納得感がない

2014 年 10 月 25 日

東京電力の今年度の決算予想が公にされました。1000億円を越える黒字が見込めると言われています。どこか納得できないものを強く感じます。もちろん、さまざまな営業努力を重ねた結果も背景にあるでしょうから、黒字を出すための努力がなかったなどとは言いません。しかし、これだけの黒字を実現できるだけの「電力料金」を申請して、認可された、という経過がしっくりきません。黒字に至った時には、株主に配当する前に、消費者に還元する優先事項でもあったのなら、許せますが。余計なことを言えば、経済産業大臣は、東京電力の大株主でいますから、筆者のような意識の流れは持たないのでしょう。
汚染水対策の技術を選択した時に、コスト面から東電が推奨した方式が行き詰っているとも聞いています。このような企業運営のスタンスで、本当に国民全体に顔を向けられるものでしょうか。部分的に国営化以上に国の資金を求めていながら、自立している風を装うことに、誰も異議をさしはさまないのでしょうか。復興のために、現在原子力建屋の上を覆っている部分を取り除こうとしています。この時、周辺に大量の放射性物質をばらまいてしまうことがないか、しっかりモニターされなければなりません。2年前3号機に対し同様の処理をしたとき飛散した放射性物質があったと分かったのは、周辺の水田からの収穫物をチェックしていた農林水産省のプロジェクトチームの分析結果からだと言われています。作業をすることだけに注意が向くのではなく、自分たちの作業の結果が常に周辺に対し、マイナスの結果をもたらす恐れがないかどうか、東京電力の関係者は謙虚に現実を見る必要があるのです。
九州電力などが、太陽光発電からの電力供給に対し、受け入れ制限と称して実質ストップをかけています。そのこと自体は、配電施設との関係からわからないこともありませんが、どうも、原発再稼働の方にばかり企業の関心が向いてしまったことの結果とも見受けられます。本当に、この国のことを考え、将来像を描けるような企業運営が強く求められます。

テロップ

2014 年 10 月 22 日

テレビの報道で、答えている人の言葉をテロップにして流してくれる場面があります。耳と、目と、両方で話が伝わりますから、有効な手段と言えます。ところが、このテロップがときどき間違っていることがあります。よく指摘されるのは、火事の原因を伝えるときに、「過熱」と書かなければいけない時に、「加熱」としてしまうような場合です。昨日大臣更迭を報じる番組の中で、テロップミスに気づきました。ただし、その番組の中では誤りを認める言葉が聞かれませんでしたから、もしかして、発言者の真意を番組関係者全体が理解できていなかったのかもしれません。
それは、選挙区内の有権者にワインを配ったことに対するコメントでした。法律関係のコメンテーターは、「議員事務所の関係者は『全盛期』の感覚で対応してしまったのでしょう。」と言ったのでした。そして、テロップは、ここに示した表示だったのです。本当は、コメンテーターは、事務所の担当は公職選挙法による寄付行為など厳しさがなかった時代の『前世記』という趣旨で発言したのだと考えられます。この言葉には、いくら法律を作っても、法律を作る立場になる人間の側近には、法律を守る気持ちなど生まれてきていない、という非難も込められていたと思います。ところが、テロップ作成者の意識は、発言の真意や指摘しようとしている内容にとても及んでいなかったため、報道としては失格なのでした。
このように、同音異義の言葉がインタビューなどで出た場合は、聞き返したり、趣旨を確認したりして、誤りなく発言者の真意を伝える必要があるのです。それとも、大臣更迭番組のばかばかしさから、とても深く報道する気持ちを欠いてしまっていたのでしょうか。

大臣の交代

2014 年 10 月 20 日

政治資金問題と、うちわ配布の問題とで、二人の大臣が立て続けに交代しました。これで済まして、すべてはおしまいになってしまうことでしょう。毎回思うことですが、この程度の人の中から大臣を選び、国政を動かせるはずなどないのに、それ以外の選択肢は国民には与えられていないのです。つくづく悲しく思います。大臣席に女性を並べることが、女性が輝く時代を作ることだととんでもない勘違いをしている首相がいることに問題の根源があるのでしょう。アベノミクスの失敗が様々な形で表れ始めていますけれど、責任をとろうともせず、次から次へと耳に響きが良いキャッチフレーズを考え出しています。「女性が輝く」もそのうちの一つでしたが、すでにそのことが破綻しているように見えます。地方創生も、その動きと反対となるリニア新幹線にほれ込んでいるようでは、どれだけ本気で地方のことを考えているのか疑うばかりです。地方創生のために中央で考えるべきことは、地方に、お役所の縦割りを強要せずに、自由に(と言ってもなかなか自由にはなれないのですが)自治体の裁量権を認めることでしょう。今まで、縦割りを前提に陳情型でやってきた自治体には難しいかもしれませんけれど、自治体の中に積極的な未来志向があるなら、きっとうまくいくはずです。
当然のことですが、地方創生の結果として、中央の過干渉は排除されるのだと、その筋の人は覚悟しなければいけません。どうも見ていると、地方創生と言いながら、箸の上げ下ろしを干渉したがっている中央の役人がいるように思えてなりません。少なくとも、地方創生と口にしてすぐに、予算に反映させるような無茶をしてはいけません。もっと、地方の主体が想を練る時間を与えるべきです。いったん予算の形にしてしまえば、全国どこも類型的で独創性のない、それこそ、予算を使うことを目的にしてしまうような動きになってしまうことでしょう。担当大臣の持っている独創性に期待していたのですが、どうもこれまでの経過を観察していると、役に立つ発想はほとんど出てこないと絶望的になってきます。

