頻繁に観測されています。例年、残暑の厳しさも首都圏と西の方とでは随分違うと感じています。西の方にお住いの方々には、文字通り、残暑をお見舞い申し上げます。
本欄では、国会の騒動の問題は、首相やその周辺が素直に謝るよりほか、正しい解は得られないと思っています。どう考えても、権力を持つものの傲慢さが出てしまった問題なのですから。岩盤規制の突破、などとさも重要な事項であったかのように触れ回っていますけれど、獣医学部新設は、そのような価値に値するものではありません。少なくとも、加計学園の志は、その高さにありません。すでに行われたオープンキャンパスでの勧誘に、その姿勢は出てしまっています。愛媛県の元知事が、公務員獣医師の不足を嘆いていましたけれど、それは、今回のような学部新設で越えられる問題ではないのです。国会中継は、逃げ回る答弁をする官僚の姿にも絶望させられましたが、それ以上に事の本質が見えてくれば、質疑そのものが茶番でしかないと感じたものです。
夏は夏らしく適度な暑さがあるのが当たり前です。わが国の国会も、もう少し高い次元の意見のやり取りができるところまで育ってほしいと願うばかりです。

問題の本質

2017 年 8 月 11 日

昨日行われた国会閉会中審査の議題である「自衛隊日報隠ぺい問題」については、報道陣の取材姿勢もまるで夏休みのようにいい加減になって、真相が国民に伝えられる機会を失わせるかのようでした。今回政権が国民からの信頼を失ってしまっていることの理由が、このような報道陣の姿勢の中にも見られるのではないかと、筆者は感じています。それは、この国会での質疑のやり取りの中から、真実を見出す努力が全く感じられないところにあるのです。質問される側は、言い逃れる姿勢ばかりで、その答弁の中から真実が全く浮かんできません。質問する側にしても、そのような全体の姿勢に切り込むだけの周辺調査ができていない(それを暴くのは決して簡単ではありませんけれど)状態なのです。このようなやり取りは、多くの国民を白けさせ、政治に携わる人間への不信感を高めるばかりです。追求が弱まったからもう大丈夫、と逃げられる問題ではありません。先日も本欄で書きましたが、加計学園問題など、そもそも発生させてはいけない問題なのです。首相と深い交友関係を持つ学園主であるなら、その首相の在任中は、この問題を提案してはいけません。なぜなら、どのような結果になったとしても、そのプロセスが疑われてしまうからです。首相を辞めてから初めて、岩盤規制の突破だろうが行えばよいので、首相に在任している間は、このような問題を取り上げることを避けなければなりません。お隣の韓国で、前大統領が裁かれる身になっているのは、そういう関係を利用しようとしたからにほかなりません。地位を得たものは、もっともっと謙虚にならなければいけないのです。間違っても、自分が居る地位を利用して、お友達を優遇したかに見える結果を得てはいけないのです。
そのような政治家のモラルの第一歩を自覚していれば、加計学園の問題も、森友学園の問題も起きることはなかったのです。ところが、権力についているといつの間にか政治家としてのモラルを忘れてしまい、自分や自分のお友達に利を与えてしまいます。人間としてきわめて恥ずかしい行動です。その経過を国会でやり取りして、官僚たちが逃れられる範囲だからと、「記憶にない」と発言します。このような全体が国民を腹立たせてしまい、支持率が一挙に低下したのです。
今からでも遅くはありません。今回の加計学園問題は、「李下に冠を正さず」の示すことを思って、すべて白紙に戻させてください、と首相が首を垂れれば、信頼は少しは戻るかも知れないでしょう。

