「怪文書」の行方

2017 年 6 月 26 日

内閣官房長官は、内閣を代表して話をする人です。ですから、その立場をわきまえるなら、他人を謗ったり、中傷するようなことに対しての発言は厳しく慎まなければなりません。ところが、加計学園問題が明らかになってきた折、文部科学省から公開された文書に対し、菅官房長官は「怪文書のようなものであるから、対応するには及ばない」と発言し、敢えて無視しようとしました。そのうえ、前の文部科学事務次官であった前川さんに対し、その人格を貶めるような発言をしました。この中傷を意図した発言は、ご本人からの立派な経過説明があったために、官房長官の旗色が一気に悪くなりました。これらの経過を一国民として見続けてきた立場から言わせてもらえば、官房長官はとんでもないことをしてしまって、後始末一つできていないということです。最初に述べたとおり、官房長官談話は、国の正式な見解を示す場であるはずなのです。いい加減な床屋談義の場ではありません。そこでこのようないい加減な話しをしてしまえば、とんでもない結果を招くことになるでしよう。その後の会見で、記者からの質問に対して、「あの怪文書発言」はなかったものにしたい旨話したようですが、そのような消去の仕方で社会を納得させることなどできません。だいいち、その発言のぶれ方の下品さは、これが国を代表して発言する人なのだろうかと、疑いたくなるものでした。間違った発言をして首相を庇いだてしたことの罪の深さは、想像を超えるものです。「一強」と言われて驕り昂ぶっている様は、藤原道長でさえあきれ返ることでしょう。
それにしても、報道機関がこれほど偏り始めているてんについても、驚いています。首相の私見を掲載し、国会での質問に対し、あの記事を精読してくれ、と答弁するなどとんでもないことです。それよりも、首相が平生から主張しているように、報道機関はどちらの意見も対等に掲載すべきだというのなら、あの首相談話の問題点を指摘する論文も、読売新聞は掲載すべきでしょう。自分たちが行う一方的なことには目をつぶらせ、反対意見を圧殺していく手法は、もはや民主主義とは言えません。本欄は、この民主主義の危機に対して、強く警鐘をならすものです。

陸上競技日本選手権100m競走決勝

2017 年 6 月 24 日

陸上競技がトラックシーズンに入るころ、本欄で100m競走の9秒代突入を誰が最初に果たすのか、とても興味深い、と書きました。そして、昨日準決勝まで行われた日本選手権の経過は、その期待通りに進んでいます。同じレースに、日本人同士が10秒を切ろうとして走る様子は、とても興奮させられます。準決勝までの経過を見ると、アメリカでトレーニングをしているケンブリッジ飛鳥と、サニブラウン選手がやや抜けている感もありますが、今年急速に伸びている多田選手や、長年期待され続けている桐生選手、たくみにピークを合わせる力を持つ山県選手の間で、立派なレースができることをわくわくして待っています。それに比べ、昨日決勝が行われて10000m競走は、世界に挑戦する気持ちが感じられない情けないレースでした。前々から本欄で指摘しているように、部活の延長にあるような箱根駅伝で燃え尽きてしまったようなレースしかできない選手たちの姿を情けなく感じたものです。挑戦する姿勢を持てない選手は、たとえ勝ったとしても、競技場に感動をもたらすことができません。そんな限界だけを示した昨日の1000m競走の決勝でした。現在100m競走には、競い合ってより伸びて行く選手たちがいますけれど、もっともっと他の種目でも、世界に近づく記録を出してほしいと思います。
今日の夜、100m競走の決勝が行われます。各選手、レースにうまく合わせて調整し、その結果を出してほしいものです。それぞれの選手が持っている特徴を理解してレースを見ると、より面白いと思います。スタートに優れている選手、中間疾走以降を得意とし、ゴールまで伸びて行く選手、レースで他の選手の動きに微妙に影響を受ける選手など、わずか10秒の間ですが、強い感動を与えてくれます。単純な競技であるからこそ、とても深い意味があるのでしょう。
結果に対して本欄で述べるかどうかは、それこそ結果次第です。

