先進国の驕り

2016 年 5 月 27 日

伊勢志摩サミットが行われ、議長国であるわが国の安倍首相が、これからに向かって「共同宣言」のようなものをまとめることになっているそうです。ところが、この宣言をまとめようと事前に各国を回って折衝をしていたにもかかわらず、「財政出動」に関しての賛意を得られず、焦点の定まらないままの宣言となってしまうことのようです。わが国が失敗したアベノミクスと言われている通貨安政策は、瞬間的には果実を得ることはできますが、長い目で見てほとんど役に立たないものです。そのことは、首相のお友達のメンバーでさえ判っていることのはずです。日銀の総裁がマイナス金利を「策」として建てました。このことは、当初口にしていた2%の物価上昇を目指す、との目的と相容れないものです。そのことだけでも、経済政策の一貫性もなければ、国民全体に景気回復感を与える、と言っていたことの嘘もはっきりしています。さらに言えば、年金の支給額を確保するために、蓄えた資金の運用益が期待されていますが、マイナス金利政策は、このことともバッティングします。言い換えれば、年金の制度設計そのものを壊すような政策を日銀がとっているのです。このような場当たり的な政策に対し、国会でもっと堂々と議論されなければいけないはずです。「異次元」だとか、つまらない言葉の遊びをしているうちに、わが国の経済状態はとめどなく悪い様相を示すことになるでしょう。
そのうえ、「経済成長」を成し遂げなければ将来がないかのように振る舞っている首脳たちは、世界とは何なのか、発展途上の国に対し何をなすべきなのか、などを本当に考えているのでしょうか。先進国と呼ばれている数少ない国が、世界全体の富を占有し続けることが、今後も当然視されてよいものでしょうか。もっと謙虚に、人類の将来を見つめる立場がなければ、先進国などと自称することさえ恥ずかしいことです。自分たちが優位であることだけを今後も持ち続けようとするような浅はかな心が見え透いているサミットです。

『懸念』ではなく『疑念』である

2016 年 5 月 22 日

東京都の舛添知事が、公用車の拡大利用と思われる実績に対し、ルール通りに実施していると突っぱねた後、週刊誌を中心としたマスコミから、自身の政治資金の使途などについて、厳しく追及されています。それらの追及に対し、弁護士などの第三者による精査に基づいて改めての会見をすると言い訳をしました。初めの頃の会見で、舛添知事は、皆様の懸念にお答えする、という表現を使っていましたが、どう考えても「皆様の疑念に対しお答えする」と言わなければいけなかったのに、と報道を見ながら思ったものです。懸念と疑念は違います。疑念を抱かれるような知事の身分を心配するなら、そこで初めて懸念が出てくるのかもしれませんが、一般の視聴者はこれっぼっちも懸念していません。庶民感情から見て納得いかない支出をさせたのであれば、知事にはふさわしくないと判断するだけです。それにしても、あの言い訳会見の落としどころはどうなるのでしょうか。法律の上で罰則がないのであれば、お金を返しておしまい、と言うことなのでしょうか。多くの庶民は、そのような処理の仕方に懸念を持っています。『懸念』とはこのような時に使う言葉です。
東京都知事が海外視察を大名旅行で行うことができるのは、都の財布が豊か過ぎるからです。ですから、都民の多くがこの際、ふるさと納税に目覚めて、例えば地震の被災地などにもっともっと積極的にふるさと納税をすれば、長い目で見て、恥知らずの知事にもダメージが届くはずです。今回の会見で納得がいかないと感じている皆さん、都民としての税金を他の自治体に振り替えることができる「ふるさと納税」を利用して、少しでも世の中をまともにしてみてはいかがでしょうか。
川に落ちた犬だからと、やたら石を投げることは好みません。だからと言って、答えを先送りしたままTPPの担当大臣の座から逃げているような愚か者を、筆者は決して許すことはできないのです。この知事も潔く自分の判断で消えて行くのが望ましいと思っています。