李下に冠を正さず

2017 年 8 月 8 日

今回の加計学園問題の答弁の中で、安倍首相は、「李下に冠を正さず」の故事に倣えば、釈明のしようがない話だと述べました。その諺を知っているなら、現在追及されているような事実経過の問題以前に、首相及び周辺の人たちはアウトなのだと思います。首相とは、そのような権限を持つことができる人なのです。与えられている権限の大きさに対し、もっと謙虚に恐れていれば、今回のようなスキャンダルは絶対に起きないことです。自身が国家戦略特区の議長役であり、常識的な人であるなら、長年のお友達である加計学園の理事長に対し、「今は適期ではない」と止めるべきことなのです。このような潔さを持てないとしたら、その人は首相には相応しくないのだと言わざるを得ません。ですから、内閣支持率が下がり続けたのは、個別の答弁の内容だけでなく、このような論理の組み立てで釈明できるだろうと、たかを括った姿勢そのものが国民に受け入れられていないことなのです。そう考えれば、「忖度」の話にしても、行政官の突然の健忘症の話も、つまらないことで国会を騒がせた居るだけなのだと、合点がいきます。愛媛県の元知事がせつせつと訴えたことは、万一加計学園が認可されたとしても、実現できないでしょう。その程度の学生募集姿勢しかできていないのですから。判りやすく言えば、今回の加計学園獣医学部創設問題は、岩盤規制を突破するような意味づけされるものではなく、大学関係者のある種の名誉欲に媚びる程度のことなのです。
一国の総理として、とても恥ずかしいことが明るみに出ただけです。今更言葉だけ丁寧なことを言ったり、「李下に冠を正さず」などと格言を引いてみても、なんの足しにもなっていません。政策に対する発想の根源が、情けないほど低劣になっているからです。わが国に課せられている政策課題は、もっと大変なことがいっぱいあります。何より、次の世代に対して責任ある今を作り出すという、最も大切なところがこれほど欠けてしまっている現状です。ここを見直して、恥じることなく次世代への継承を行えるようにすること、それが何より必要です。

拝啓トランプ大統領殿

2017 年 8 月 6 日

就任して半年余り。思いをぶちまけることに関しては、どこの国のトップにも劣らないように見えますが、そこで述べたことが自分の思いどおりにどれだけ進むものか、反省点も多いのではないかと思います。筆者の住む日本は、貴殿の指摘されたように、自動車の貿易について言えば、当方が輸出する量に対し貴国からの輸入量が著しく少ないのは、事実としてはまったくそのとおりです。これは、関税以外に不公平を及ぼす何かがあるはずだ、とのお疑いはごもっともです。そこで提案です。一度日本を尋ねてみてはいかがですか。そして、何を観察してほしいかと言えば、日本の道路事情の悪さです。筆者の住む町の多くは、道路の幅が片側一車線さえ確保されていません。歩道が整備されているところなど、ほんの僅かです。例えば小学校へ通う学童を守るために、集団登下校という形をとっています。集団であれば、上級生が周辺に注意して、交通滋味が減らせるだろう、と考えられたからです。また、学校周辺の道路の一部は、「通学路」として指定され、自動車が一定の時間帯つうこうできなくなっていたりします。このような策が講じられていても、年間に何回か通学グループに自動車が突っ込んでしまったという悲惨な事故が報じられています。悲惨なのは、学校に通う学童ばかりではありません。このような狭い場所を歩くとき、道路に緑色が塗られて、人はここを歩くように指導されます。場所によっては、この緑色の幅がとても狭く、トランプ大統領のような体格の人出ははみ出してしまうくらいなのです。そのうえ、自転車もこの幅を通りなさいとされれば、歩くことの不安を誰もが強く感じています。このような場所に、貴国で生産されている大きな車が通れるわけがないのです。もっと貴国からの自動車輸出を拡大したいのなら、日本の道路事情を勘案した自動車を設計して力を入れる必要があるのです。実際、欧米の自動車メーカーはそのような策をとって、販売量を拡大させ続けています。
幸い、日本には外圧に弱いという風土があります。もっと大きな自動車が走れる環境を作りなさい、とか、人がゆったり歩ける道路を作りなさい、という圧力をかけてくださるのでしたら、どうぞ力を発揮してください。日本の庶民の多くは、トランプ大統領のそんな方針転換を支持するかもしれませんよ。
結果としての貿易不均衡を、数値だけで読み取るだけでは大統領は務まりませんよ。