情けない話

2014 年 10 月 19 日

本欄では、今、国会で議論しなければいけないことを以前にも示しました。年金問題の制度設計そのものが破綻を招くのであるなら、その目的を最大限生かしながらも、国民全体に最大限の納得感ある是正策はどこにあるのか、それをまな板に載せるのも大切なことと指摘しました。アメリカとの協調関係を大切にすることは必要なことですが、アメリカ自体が地球全体の監視機能を果たせなくなってきていることに対し、どのような将来像を作り上げていこうとするのか、これもとても大切なことです。現政権が行おうとしている糊塗策では、10年先の国際社会は乗り越えられないでしょう。
そのような基本的な問題が山積している中で、大臣の政治家としての資質を問われるような課題ばかりが取り上げられています。このような議論しかできないことの情けなさに気づいていない愚かさばかりが目立ちます。マスコミは、このような動きを増幅するだけしか機能していません。わが国の民主主義の基盤のなさが露見しているのです。うちわに「討議資料」と書きさえすれば、選挙民に配っても言い訳が通用すると信じている人が法務大臣になっているのが、この国の実態です。ブラックユーモアにもなりません。そのうちわに、「法務大臣」と書き込んだ気持ちの卑しさが伝わってきます。最高学府を出ているのだとしたら、そのような大学こそ反省すべきでしょう。たしか、海外で大きなばくちに負けて会社の金を使ってしまった御曹司も、この大学出身だったと報じられましたね。
大学を出ることを、責任ととらえず、権利としてしか見ていない人たちが、学問の府を構成していれば、こうなることは目に見えています。情けない話です。
重ねて言いましょう。制度設計に矛盾点や、克服できない欠点があるなら、そこを改善して国民の安寧を図ることこそ、国会が最も力を入れなければいけないことなのです。制度設計の不備を、官僚の作文でごまかして、年金の支給開始年齢の変更などに一気に持って行ってはいけないのです。原則に戻って、国会は国会としての論戦をはたさなければいけません。

格差拡大社会

2014 年 10 月 16 日

昨日のニュースの中で、「21世紀の資本論」と呼ばれる文献の紹介がありました。世界の国々で、中産階級が衰え、数少ない富裕層と中流以下の層が増えてきている、ということを多くの統計や制度の改革の経過などから明らかにした文献です。まだ、日本語訳は出版されていないのだそうですが、ニュースの内容の中に、本欄でも指摘していたことが言われていたことに気づきました。現在の社会では、ひたすら働くことだけでは、生活は向上できない仕組みに労働者は置かれてしまっている、というのです。わが国では、昭和30年代、集団就職に代表される世代は、ひたすら働くことで「家」を持ち、それなりの上昇志向を満たされる時代でした。その結果、一億総中流時代、と呼ばれる時期が出現したのでした。
ところが、この時代を担っていた「団塊の世代」が、舞台から退く時期になると、「規制緩和」の呼び声の下、中流を裏付けていたさまざまな制度が消失していったのでした。それは、非正規雇用と呼ばれる労働者の形態にも表れています。「同一労働同一賃金」の建前は、もろくも崩れ去って、非正規雇用となった人は、結婚機会も縮小していったのでした。このような変化を促進した人たちが、あわてて、少子化対策などを話すのを聞くと、笑止千万と笑わずにいられません。グローバル化に応える、と称して規制緩和をした挙句、結局人の心だけが荒んできたように見えます。
経営者の多くは、不当労働行為は露見しなければやりたい放題だ、と考えているものと推測されます。一方、親方日の丸的労働組合の失敗例は、社会保険事務所のいい加減な労働実態が明るみに出たことで知られます。制度を前提に、労使が発展的な交渉ができなかったのだとしたら、それは人の知恵が足りなかったからにほかなりません。経営者は、自分のもとで働く人たちの幸せを考えることから遠ざかってしまっています。平気で「リストラ」を口にしてしまいます。株式会社なのだから、と言い訳する前に、会社が置かれている社会的責任に思いをはせるべきでしょう。
現在のわが国の政権は、「給料が上がるよう経営者も配慮してほしい」と言っていますが、それは、デフレ脱却のシナリオの構成のうえで欠かせないからです。けれど、政府の主張の内容は社会に浸透できていません。浸透できる背景をすでに失っているからでしょう。来年の春闘で、労働者側は、2%の賃上げを要求すると伝えられています。要求をしないよりはした方が良いのでしょうが、このような腰が引けたままで、格差解消など絵に描いた餅でしかないと筆者は感じています。
もっと謙虚に、将来を見植えて、現在の立場を超えて、閉塞の打破を議論していかなければ、「イスラム国」への誘惑は勢いづいてしまうことでしょう。

