予想外の

2016 年 12 月 9 日

今年の出来事の中で、世界中の関心を集めていたもので、予想を裏切る結果となった二つの大きなニュースがありました。一つは、イギリスで行われたEU離脱の国民投票です。ここで離脱支持が勝利したことは予想外と思われました。もう一つは、アメリカの大統領選挙で、候補者の資格さえないのではと非難されていたトランプ候補が当選したことでした。この二つの結果が示しているのは、世界全体が先が見えない時代に入っていることのようです。しかし、冷静にこれらの結果を考えれば、世界が置かれている今と、これからを探るための指針、などが少しは見えてくるように筆者は感じています。イギリスがEUからの離脱を求める結果となったのは、移民・難民の受け入れに対する問題だけでなく、EUの先行きにイギリス国民が信頼できない何かを強く感じ始めていたことが原因なのでないかと思います。EU圏内の自由さは、一般的には望ましいことなのでしょうが、平均値以下の国が、他の国に対し頼り過ぎるようになれば、負担を感じるはずです。イギリスは、自由のもたらすプラスより、押し付けられれる負担を嫌った結果なのではないでしょうか。当たり前のことですが、EUができて、ある種の依存症を示し始めたギリシャのような国が出てくれば、当然その一方で足を引っ張られている感を持つ国が出てきます。その代表例がイギリスだったのではないでしょうか。建前として頑張っているドイツにしても、そういつまでも支えきれないかもしれません。EUの中でギリシャが辿ってしまった道は、現在わが国で議論されているTPPの問題と相似です。自由貿易と呼べば、とても素晴らしいものであるかのように思われますが、一旦そのような「圏」ができてしまうと、その中にギリシャ化してしまう国が発生するのも、人間が営む国である以上必然なのでしょう。アリもキリギリスも一緒になって自由貿易圏と称してみても、行き着くところは決して楽園ではないのです。それを読み取ったイギリス国民の選択が、果たして最終的に望ましい方向だけに向かうか、それも疑問です。
もう一つのアメリカ大統領選は、余りにも醜い言葉の応酬で、これが大統領候補戦なのかと疑われました。その結果です。受け止めなければならないとしても、権限が与えられる大統領に、相応しくない人格であるとしか、今でも思えません。やたらすり寄ってみても、正義がもたらされないであろうことが見え透いています。南北戦争の前まで歴史が戻ってしまっているのではないかと懼れています。
言葉に頼るだけでもいけませんが、醜い言葉の応酬を許しておくことも良いことではないと思っています。

保育と環境福祉

2016 年 12 月 5 日

一週間余り前、東京四谷で環境福祉学会の年次大会が開かれました。今年のテーマは、「保育と環境福祉」でした。保育問題が今取り上げられるとき、待機児童対策あたりが最も注目されると思われる方も多いことでしょうが、今回の課題はもっと深く課題を取り上げました。社会が正しく保育するための考え方を整理しようとした、というのが正しいかもしれません。子供を保育する意味、保育の結果として子供に与えられるべきこと、などについて一緒に考えました。「公開シンポジウム」の中で基調講演をしてくださった白梅学園大学学長の汐見俊幸さんは、「次世代のための、保育と環境福祉」と題して、様々な問題点の指摘と解決策などをお話しされました。都会化が進む結果、子どもにとっての保育環境は望ましいものでなくなってしまうことが多いという現実の指摘もその一つでした。何より印象的であったのは、この公開シンポジウムに参加していた未来の保育士がレポートした次のような意見に集約されていると思います。汐見先生の講演を聞いて、次のような感想を寄せています。『いじめが起きる原因は、人間の根源的本能で攻撃性があり、教育が悪いからではなく人間がいじめたいという気持ちがあるからだと汐見先生が仰っていました。私は、そんな人間が持つ攻撃性を幼児期の頃に保育者として、文化的な攻撃性へと変えたいと、お話を聞いて強く思いました。』
この感想の指摘は、本欄でいつも筆者が述べていたことと同じ趣旨です。いじめをしてしまうことは、人であるなら自然なことです。しかし、そのことが危機的な状況に至らないようにすることは、保育・教育において最も大切なことです。ところが、教育委員会の人たちの多くが、いじめが起きてしまったことを反省するふりをして隠ぺいする体質を持っています。このことは、目的に対し全く反対のことをしてしまっているのです。そこからの反省がなければ、教育の現場は改善されないでしょう。といつも本欄では述べていました。汐見先生が保育の場で何を教える必要があるかという説明の中で、同様のことを主張してくださり、心強く思いました。また、このような言葉が、これからの保育を担う人たちにも深く伝えられていたことを知り、とてもうれしく思ったものです。
一般的な報道の場面では、待機児童の数の問題程度までしか事態が掘り下げられていませんけれど、実際には、どのような質の保育が行われているのかまで考えるべきだと思わされた年次大会でした。一人でも多くの方が、この環境福祉学会に参加していただけるよう願っております。