猿芝居にもなっていない

2017 年 6 月 21 日

国会閉幕後に、反省しているはずの姿で記者会見を行った首相でしたが、それを演じた直ぐ後に、文部科学省から見つかった文書について、きわめて不適切な処理がなされました。萩生田副官房長官が、加計学園優先の舞台を作り出していたとされる文書です。この文書に対し、不正確だ、と副官房長官は言い募っていますが、どこがどのように不適切な表現なのか、詳細は一切触れません。それに応えるように、文部科学大臣は、この文書に関し謝っています。この不自然さは、国民の多くに、前日の首相会見がいかに空疎なものであったかを知らしめる程度の意味しかありません。不正確だとされる部分があったとしても、この文書が指摘している内容は、萩生田副官房長官の果たしていた役割を明確に示しています。第一、副官房長官は、自身のブログで、首相、加計学園理事長、との親密な関係を明らかにしています。そのうえ、自身が加計学園の教育スタッフに納まっていることも明らかなことです。これらの背景を見れば、国民はだれが嘘を貫こうとしているのか、簡単に見破ることでしょう。
あの首相記者会見と、そのあとに続いた文部科学省からの文書の公開は、現政権が続けている猿芝居が、本当の猿芝居としてしか続けられていないことを意味しています。だから、その結果として、支持率はさらに低下していくことでしょう。御用新聞、御用テレビが、政権を持ち上げようとしても、見え透いた嘘をここまで吐いてしまっては、防ぎようがなくなることでしょう。それにしても、2年前、戦争法案を無理やり通した後と同じ言い訳をして、少しも学習効果がなかったと思わせる言動は、よほど国民を馬鹿にしているからなのでしょう。このような行動で良しとしている首相には、投票行動で否を伝えるよりほかないのでしょう。
暗く不愉快なニュースが多い中、新人棋士が28連勝を遂げたとの話題が伝えられ、ほんのりとした気分にさせられます。

政治の迷走

2017 年 6 月 19 日

イギリスのEU離脱、アメリカのトランプ大統領勝利、そしてわが国の決め過ぎる政治、など、さまざまな事象は世界全体の政治の迷走に見えます。民主主義であることは、確かに迷走も許されることなのかもしれませんが、迷走の行き着く先がきな臭い結末では決して望ましいことではありません。少なくとも、きな臭さへの誘惑を絶つ決意が、政治の中枢にいる人々に求められるはずです。ところが、武器輸出三原則をなし崩し的に撤廃しただけでなく、安全性に確信を持たないまま原子力発電所を輸出しようとしたり、政治家としての最低限のモラルを守るつもりもない政権を現在わが国はいただいてしまっています。そのような政局の運営が続けば、腐敗が深く進むのは歴史を見れば明らかなことです。戦略特区と言う響きの良い政策の割には、お友達に便宜を図るという情けない話を作り出してしまったのは、現政権の驕り以外の何物でもありません。その腐臭を抑え込もうと、国会の最後に演じた説明は、国民のほとんどを説得できないものでした。結果として、支持率が低下していますけれど、もっと大きな打撃を与えないと、この政権にいる人たちには、カエルの面に小便程度の話にしかならないようです。これから、政権側が企むであろう、公務員の守秘義務違反としての魔女狩りなど、少しでもその動きが出てくれば、国民こぞって反対しなければいけないことです。義家が国会で述べたことは、大義に反しています。政策決定の中で、国民の利に背くことを上司の独断で行われようとした時、これを社会に明らかにすることは、称えられこそすれ罰せられる種類のものではないのです。それを、押さえつけようとしている義家の言葉は、もうどこにも正しさのかけらが残っていません。
東京都議会選挙にうつつを抜かしている間に、なんとか頬かむりを図ろうとする現政権の態度は、決して許されるものではありません。霧消してしまったアベノミクスの行く末などについても、機会を見て糾弾していかなければならないと考えています。