非常識な会話

2014 年 10 月 15 日

新幹線の座席は、2名掛けと3名掛けがあります。3名掛けは、同行者の数が一致した時は、快適に過ごせますが、一般的には避けたいと思っている乗客の方が多いと思われます。それでも、指定がほかになければ、3名掛けの真ん中でも不満を言いはしませんけれど。台風の襲来が予測された火曜日、台風の速度が上がったこともあって、始発から東海道新幹線は順調に走っていました。筆者は、2名掛けの席の窓側の指定をとっていました。早目に家を出た関係で、東京駅でサンドイッチと紅茶を買って、さっそく腹を満たしていました。隣の3名掛けの方を見ると、最初に来ていた女性と、遅れてきた女性は、どうやら知り合いのようで、真ん中の席を挟んで話に夢中になっているのでした。幸い、中央の席に人は来ませんでしたから、このままで済めば何事もなかったことでしょう。
ところが、途中名古屋駅で真ん中の席に人が入ったのでした。指定席なのですが、知り合いの二人は、隣になるようには座席をとっていなかったので、真ん中の席を挟んで、話は続けられることになりました。たとえ、座席指定であっても、席の移動をお願いして話を続けるのならわかりますが、間に人を挟んだまま、自分たちは体をやや前に倒して、人の前を行き来する会話を続けていました。迷惑そうにしている間の人を見るに忍びない風景でした。それなのに、何を盛り上がったのか、二人の会話は全くやむことがありません。
おばさんたちの非常識を指摘する話はたくさんありますが、この新幹線で見た、間に人を挟んで平然と会話し続けるおばさんには、情けなささえ感じました。京都を過ぎたころでしょうか、座席移動の提案を、初めて真ん中の人にしたようでしたが、ここまで虚仮にされたあとでは、今更とばかりに提案は拒否されました。結果的に、この非常識な会話を見届けてしまって、こちらまで心が塞いでしまうような体験でした。

また台風が

2014 年 10 月 12 日

先週「台風一過」の思いを伝えましたが、なんと一週間後に似たコースで、前回よりやや強い台風が近づいてきています。沖縄付近を通過するときの速度が、きわめて遅かったことで、長いこと暴風雨にさらされた現地は、さまざまな被害を受けたこととお見舞いいたします。もう少し北上すると、偏西風に乗って一気に列島を縦断していくと予想されています。勢力はだいぶ衰えてきてはいますが、風・雨に対する備えは大事です。
離島である南大東島は、このふたつの台風の直撃の関係で、生活物資を届ける船が欠航してしまいました。マーケットの商品がなくなっている様子が伝えられています。このような離島で暮らす人たちの生活への思いを、都会にいても感じられるようにすることが、地方創生の目的の一つではないかと思っています。自分のことだけではなく、全国津々浦々に暮らす人たちのことに、思いを寄せる気持ちが国内に満たされていけば、今ほど首都圏偏重の施策はなくなっていくことでしょう。思いを寄せる場所があれば、そこへのこだわりが生まれ、遠くにでも応援団ができるはずです。「ふるさと納税」のシステムの狙いは、そんな意味もあるのだと思っています。単純に、コストパーフォーマンスで「ふるさと納税」を評価するような動きがありますが、少し違うのではないでしょうか。
故郷であるかどうかは別にして、知識は理解への第一歩であり、理解は愛への第一歩であるのだとするなら、全国各地を理解していく国民全体の意思を得ることが、地方創生には欠かせないことだと思っています。南大東島の方々の生活物資補給への思いから、地方創生へのことを考えてみました。