JOCの応答の悪さ

2016 年 5 月 20 日

オリンピック招致に絡んで、わいろ性のある資金が海外に送られていたのではないかと、報道されています。単なるでまかせではなく、フランスの当局がある程度の確信を持って指摘していることです。この行為に対するJOCの発言などは、実に頼りにならないものであると感じています。スポーツ漬けの学生生活を送った筆者にしてみれば、情けない話だとしか言いようがありません。今回の話の出どころは、アンチドーピングの問題です。この重大な問題を、世界の陸上競技をリードすべき人間が、わいろを得て容認していたことに発端があります。それだけでも許せないことですが、この人物が、IOCのアフリカの投票行動に影響を持っていたと言われると、暗澹たる気持ちになってしまいます。短距離王者のボルトが、この人物に対し厳しく批判していますが、本来であればわが国の関係者も、ボルトと同じ立ち位置に居なければいけないはずです。ところが、この怪しい人物の影響力を活用しようと、コンサルタント料の名目で、どうやら支出をしてしまったようです。詳細はこれから明らかにされていくことでしょうが、少なくともわが国として、恥ずかしくない態度をとる必要があります。それなのに、JOCの関係者や文部科学大臣などは、コンサルタント料金なのだから問題ない、などと、指摘されていることの本質を理解できていない見解を述べています。これでは、原子力発電所の汚染水をすべてコントロールできているとした、首相の嘘と軌を一にしているだけのことです。すでに、国際的には「日本」と言う国は、ロシアの陸上競技界と同じように、悪さをしていながら恥を知らないものだと認識されてしまっているのです。このうえに、現在のような認識不足のままの発言を重ねていては、世界の二流国の地位さえ失ってしまうでしょう。
ドーピング行為と、金をつかませてまでの招致活動と、ともに許しがたいものなのです。スポーツの場面で在ってははいけないことなのです。かつて、長野オリンピック招致に金をつぎ込んだことがばれそうになったら、書類がすべて焼却されていた、などと伝えられたことがありました。捜査はすでに国際舞台の上で行われています。恥ずかしくない対応を求めます。

納得いかない話

2016 年 5 月 17 日

全部を聞くのにはよほど辛抱を心掛けなければならないでしょう。昨日の国会の審議をラジオ放送で聞きながら、こんな不毛な国会にしていてだれが責任を負うのだろうかと思いました。首相は、何かというと、「皆さんで十分審議していただき……」とのフレーズを口にします。ところが、昨日聞いた部分の首相答弁など、聞かれたことに対してはほとんど答えずに、自分の都合の良いデータだけを羅列して時間稼ぎをしているのでした。以前にも指摘したように、ポツダム宣言の詳細は詳らかではない、と言うような人が安全保障関連法案を提案し、議席数だけの力で成立まで持って行ったように、審議に真実などなくても、時間をいくらかかけたというアリバイができたら、それで審議したと考えているのでしょうか。この入り口のところでの間違いに気づかされると、国会中継を聞くことが辛くなってしまいます。本来であれば、交わされる言葉の一つ一つが国民に伝わって、それらのことが国の行く末を正しく導いていくのでしょう。ところが、現実に起こっている国会審議は、国民が求めていることとしての質問に対して、はぐらかしの答えを平然と述べる首相がいるのです。困ったことです。困ったことであることさえ、報道陣は指摘できないでいます。そのような翼賛報道が行われているのをいいことに、支持率が落ちないように図りながら、傲慢な態度をとり続けています。
誰もが考えればわかることですが、アベノミクスが成功できていないのは現実です。評価に与えられた期間は、もうとうに過ぎてしまっています。通貨安政策の一面を取り上げて、成果だ成果だと自賛してみても、政策としての結果は、失敗以外の何物でもありません。それを糊塗しようとしても、通貨安政策の副作用が沢山ありますから、正しい報道姿勢を持つマスコミであれば、それらを挙げるべきでしょう。
少なくとも、国会ではそれらの論戦が行わなければなりません。昨日の審議では、野党党首が議長である委員長に対し、「質問に対して誠意をもって答えるよう指示してください」という趣旨のことを述べていました。そのようなことが言われていること自体恥ずかしいことです。情けなさを通り越して、ふざけるなとの言葉を投げつけたい気持ちです。