内閣改造

2017 年 8 月 3 日

これまでの内閣は、その任にふさわしい資質を持つとはとても思われない人たちが沢山いた内閣でしたから、改造する必要性は十分認めます。しかし、在任中に起こしてしまった不始末に関しては、これで終わりにすることなど許されるものではありません。とくに、自衛隊の日報の隠ぺい装置に加担していたと疑われている稲田防衛大臣は、国会・国民に対して十分な説明をする責任があります。さらに心配されるのは、自衛隊がらこれからは公開しないことを原則にしたい、とするようなことにさせてはいけません。外交や防衛に関する事項は、微妙な部分がありますから、すべてを常時公開しろとは言いませんが、いずれ公開されるものと自覚して、外交交渉の経緯や自衛隊の日報を管理することを当然と考えておかなければなりません。改造前の内閣の挙動を見ていると、判りません、記憶にありません、承知していません、など、担当していた人の口から述べられてはいけない言葉が、実にたくさん重ねられました。そのことが内閣支持率を低下させていたのですが、相変わらず首相は「丁寧に説明する」と口にはしていながら、本人も取り巻きも、とぼけ続けるばかりです。こんな状態で国政は大丈夫なのかと心配します。太平洋の向こうでも勇ましいだけの大統領がいますが、周辺の人事が全く落ち着きません。どのメンバーも大義を掲げることなどなく、大統領との親密性だけを口にしているようですから。
翻って、北朝鮮の挑発外交は相変わらずで、地球全体に向けて駄々をこねているだけにしか見えません。その挑発行為に踊らされて、わが国は大局的な外交姿勢が崩れているようにさえ見えてしまいます。アメリカ大統領の発言で、太平洋の向こうにいるからと、韓半島を戦場にして良いとする選択は間違いでしょう。自分たちが遠くにいるからと、きな臭さを煽っているのはトランプ大統領は北朝鮮とよし似ています。もう少し落ち着いて外交交渉を行える人材を登用しないと、アメリカ自体が地盤沈下していくばかりでしょう。
改めて指摘しておきます。改造したからと言って、改造前の内閣が犯した過ちが免責されるものではありません。変わったからこそ、新しい大臣が正しい言葉で、過去を釈明しなければいけないのです。辞表と言う決断をされた人に対して、もう責任の追及などできません、と不貞腐れているような自民党関係者は、その姿勢の恥ずかしさを知るべきなのです。

地番表示

2017 年 7 月 31 日

初めての場所を訪れるとき、大抵は地図で位置を確認し、歩いて行くことにしています。最近の人のように、スマホの地図機能を用いる策を持たないものですから、事前のチェックを周到にして、頭の中に地図を入れて現地に赴くことになります。先日、そのような場所に行く機会がありました。目的の場所の住所をネットで調べ、地図情報と重ねて、一時間余り電車に乗り訪ねました。猛暑日にはなっていませんでしたが、歩いていると汗が額から流れます。歩いて10分程度だろうと読んでいましたから、これくらいの汗は苦にはなりません。目的としている町名がようやく見えて、そろそろたどり着くだろうと思ったのですが、見つかりません。私鉄の駅があったので、そこに大きな詳しい地図があるだろうと寄ってみましたが、期待外れでありません。それなら、ぐるっと回るつもりでと住宅街を進みます。目的としている先は、公の機関ですから、補助的な標識がどこかに見られるはずだと思い歩くものの、見つかりません。幸い、他の部門ではありますが、公の機関があり、そこの学芸員の方に道を尋ねることにしました。とても親切な方で、地図を一緒に見て探してくださいました。駅から歩いてきたコースを逆回りにたどった場所にあることが判りました。大きな国道に出て、駅を目指せば見つかりますよ、と言われて勇気百倍、それにしても、事前に調べた場所とはどうして違うのかが判りません。汗をかきかき歩きます。お役所ですから、夕方の終業時刻を過ぎてしまえば、全部無駄になってしまいます。一生懸命歩いているつもりでも、最近は速く歩けなくなっているのを感じます。
国道に出るひとつ前の道が鉄道を越える形が、地図で見た国道ととても似通っていたため、また、少し遠回りをしてしまいました。それでも、お役所が閉まる時刻にはまだ余裕を残して、目指す建てたものを見つけました。大きく「法務局」と書かれています。たしかに、近くまで来れば間違いなくたどり着けます。それにしては、どうして今日のような間違いを犯してしまったのだろうか、疑問に思いつつ、書類申請をして用件をこなしました。
全ての処理が終わった後、窓口の方にお聞きしました。「ここの本当の住所は何番地なのですか。〇〇2丁目というので、だいぶ遠回りをしてしまいましたが」すると、答えは「〇〇2丁目ではなく、〇〇町2丁目がここの所番地なのです。紛らわしいのですが、そうなっていますので」 同じ市内に、〇〇2丁目と 〇〇町2丁目が両方あるとは気づかないことでした。でも、よくこのような表記を市民が受け入れたものだとつまらないことで感心させられました。
以前にも一度ひどい目に会ったことがありました。目的の番地を探すと、奇数番地があるのに、偶数の番地がないのです。11番地の隣が13番地になっていて、探している12番地が見つからないのでした。このときは、偶数番地ブロックと奇数番地ブロックが別の街区になっていたのでした。
世の中いろいろなことがあります。こういう経験をするのも冥途への土産話づくりなのかもしれません。