国会で議論しなければいけないこと

2014 年 10 月 11 日

昨日、年金基金の運用問題について指摘をしました。年金の基金として蓄えられた資産が毎年一定以上の果実を得るはずだと、年金の運営にあたる予算の中に、期待される運用益が記されています。ところが、その額は過去の10年余りを取り上げてみると、絵に描いた餅になっていしまったのです。筆者の所属している年金基金は、この期待値からのずれが大きくなりすぎて、維持できないと判断され、解散が日程に上っています。同様の年金基金はたくさんあると聞いています。この背景りもとで、国の年金機構の蓄えだけが、安全に運用益を得続けられるなどとは、とても考えられません。打ち出の小槌を誰かが持っているのでしょうか。たまたま、デフレ脱却と称して打ち出した施策の結果が、ここ2年間はうまく当たった形で、株式市場での運用が有効であると評価されています。しかし、この成果が永続的なものでないことは、昨日指摘した通りです。
国会で議論しなければいけないことは、期待される運用益が安全に得られないとしたら、制度設計をどのように変えなければいけないかについてです。今ある目先の運用先で、どこがどうだと一喜一憂することではありません。結果だけを試算して、支給開始年齢を引き上げる、と国民を脅すようなアドバルーン揚げをしてはいけません。まして、首相のご機嫌取りのために株価を下げまいとする動きを放置していて良いわけはありません。ただちに改善策がえられるほど簡単な話ではないだけに、解決に向けての国会の、国会議員の、国会議員の頭脳集団としての、役割が問われているのです。

運用益

2014 年 10 月 10 日

年金基金の運用を行う団体ができて、私たちの蓄えた基金の運用益を確保する策がとられています。ここ2年間について言えば、アベノミクスの効果なのでしょうか、株式市場の運用実績が他の国債等に比べて上回っており、今後は株式市場での運用を拡大していく方針だと言われています。この方針は正しいのでしょうか。株を長年扱った人であるなら、プラスの時もあればマイナスになってしまうこともあって、結局はゼロサムの社会であると強く感じているはずです。それなのに、わが国では、「国」を挙げて国民の大切な年金の基金を、この場に投じようとしています。このことはいくつかの問題をはらんでいます。ひとつは、年金基金が常に目標となる実績値を得続けるとするなら、その分のマイナスを国民のだれかが負っているはずだということです。そうではなく、運用結果がマイナスとなってしまった場合に、だれが責任をとるのか明確にされていないことです。国民の大切な基金を消してしまうようなことにならない保障はどこにもありません。もうひとつ、現総理は、アベノミクスの成功が株価に反映されているはずだと、単純にとらえている節があります。そうなると、株価が下落し始めると、年金基金で買い支えをしてしまう恐れが出てきます。単純には言えませんが、海外の投機マネーの餌食に、国民の年金基金がさらされることになってしまいます。
問題の本質は、年金基金が掲げている「運用益」が、一定のインフレ下でないと実現できないことです。ということは、年金基金の制度設計自体が、国の現状に合っていないことなのです。そこのつじつまを合わせようと、株式市場での運用を図っていますが、少し長い時間帯を考えれば、そのような運用益を確保できるはずはないのです。
制度設計が抱える絶対的な矛盾を解決しないまま、基金を危うい場にさらして、平然としている首相以下の内閣の面々は、どう責任をとるつもりなのでしょうか。短期的な成果だけにしか目がいかないのだとしたら、きわめて困ったことです。
通貨を大量に発行して、それで蓄えられた基金に、たしかな運用益を期待することに無理があることは、経済を勉強していなくてもわかる理屈です。

戦力外通告・引退

2014 年 10 月 9 日

プロ野球のレギュラーシーズンが終わり、各チームとも、来季に向けて戦力外通告を行っています。数年前には、中継ぎで便利に使われていた投手が、年齢としてはまだ若いと思われるのに、この中に含まれていたりするのを見ると、残酷さを感じます。球団にとって、その時その時で便利に使ったのでしょうが、「使い捨て」という感じがしてならないのです。また、鳴り物入りで迎えられた選手の名前に触れることもあります。グランドでのプレーを見ることができなかったのが、故障なのか、それ以外の理由なのか、誰も説明はしてくれませんけれど、このことも無常を感じさせるものがあります。
一方、ある程度の実績を残し、年齢的衰えが見えてきた選手は、引退を表明する形になります。時代が過ぎていくのだと感じさせることです。活躍した時代を思い出しながら、これらの選手の今後の人生の成功を祈ります。プロ野球選手という花のある生活を送ってしまったことが、平凡な生活になじみにくくさせ、誤った人生選択をしてしまった先輩たちが多少いたことを思うと、無理をしない生き方ができるよう祈ります。
このような選手たちの後に、ドラフト会議による新たな戦力が加わります。遺憾ながら日本のドラフト会議は、その趣旨が必ずしも徹底できていないと感じています。プロ野球志望届を出す意義を選手各人が自覚することと、わがままを言う球団がなくなることを望みます。
年年歳歳人同じからず、とは、プロ野球にとっても当然のことではありますが。