熊本地震一か月

2016 年 5 月 14 日

震度7のきわめて強い地震が熊本県地方を襲ってから、一月が経ちました。最初の報道で、震度7が伝えられた時に、またそんな強い地震が発生したのかと驚きましたが、二日後に再度震度7を記録する地震が発生したことには、もっと驚かされました。地震予知をもっぱら研究していた地震学者の発想の多くは、最初に強い地震が起きて、その時解放されなかった地殻のひずみが「余震」となってしばらく続く、というモデルがありました。ところが、最近の地震では、この順番がそのモデルとは違う場合が見られるようになりました。あの東北大震災も、少し前に宮城県沖の強い地震が発生して、このことが、どのようなメカニズムで次の大地震を誘発したのか、明確なモデルはまだ出来上がってはいないと思っています。モデルを考えてみても、それが正しいと判定できるほど、人が経験した大地震の回数は大きくはないからです。5年前の大震災の後、どうして貞観の大地震があったことに思いが及んでいなかったのかと、地震学者は全体で反省しました。しかし、今回の熊本地震における、前震と本震の関係を、後付けの名前だけで整理してみても、あまり有意義なこととは考えられません。益城町の近傍で、二つの断層帯が接続しているような形態を、今後は正しく読み取ることが大切なのではないでしょうか。
それにしても、地震に関しての議論が、学者を無能呼ばわりすることで落着するようであれば、それはとても情けない話になってしまいます。反対の見方をすると、あつものに懲りてなますを吹く、かのようにその後の余震に対する気象庁の対応は、これまた情けなさを感じます。地震国日本ではあっても、予知をするには地震そのものの経験が少ないのです。ましてや、GPS情報とのデータを伴った経験はもっと少ないことなのですから、現在の段階で予知を強く求めることの愚かさをこそ知るべきなのでしょう。
被災された方々の生活の復旧を、一刻も早くと祈ります。筆者もできるだけの範囲で、力を尽くしたいと考えています。
それとともに、福島の東京電力第一発電所の過酷事故のために、生活が元に戻っていない人たちへの思いも大切にしたいと考えます。全国各地に散らばって避難をしいられている人たちが、穏やかに生きて行けるよう、関係者の暖かい配慮の継続を望みます。
わが国周辺の地殻は暫くは活動期が続くことでしょう。その結果ができるだけ、人々の生活を傷つけることが少ないようにと祈るばかりです。

体育祭

2016 年 5 月 13 日

筆者の家の隣に、市立の中学校があります。毎年この季節は、新入生を歓迎する意味もあるのでしょうか、体育祭が実施されます。今、開催に向けての練習で、校歌の全員斉唱が行われています。今年の声は、いつもより大きく元気に感じます。不思議なもので、形はほとんど同じですが、声の元気さなど、微妙に毎年違います。この練習をリードする先生の思いの込め方の違いが反映しているとも言えるかもしれません。筆者にとっては、遠い昔のことですから、思い出すことさえ不自由なほどです。それでも、そのころ、最初の授業で、「小学校では体操と言っていたかもしれないが、中学の授業は体育だ」「その違いは判るか」と質問をしてきた先生の気迫は思い出されます。筆者がスポーツ好きで来られたのは、この先生の影響もあったのかもしれません。体育祭とは別に、陸上競技の記録会を張ると秋に行ったのも、対校競技の選手を選出する目的があったのだと、進学してから他校の行事を聞いて知りました。現在ほど部活が活発ではありませんでしたので、対校競技の選手に選ばれた人たちは、試合に向けて頑張っていました。その成果が、学校の新聞に記載されます。女子のリレーが都内でもトップクラスだった、などと記事になると偉いなと思ったのでした。
当時は、中学の全国大会は実施されておらず、放送陸上と言って、全国の会場に分かれて同時刻に競技が行われました。その結果が夜になると集計されてラジオで伝えられます。友人が全国でトップテン以内に入ったことが、応援しているだけの立場でしたけれど、とても誇らしく感じました。なぜなら、その友人は、部活としては「科学部」にいて、個人的にトレーニングを積んでいたことを知っていたからです。東京都の放送陸上競技が行われた国立競技場まで応援に行きました。彼の冷静な試合運びと、応援するものの期待に応えた走りぶりを今でも思い出します。
そんな追憶を誘う、中学の体育祭の練習の声が聞こえてきます。中学も、高校も、通り過ぎてしまえばほんの瞬間なのでしょうが、本人たちにとっては、厳しい試練の側面もあることでしょう。関係者も含む多くの人の善意に拠って、良い思い出となる生活になってほしいと願っています。