東京都知事選挙から一年

2017 年 7 月 29 日

小池都知事が選ばれてから、間もなく一年になります。もう一年が経ってしまったのか、と思う人や、この一年で東京都の問題がこれほどまで出てきたのか、と感慨にふける人など、様々かもしれません。大きくは、二つの問題があったと筆者は思っています。一つは、オリンピックの実行にかかわる問題で、利権集団がはびこっていた状態からなんとか都を救おうとしたことです。なんでもオリンピックのためだと言えばとおるからと、怪しげな企画がされようとしてきた点に対し、小池知事はメスを入れようとしました。会場問題の再検証はその一つでしたが、議論を巻き戻すには遅かった印象となりました。しかし、再検証をしたことで、怪しげな部分が少なくなったと感じます。大きなお金が動く陰に、怪しげな活動をする人がうごめくというのも、政治の一面ではありますが、この怪しげさを少なくさせるのが本来の政治家の務めです。反対に、その怪しいお金に目がくらむような政治家(筆者は政治ゴロと呼びます)は退場してほしいと、小池知事の動きを見て感じたものでした。もう一つは、市場の移転問題でした。決着がついて移転が目の前に見えている段階でしたが、土壌汚染対策として有識者会議が指摘していた「盛り土」工事が実際には行われていなかったことが発覚したのです。このことは、問題を複雑にさせました。誰がどうしてこのような簡略化した工事で良いと了承したのか。という過去に対する追及が一つです。もう一つは、ひのようなずさんな工事がされてきたことが、実際に不安を巻き起こさないで済む話なのかどうか、と言うことでした。元知事が居直って都議会に出てきても、すっきりとした過去のいきさつは浮かんできませんでした。反対に、この問題を取り上げていることが、都知事が判断できないことだ、と上げ足をとろうとした自民党は、結果として今年行われた都議会議員選挙で大敗北を喫することになったのでした。現在は、豊洲、築地の両者の特色を生かして、将来スケッチができたことになっていますが、庶民にはまだ見えないところがあるような気がします。特に、地下水に含まれているとされる汚染物質、中でも揮発性のある汚染物質もあるというのですから、これを本当に封じ込められるのか、技術的な話しで少し不鮮明感がある気がしています。
それにしても、東京都と言う大きくなりすぎた自治体は、放っておくと、直ぐに腐り始めるような印象です。それは、自治体を取り巻くメンバーのうち、議員と呼ばれる種族の多くが、腐臭を身に着けているからではないかと疑っています。今年選ばれた議員が初心を忘れることなく、その責務を果たしてほしいと、期待しています。万一、前任者たちのような腐臭を帯び始めたなら、強く指摘しなければいけないとも感じています。

真実を求めているのか

2017 年 7 月 26 日

国会閉会中の審査が、一昨日、昨日と行われました。中継の全てを見ることはできませんでしたが、審議に加わった人たちが、過去の経過を正しく伝えたいと努力しているようには見えなかったところが、最も情けなく感じたところでした。言い逃れをしようと言う気持ちが強いために、質問に対する答えとして「私の記憶によれば……」と結果としての嘘を言っても後で言い訳できる言葉を並べる参考人がいました。これでは、時間の無駄だと言われても仕方ないでしょう。このような言い逃れをしている人が、官僚のトップに立つ可能性がある、と言われれば、この国の先が思いやられます。また、「加計学園ありき」と追及されることを懼れるばかりに、首相は「特区の申請者が今治市であるとは承知していたが、そこで実行する事業者が加計学園であることは、申請が確定して初めて知った」という露骨な逃げの言葉を用意していました。これで、国民に信頼してほしい、と言うのですから、開いた口がふさがりません。第一、この答弁は、これまでの国会で話していたことと全く異なった内容なのです。誰か知恵のあるものが、このストーリーを描いたのでしょうが、建前でしか承知できていなかったとの筋立てには無理が感じられます。その無理が暴かれないようにと、政権側はこれで審査は終了できたと言い張っています。しかし、多くの国民は、政権側が嘘で塗り固めている状態だと判ってしまっています。
加計学園問題とは別に取り上げられた防衛大臣の隠ぺい承認問題など、本人がどれだけ言い訳してみても示された事実からみれば、言い逃れできる話ではありません。それを庇い続ければ首相本人にも傷がつくのだと、どうしてわからないのでしょうか。しゃべってしまってから問題点を指摘されると「お詫びして撤回します」という言い訳が、自分だけには永遠に続くはずだと思い込んでいるのでしょうか。これ以上の醜態を見せないでほしいものです。本人も、そして首相も。
永田町の論理で嵐をやり過ごしたつもりでも、国民の不信感は簡単には拭えないのです。言葉だけ丁寧に、としていながら、本筋では嘘をついているのですから、状況は改善できません。
それにしても、情けなさばかり感じられる国会中継でした。