これで幕引きのつもりか

2017 年 6 月 17 日

国会は延長されることなく、閉幕となりました。だからと言って、今回の国会で追及解明されなければいけなかったはずの、森友学園問題、加計学園問題のいずれもが、時間切れのようにおしまいにされてしまって良いはずがありません。自らにやましいことがあるために、審議をさせないで国会を閉幕にすればよい、という政権側の目論見が露骨に見えています。それでも、議席数の優位が絶対的であるために、少しも反省の色を見せようともしません。反対に、副総裁などが、「今回の問題は野党のゲスの勘繰りだ」などと言い放っています。政治家としての矜持をすべて捨てて、お友達を優遇しようとした政策決定のプロセスが、余りにもお粗末です。笑ってしまうのは、国家戦略を議論したと称するお友達4人組が「われわれは正しく審議してきたのだから、指摘を受けるようなことは一切ない」と会見したことでした。この4人組のいい加減さはかねてから不快に思っていたところでしたが、こうまでダメ押ししてくる面の皮の厚さに呆れたばかりでした。以前から本欄で指摘し続けているように、政治家であるなら、自分の身の回りにある利害関係者との接触は潔癖を期すべきことです。それを覆してしまっては、世間が政治を信用しなくなります。この原則を全く反対に解釈して進めてきたのが現政権です。腐敗は日々深刻化してきていますが、その気配を感じていないのは、自分たちがその穢れの中に入っていて、もう汚臭を感じないからなのでしょう。これらの政治ゴロたちが、わが国の将来を語ることは、語るのではなく騙るだけとしか筆者には感じられません。国を司る人たちの心が、ここまで低下している実態は不愉快を通り越して、絶対に許せないことです。
国会が閉会されても、内閣府、文科省だけでなく、財務省も以前の言い訳の矛盾を追求をされなければなりません。忘れさせればこっちの勝ちだと奢り切っている政権に鉄槌を下す必要があるのです。

わが国の民主主義を憂いて

2017 年 6 月 15 日

共謀罪が不規則な形で参議院で可決され、現在の国会の残された会期はわずかとなりました。この異常事態を嘆きます。そもそも国会における論戦は、より良い解決策を目指すという、議員の良識の下で行われるはずのものです。その前提には、自分だけでは気づかないことが、論戦の中から見出され、その結果としてより望ましい形が得られるという、過去に学んだ知識があります。ところが、与野党ともに、論戦を繰り広げる姿勢を持たずに、今回の共謀罪の持っている課題を最小限にしていく努力を見せませんでした。このようなことばかり続けば、社会そのものが狂っていきます。森友学園問題も、加計学園問題も、そのような狂った事象なのだと思います。政治家は、自分の周辺に利益をもたらすことに関しては、慎重にあるべきだと、言われていたのはもう遠い昔のことなのでしょうか。都知事をやめなければならなかった人の倫理観は、筆者にはとても許せないことです。その先々代の都知事も、身内を優遇するような施策をしたり、事故への利益誘導は目に余るところがありました。このような人が政治家然として幅を効かせていることが、問題点の根源にあると思われます。本欄で再三指摘している政治ゴロと言う種族です。身内びいきを平然としていることの行き着くところが、森友学園問題、加計学園問題なのですが、いずれの問題も、課題を首相周辺からそれせて、幕引きを図ろうとしています。国民なんてすぐ忘れてしまうのさ、という政権中枢の笑い声が聞こえてくるようです。このような卑劣な行政を行い続ければ、国家そのものが安定した運営ができなくなる恐れが出てきてしまいます。諦めてしまう国民、血税を身内の回す行政、など、似たような症状を示す隣国を見て考えさせられます。
最終的には、このような異常に気付いた国民の投票行動で覆すより他しょうがないのでしょうが、この動きをすること自体を封じ込めようとする共謀罪が成立してしまったことに、暗澹とした気持ちにさせられます。憲法とは、権力の暴走を抑え、国民の権利をまねるものだという認識も、これからは、一層強く国民が自覚しなければならないでしょう。せめて、筆者はこの息のある間は、機会あるごとにこの主張を続けて行きたいと思います。