妙な風

2016 年 5 月 8 日

わが国では、TPPに関する審議をそっちのけにして、首相は海外を飛び歩いて「財政出動を……」などと触れ回っています。それが経済成長のきっかけとなって、世界経済の安定につなげたいと考えているようです。それ以この議論をする前に、経済成長こそが、世界全体が目指さなければならない目標であるとの考えに染まり切っているよところの問題があります。果たして経済成長は目標に掲げるだけの価値があるのでしょうか。もっと目指さなければいけない、穏やかで安定した人々の活動があるのではないかと考えないのでしょうか。現在世界に投げかけられている大きな課題の一つが、「難民問題」です。この問題を起こしてしまった原因は、サミットに集まってくるメンバーのうちの某大国にあります。中東の国に土足で乗り込んで、現政権と敵対する勢力に加担すれば、結果として戦場にされてしまった国の市民たちが「難民」になって移動しなければならなくなってしまうのです。その原因の発端を作っておきながら、難民が地続きの国々に逃れていくのを良いことに、まるで第三者のような口ぶりでこの問題に対し発言しています。また、難民を輩出してしまうようなその国の中で、世界に対し敵対することを目的とした団体が出てきてしまいました。このテロ組織が、現状に不満を募らせている若者の心を引き付けてしまっています。もちろん、彼らは少数者ではありますが、危険な英雄心を掻き立てられてしまっています。虚しいことは参加する若者たちにとっては、テロは何も望ましい結果を生まないと、判り切っていることです。それなのに、現状への不満は、むなしさが判っていても参加してしまう誘惑になってしまっているのです。少し考えればわかることですが、難民受け入れ拒否に走り、妙なナショナリズムを煽る勢力も、テロ組織傾斜の方向と共通なものがあります。
世界に冠たると自称する国々が集まる伊勢志摩サミットで、検討するべき課題はたくさんありますが、解決への糸口となる提案ができないであろうことは、今回の首相の外遊事情から見えてきました。それよりも、世界全体を不安定に追い込んでしまっている現象の多くが、先進国と称する国のわがままの結果なのだと自覚することこそ、新たな時代への提案を考え目スタートであるはずだと筆者は強く思っています。