国会審議

2016 年 12 月 3 日

先日の本欄でカジノ法案の問題点の本質を衝いた見解を載せた直後に、衆議院の委員会でわずか6時間の審議経過で、可決成立されるという暴挙が起きてしまいました。その目的が、維新の党を与党陣営に取り込むためだったというのですから、あきれてしまいます。通過後の維新関係者のインタビューの下品な対応にも不愉快な思いをさせられました。しかし、この維新の党の対応の中にこそ、前回本欄で指摘した反社会的組織の拠点となってしまうカジノの問題点が見えているとも言えるのです。本来であれば言論の府であるべき国会に対し、口汚く野党をののしるだけの党が平然と存在していることに危うさを感じます。しかし、このような反社会的勢力や政治ゴロの集団から脱せていないところに現在の国会の最大の問題があり、これに対する改善策を国会自身が打ち出してこなければいけないはずです。もし放置され続けるなら、国民の方がやがて気付くことになるのではないかとは期待していますが。審議時間が短かったということよりも、あれほど下品な人を党首にしている政党がのさばっていることに問題があるのです。もしかすると、アメリカの大統領候補もそういう人がなったのだから、この方向がトレンドだなどと考えているのではないでしょうが、代議員制のもと、私たちの生活を委ねるにはあまりにも酷い人物しか候補者として出てきません。
以前にも記しましたが、口汚くののしりあうようなことを平然と行っていると、いつのまにか自身の行動も引きずられるように醜いものになっていきます。ナチスがユダヤ人虐待の行動をとってしまえたのも、そのような経過を経てのことでした。ですから、気を付けなければならないのは、維新の党の党首が口が汚いことだけでなく、このようなことをしている人たちが、いい加減にカジノ法を通してしまったことなのです。まだ正気に目覚め立ち直れる機会はあるはずです。本当の平和を守り続けるには、国民一人一人の毅然とした対応が求められているのでしょう。汚い言葉の挑発に乗らないことです。このままの国会運営を続けさせてはなりません。

カジノ法案

2016 年 12 月 1 日

わが国でもカジノの導入を積極的に進め、このことで景気の回復や海外からの観光客誘致に結び付けようと、現在の国会で通してしまおうとの議論になってきています。確かに、カジノの表の話としては、このようなプラスの面がありますが、もっと深く考えてほしいことがあります。それは、このような施設がもうけられれば、当然のことなのですが、反社会的勢力の拠点を生むことにつながることです。ばくちの持つ魅力は、素人衆を依存症に追い込むだけでなく、怪しげな裏金が発生し、そこに反社会的勢力が寄りついてしまいます。このようなことを排すると称してある勢力の公務員がまた集まります。結果として、これらの勢力は、怪しい政治ゴロ集団と近縁ですから、もっといかがわしい社会を構成してしまいます。現在カジノ推進に当たっているメンバーの中には、これらを熟知して自身の勢力拡大を目指している議員がいるのかもしれません。わが国の民主主義のためには、望ましくないというより、あってはいけない話なのです。残念ながら、現在の議会では、このような問題点を正しく指摘し、だからカジノ設置は反対すると主張できる議員が見当たりません。善意の議員であっても、精々カジノ設置後の対策をどうするという、後ろ向きの対応しか考えていないのではないでしょうか。反社会的勢力と、政治ゴロと、それらの間で育ったような議員とが、わが国の将来を語るようになってほしくありません。
築地から豊洲への市場移転の話の後始末的にカジノの話が論じられたりしていますが、決して簡単な話しでないことを、報道機関はもっと伝えるべきでしょう。それとも、報道機関自体が、怪しげなものになってしまっているのでしょうか。少なくとも拙速な議論で、国会を通過させてほしくない課題です。賭け事はほとんどの人を魅了します。節度ある範囲で対処しているなら、それは健全であろうと見てしまいます。ところが、賭け事を成立させるためには、最終的には怪しげな金の動きや、力の支配が欠かせなくなってしまうのです。そのところにこそ、問題があるのだと伝える必要があるのです。