待機児童

2017 年 6 月 13 日

保育園に入所できない待機児童を無くすことは、社会の目標の一つとして、着実に成果を上げているものと感じています。筆者の住んでいる近くのJRの駅周辺には、たくさんの保育園が設立しました。駅に近い場所にこれだけ多くの保育園ができたということは、電車を利用する保護者が沢山いることを表しているように思います。たしかに、これらの保育園ができたことで、多くの方の生活が安定したはずです。それでも少し気になることがあるのです。天気の良い日に、園児がお散歩に出かける場面に出会うことがたいへん多いと感じることです。そのことが、保育園の園庭が不足しているためではないかと思われるからです。子供たちは自分の体をいっぱい使うことが大好きです。それを保障するための保育園の園庭が不十分では、少し可哀想になってしまいます。もちろん、待機児童を減らすためにも、これらの保育園の設置が求められたわけですが、保育の質を高めていくためにも、一旦設置できた保育園の園庭確保への努力がなされてほしいと願います。それほど大きく厚い岩盤が横たわっている話ではないはずです。小さな子供たちが思い切り動ける場所を手当てするのは、大人たちの責任です。たまに、駅舎から電車を見ている子供たちのグループを見ることがあります。興味を持つ対象ですから悪いとは言いませんが、保育の質と言う点で、少し安易な印象があります。
待機児童を無くすことは勿論大切です。ただ、それが解消できてからと、もうゴールできたのだと思い込む己惚れは大人は捨てなければいけないはずです。立地から見ても、毎日の送り迎えに際し、保護者の方が大変だと思われる場所にある保育園も見られます。少しでも良い保育環境ができるよう、周りの大人たちが考えなければいけない課題です。お散歩をしている子供たちがおとなしすぎるように見えるのも、少し気がかりなところです。

会計検査院の調査に期待する

2017 年 6 月 10 日

加計学園問題が政権側に与えている影響は決して小さくはないようです。文部科学省が、文書の存否について改めて調査を行う、としなければならなかったのは、その反映の一つでしょう。しかし、それ以上に露骨で、官僚中の官僚と言われている財務省の役人に虚偽の答弁を迫ることで、現在いったん陰に隠れている森友学園の問題に関し、どうしても納得のいかないことがあります。それは、あれだけの国の財産を安く処分してしまって、「適正に行ったが、書類はすでに存在していない」との答弁で逃げ回っていることです。少なくとも、決算後の経過から見て、会計検査院は、今回の事象に関しまだチェックはしていないはずです。ですから、まずは近畿財務局に対する検査に当たって、森友問題かかる書類の提出を求め、その値引きの実態が適切であるかどうかを明らかにすべきだと思います。このとき、検査院に対し、国会答弁のように「すでに書類は廃棄した」という言い訳は通じるはずがありません。もしそのような対応を財務局がしてしまえば、役人としてもっと深い傷を負うことになるはずです。ですから、この森友問題は、会計検査院の適正な検査の実施によって、隠そうとしている「忖度」の中身など、わが国の政治の恥部が世の中にさらされることになるはずです。首相夫人がどのように関与し、周辺が「忖度」の名のもとに、不適切な配慮をしてきたのか、これらを明確にすることこそ、会計検査院に求められていることです。
そうでなければ、10億円弱の国の資産をあれだけ安売りさせてしまった現実を国民は納得できないのです。文部科学省の書類の話も、一つの切り口として、現政権のおぞましさを表現していますが、国有地の不適切な廉価払い下げの方が、国民にとってもっと重大な話です。たぶん、会計検査院に対しても、さまざまな圧力がかけられることでしょう。そのような不当な圧力を許さない国民全体の気持ちを検査院に伝え続ける必要があります。国民こぞって会計検査院のこれからを見守り続けることが、国政を私物化し、お友達にだけ優遇をしてしまうという現政権の卑劣さを暴くために必要なことなのです。