大統領弾劾

2016 年 11 月 29 日

アメリカの次期大統領候補が確定したのに対し、お隣の国では、現在の大統領が弾劾される状態になっています。長年の友人が、その権勢を利用して、社会的に許されない行動をとって来たことが糾弾されているからです。その動きに、大統領としても自身の持つ権限を利用したに違いないと思われ、国民全体からそっぽを向かれる事態になってしまいました。なぜか、このお隣の国はこれまでも、大統領を終えると、就任していた時代の悪事が暴かれるということが何回も繰り返されてきました。今回の大統領は、退任する前にそれが暴かれてしまったのです。権力を持った人間がこのような行動をとった時、お隣の国では国民がこぞって強く非難します。この非難の仕方には、わが国が失ってしまったある種の健全性があるように思われます。例えば、TPP交渉を行っていた担当大臣が、怪しげな挙動を指摘された後で、「悪い人たちとも付き合わなければ政治家はやっていられない」などと発言して平然としていましたが、お隣の国では、このような破廉恥な言葉を使う政治家は、それだけで国民からそっぽを向かれてしまいます。儒教思想が強く残っているためかもしれません。
権力を持った人間が悪事を働いても、その権力によって自身が守られている、などということがあってはなりません。この厳しさがわが国においてほとんど失われてきていると最近強く感じます。批判を許さずに自己陶酔するような政治家や、国会などの仕組みを軽視して国民を馬鹿にするような失言をする政治家を見るにつけ、この国の先行きを案じてしまいます。第一、失言を撤回してお詫びします、などという対応ですべてが収まってしまうほど、わが国の政治風土の荒廃は再建不能なほどになっているのでしょうか。真摯な態度という言葉を、これほどいい加減に使ってしまっては、将来の人から何を言われても反論できないでしょう。
シリアを中心とした中東の混乱については、最近わが国で報じられることが少なくなっています。しかし、難民の発生など混乱は決して収まる方向に向かってはいないようです。この混乱を仕掛けた大国は、自身に被害が及ばない限りは、まるで他人のことのような態度をとっています。国連も頼りにならないままに、PKO活動が本来の目的どおりに進んでいくものか、これにも疑問を感じています。あとひと月となった今年、日露の首脳会談が行われて、成果と呼べるものが生まれるのでしょうか。
心穏やかでない、年末になってしまいそうです。

口の利き方

2016 年 11 月 26 日

トランプ氏が次期大統領候補となって、政治の行き先が一段と不透明になっているようにも見えます。なぜなら、選挙期間中トランプ氏が口にしていたことのほとんどは実際の政策に結びつくようなことではありませんから。何かに対する敵意をむき出しにさせることで、自己アピールを目論んだとしか思われませんでした。対抗する大統領候補も、これからのアメリカをどのように導いていくかに関し、それほど強いメッセージを示していなかったと感じました。選挙戦を見てて、「該当者なし」という投票行動しかとれないのではとさえ思ったものでした。ところが、当然のことなのですが、やがて大統領に就任する時期が近づくにつれ、選挙期間中に口にしていたことと相当隔たることを、トランプ氏が口にするようになってきました。総ての政策に関し、継承性が求められますし、相手のあることなどは簡単には変更できないからでしょう。何より、選挙戦であれば口汚くののしりあえば済んでいたことも、具体的な判断となれば、最低限の紳士的な挙動が求められますから。そのような活動を進めていく中で、果たして大統領候補がどのような大統領になれるものか、世界が注視しています。
過去の歴史を見ても、トップになった人間がいつまでも口汚いままであると、行われる政治自体が汚くなってしまいます。ナチスがユダヤを攻撃したような、冷静に考えればとてもあり得ない政治判断を下してしまいます。ですから、トランプ氏が変わったことが、望ましい今後につながってくれればと期待しています。もちろん、継承しなければならない政策として、例えば中東の諸課題をどのように解決していくのか、そこから大量に出てしまっている難民問題をどのように解決できるのか、複雑で困難な多くの問題があります。とくに、アメリカが感じていないかもしれませんけれど、難民を作り出している原因の多くがアメリカに起因していると指摘されていることに、しっかりと直面すべきでしょう。強いアメリカを再び、というキャッチフレーズには、これまでのアメリカの行動に対する反省が見られません。そのことが、今後の政治決断においても、過ちを深めてしまうのではないかと、筆者は懸念してもいます。
わが国においても、TPP批准に向けての動きが、アメリカのこれからの判断と差し違えるような結果になろうとしています。少なくとも、数年前までTPPに反対していた自民党が、経済成長に欠かせないものとしてTPPを崇めている事実には、とんでもなさを感じます。また、国会運営に当たっても、絶対的議席数の優位に甘えて、正しい審議がなされていない場面が見られます。さらに、国会を軽視している失言がなされていても、報道陣はその指摘さえできていません。アメリカの大統領候補以上に、歴史の闇に向かっているようなわが国の運営に危機を感じます。

11月の雪

2016 年 11 月 24 日

急に冷え込むとともに、11月としては珍しい雪が降り始めました。天気予報も、最初の頃は「雪が降るかもしれない……」という口ぶりであったのが、次第にその確率を高めるようになっていき、昨晩の予報では、「明朝は白い景色が見られるでしょう」というところまでになっていました。その通りで、静かな白い世界が窓の外に広がっています。11月の降雪は54年ぶりだと報じられています。前回のときには若かったのだと、このような報道の時にも感じさせられます。それでも今から20年くらい前に、12月初旬に雪の予報が出て、その通りの結果となった時には、気象庁もやるものだと思ったものでした。そのころに比べても、天気予報の精度はずっと優れてきていると感じています。地球全体を捉えて大量かつ細かいデータを得ることで、今回の積雪予報などに結び付けているのですから。降雪になれない地域では、人が転んだり、車がうまく制御できなくなったりと、災害を招いてしまう恐れが強くなります。そのための予防の心得も、天気予報の中で行われています。災害回避の警告の内容も、進歩しているように思われます。
それだけ注意していても、災害を絶滅することは難しいことです。経験を越えるような事態が起きてしまうからです。自然災害全体を考えると、地球に刻まれた過去の災害の記録は私たちの想像を超えるところがあります。それらに遭わずに人生を全うできることを祈りながら、毎日の大切さをかみしめたいものです。その自然災害の恐ろしさを考えれば、人が「国」を基にしての戦争を行う愚かさを回避する知恵をもっと絞りださなければいけないと思います。絶対悪である戦争を避ける知恵を絞りだしてこそ人類の誇りだと言えるはずです。

福島で地震

2016 年 11 月 22 日

今年は、熊本の地震、その後鳥取県中部で地震、と続きましたが、今朝は福島県沖を震源とする強い地震がありました。また、この地震に伴う津波警報も発せられ、実際に1mを越える津波が観測されました。今回の揺れに関しては、5年半前の大地震の余震との考え方が示されるでしょうが、あの東北大震災を招いた地震の影響は、まだまだ続くと考えるべきなのでしょう。そして、どこか喉元過ぎればと忘れたがっている原子力発電所の過酷事故についても、しっかり思い出す必要があるのだと思います。原子力発電所をこれほどまでの数設置してしまった以上、これらを活用して儲けなければ電力会社はやっていけない、というトーンの論説が最近では時々見られます。その主張の背景などが見透かされるだけに、許せる主張ではないと、筆者は考えています。なぜなら、福島第一原子力発電所の事故の後に発表された事故調査委員会の指摘に対し、関係者が正しく対応していないからです。あの事故は人災だったとの指摘に対し、関係者が十分な総括をしていません。その総括をしないばかりか、設置されている施設を使う前提の議論に一気に入り込んでしまっています。このような軽薄な考慮不足で、国の将来を語ってはいけません。そのうえ、廃炉に至る経費を国民全体に押し付けることが当然であるかのような議論さえなされています。いずれ誰かが負担しなければいけないとしても、このようなことを平然と進めようとしている経済産業省の役人の発想を許せません。もっと考えるべきことは、「人災である」と指摘されたことに対する反省なのです。その反省の上に立ったものとしての将来像でなければ、筆者は認めることはできません。
このような思いを改めて感じさせた今朝の地震でした。地殻の活動期がしばらく続くはずです。自然災害のもたらす災いを少しでも減らす努力をすることの大切さと、過酷事故を発生させない賢さとを肝に銘じなければなりません。間違っても、目先だけの経済性を取り上げて、技術選択の過ちを犯してはなりません。明後日の朝は、首都圏でも雪が舞うもしれないと、冷え込みの予想がされています。