アメリカのパリ協定離脱

2017 年 6 月 8 日

何かと人騒がせなアメリカのトランプ大統領が、パリ協定からの離脱を表明しています。自国の経済活動にとって、パリ協定の縛りは不利益であるとの判断によるものと思われます。その判断の愚かさについて、環境問題を考え続けてきた筆者は、どうしても指摘しなければならないと考えます。産業界の為ならば、という発想そのものを否定はしませんけれど、大気中の二酸化炭素が増加してきていることと、地球全体の気温の観測値が上昇してきている現実を、全く正しく認識できていないと大統領の発言から感じられます。中国が石炭火力発電所を増強しているという認識も間違いです。このような誤った認識による判断で、一国の動きが決まってしまうのは驚きです。科学に対する冒涜と言う意味では、核実験やミサイル開発に挑戦しようとしている某国とあまり大差がないように筆者には感じられます。誤った認識だけではなく、パリ協定から離脱することの無責任さに関し、わが国の某大臣は、「アメリカはその程度の国だから」と鬱憤を晴らすような発言をしていましたが、決してそのような生易しい話ではないのです。天に唾するアメリカは、落ちてくる唾が世界全体に広がるものであると知らなければなりません。そのような地球の将来に対する責任を負うものとしてパリ協定が成立したのです。前任のオバマ大統領への面当てとして提案した政策なのだとしたら、もっと仕方のない話です。
なぜ世界各国がパリに集まらなければならなかったのか、そこでどのような行動計画が論じられ、アメリカも合意に至ったのか、トランプさんはこの経過が全く理解できていないのではないでしょうか。まったく人騒がせとしか言いようのない話です。もちろん、パリ協定がこの程度の大統領の気まぐれで壊されないよう、それなりの歯止めも講じられてはいますけれど、アメリカファーストの呪文だけで将来を決めていけるわけがないのです。
それにしても、国家というものの本当の役割を、世界中の人が原点に立ち返って考え直してほしい、と思わされることが、最近とても多くなっているように感じられます。

法科大学院の二の舞になるのか 過剰な獣医学部

2017 年 6 月 5 日

今回騒がれている加計学園問題は、規制緩和として行うに足る対象であったのかが、まず問題である気がしています。社会全体の閉塞感を打破するような政策決定が必要な、本当にそんな対象なのでしょうか。獣医学部の新設を文部科学省が認めないできたのは、それだけの需要がなかったからではないのでしょうか。新規開設を求める理由として、「鳥インフルエンザ」を引き合いに出しているようですが、毎年150名の卒業生を受け入れる規模とは相当違っているはずです。第一、大学を目指す人たちは、これからも次第に減っていくと思われます。そのような時代に、大学の学部を新設する意味がどれだけあるかどうかが問題です。少なくとも、岩盤のような規制があるため対処しなければいけないとする、国家戦略特区にふさわしい内容であるかが問題です。首相は、戦略特区の公式の場で議論されることだから、と答弁していますが、普通の神経を持っている人ならば、2017年の現在取り組むべき課題だとは思わないでしょう。それよりも、このようなことを国家戦略特区に持ち込む神経を疑うはずです。お友達への便宜を図ってはいない、と首相は言い訳をしていますが、話題にしていること自体不自然なのです。獣医学部を持つある大学は、現代のマタギを養成しようと、特徴のある講座を作っていると聞いています。野生動物と人間との関係を将来にわたって適切な形に作り上げたい、という思いが伝わってくるような話です。そして、ここで育った現代のマタギが森林環境の守り手になって、将来に役立つことを期待したいと思います。ところが、今回の加計学園の話は、獣医学部を新設して、世の中にどう貢献しようとするのか、それが見えてきません。
たまたま、この法人が千葉県銚子市に開設した大学の評判を聞いたことがあります。設置しようとした思いと、進学してきた学生との思いが、どうも一致していないのではとの噂でした。もちろん、だからと言って決めつけるつもりはありませなけれど。司法改革を謳って、大量に設置された法科大学院の結末を見せつけられていますから、加計学園の将来を危惧するばかりです。そのように危惧して考えると、このような形でごり押ししてまで開設させようとした人たちの不明が、将来取りざたされるに決まっていると感じるのです。