TOO交渉の経過

2016 年 11 月 14 日

野党にいた時代には、反対を叫んでいた自民党が、いつのまにか変節してTPP交渉の決着をつけ、その承認をめぐって国会で審議されているということが、その経過とともに今でも見えてきません。障壁をできる限り取り除いて、自由な貿易が行えればよい、という理念は正しいところもありますが、それぞれの国家が国家の形を維持するためには、障壁を設ける必要もあるのです。それを取り除こうとする圧力は、多くの場合大国と呼ばれる側のわがままを通すために用いられます。ですから、このような自由貿易体制を作ることが望ましいと、中小の諸国家が提案して合意するだけなら、それは望ましいことなのかもしれません。ところが、そのような枠組みができるのなら、一枚かませてくれと大国がすり寄ってくれば、それは「自由」の名のもとに、大国の横暴を許す制度に堕ちてしまうことは、長い歴史を見れば当たり前のことです。当初、メキシコやニュージーランドが期待していたことと、現在各国で交渉した結果とは相当異なっているのではないかと考えています。大国の振る舞いは、自覚されてはいないけれども、とても傍若無人なところがあるからです。それを守ることだけが国益だと主張して、他国へも介入し続けるのなら、世界全体からの反発は強くなるだけでしょう。
そのような経過をたどって来たTPPを、わが国としてどのように受け入れ、これからの自国の発展につなげていくのか、という考え方が、国会の審議の中からは全く見えてきません。参加国の中で最強の大国に媚びへつらうためにだけに交渉してきたように見えます。その先がどうなろうとも、国家としての基盤が崩されようと、大国に附いて行きます、というのでは情けない話です。世界のどこかで武力行使が行われている方が儲かるからいい、としてしまうような経団連になってしまった現状では、経済界から正論が湧いてくることも期待できません。困ったことです。そのうえ、日銀が進めた通貨供給過剰の弊害が、これからさまざまに浮かび上がることでしょう。見通せない将来と、国民の幸せを考えることができない政治ゴロだらけの国会の審議を聞いていると、腹立たしいばかりです。

投票結果

2016 年 11 月 10 日

アメリカの大統領選挙が行われ、わが国のほとんどが想定していなかったトランプ候補の勝利で終わりました。似たような記憶があります。イギリスがEU離脱に関しての国民投票の結果を聞かされた時です。あのときも、よもや離脱を支持する票が上回るとは考えていないで、ひとまず国民の不満を解消する作業のようなものだと見られていましたが、結果は離脱ということになりました。もしかすると、日本の現政権は、新潟県知事選挙でも同様な思いをしたかもしれません。いや、東京都知事選挙でもそうだったのかも知れません。なんとなく読まれている投票行動が、選挙のプロでさえ読み切れなくなっているからなのでしょうか。国民の中に、過剰な格差が持ち込まれてきていると、この歪が及ぼす力が思いもかけない結果を招いているのかも知れません。それにしても、政策を論じるのではなく、相手候補の人格攻撃ばかりをしていたような人が大統領に選ばれるというのは、どこか納得感がありません。少なくとも、8年前オバマ大統領が当選した時のような、「Change」のことばのようなアピールがあるべきだったでしよう。しかし、トランプ候補が述べていたことを、新しいモンロー主義に高めることができれば、アメリカのこれからはかえって安定に向かえるかもしれません。中東への過剰な武力介入を抑制し、難民の発生を回避できるような政策につなげていけば、世界全体は望ましい安定状態を生み出すかもしれないのです。このようなプロセスを作り上げる知恵者が求められます。
わが国の首相は、あわてて電話をするなど、これからを探っているようです。間違っても、駐留の経費をすべて担う、などと口にしてほしくはありません。それよりも、アメリカがモンロー主義的に動く可能性があるとすれば、どのようにして世界の安定と平和を実現し、保障していくのか、わが国のあり方を少し考え直す必要が出てきます。核の傘にだけ頼るのではなく、平和国家日本、というブランドを改めて強調できるような政策に舵を取るべきでしょう。
国際社会の平和と発展とを、どのように実現させていけるのか、本欄では何回も指摘しましたが、大国と呼ばれる国の自制と謙虚さとを強く求めます。
この結果は、アメリカ国民の選択であったと、その現実は素直に受け入れなければなラないことですから。