憲法記念日に 憲法の危機を訴える

2016 年 5 月 3 日

現在の政権は、憲法改正を口に出しながら、どこをどのようにか改めようとするのかの内容には触れようとしません。多くの人が、憲法9条を改正して、平和主義を捨てようとするのではないかとまず心配していることでしょう。たしかに、自民党の改正素案では、武力行使を辞さない方向を持つようです。しかし、もっともっと国民にとって警戒しなければいけないことは、自民党の改正の方向が、国民を縛る憲法を作り出そうとしていることです。そのような憲法の変更によって、権力を得たものが、国民を自在に操ろうとしているのです。自在に操るとは、政権の指し示すままに、素直に従えとすることです。各国の憲法は、成り立ちの歴史から見て、市民が君主の横暴を覆して獲得した場合が多くあり、その根底には、権力を握ると人は狂ってしまうと認識しています。だからこそ、海外の憲法の多くは、権力を握るものを縛る形になっています。ところが、現政権の考えているのは、これとは全く反対の発想です。権力を握ったものが、容易に国民を制御できるようにする、という考え方です。二、三世紀歴史を戻してしまうような発想で自主憲法制定を謳っています。この内容の本質を国民に悟られないようにして、「自主憲法」の名前のもとに、国民の権利を奪っていこうとしているのです。第一、どのようなプロセスで何を目的に憲法改正をするのかと言えば、自民党は昔から憲法改正を党是としてきたのだから、詳細よりもまず形を作りたいと、首相は述べています。このような軽薄な議論の中で憲法を考えてほしくはありません。アメリカに押し付けられたから形を変えたい、などと主張するのは、憲法とは何なのかを正しく認識できていないことの証拠のようなものです。
平和主義を蹂躙し、報道の自由を侵し続け、アベノミクスと称する通貨安政策の行き詰まりから目を背けている、この政権の恐ろしさと、愚かさとを、国民全体が深く考える憲法記念日としたいと思います。

北海道新幹線

2016 年 4 月 28 日

開通してひと月あまりが経過した割に、北海道新幹線のことが華やかな報道になっていません。たしかに、部分開通ですから取り上げる趣向が浮かびにくいのかもしれません。函館そのものは、以前から観光地として取り上げられていましたから、新幹線の影響でたくさんの人が訪れているなどは、話題になりにくいようです。それよりも、いくつか気になる報道がありました。この新幹線がJR北海道の赤字体質を一層強めてしまう恐れがあるというのです。新幹線が持つ華やかさとは別に、切り捨てられている北海道内のローカル線の課題がありますから、とてもお祭り騒ぎにはならないのです。一部の鉄道ファンが熱心に乗車したと言われても、それで黒字が生まれるわけもありません。二代続けて社長が自殺しなければならなかった事情を、皆さん知っているのでしょうか。思い返せば、この悲劇の背景は、モータリゼーションの中で国鉄の経営が厳しくなってきた中で、「分割民営化」が行われたことにたどり着きます。相対的な人口密度が低い北海道は、決定的に赤字の基調にならざるを得ません。逆に東海道新幹線を抱えているJR東海は、膨大な黒字を抱えて、リニアモーターカーを企画したりしています。これで良いものなのだろうかと疑います。現在の鉄道料金について考えると、筆者の住んでいる首都圏では、JRは他の私鉄に比べ、相対的に高いと感じられます。それは、分割民営化を行う直前の「国鉄」の利用料金体系が高かったことの反映でしょう。もし、東海道新幹線で過剰なまでの利益を挙げられるのなら、北海道を支援するか、利用者にもっと還元するかのどちらかを選ぶべきです。不要不急のリニアモーターカーに投資して、それが経済成長のきっかけだ、などと考えることはもうやめた方が良いのです。
JR北海道の窮状を、今回の新幹線の開通はとても救う手段にはなりません。本来であれば、交通政策、居住政策など、広く検討されなければならない問題が根底にあるように思われます。それらのことを考慮せずに、地方創生などと、安直に呼びかけることだけはやめてほしいものです。

あんずの里

2016 年 4 月 26 日

このホームページの本体を運営していたNPOの環境資源開発研究所の理事長をお勤めになった中條高徳さんは、生前ふるさとのあんずの花が咲くころのすばらしさを、よく話してくださいました。同じように懐かしんでいらっしゃったのは、旧制松本高校で過ごした青春時代のことでした。どちらを話すときにも、普段は厳しいお顔の理事長が、とても穏やかな顔になっていたことを思い出します。
その理事長が亡くなられて1年4か月が過ぎました。このホームページも本来は消えているはずなのですが、実際には正しい活動ができていないNPOを、悪い形で利用しようとしている者がおり、それに対する警告もあって、本欄を継続していることについては、以前も掲載した通りです。今月の初旬、理事長があれほど懐かしんでいらっしゃった長野県千曲市の「あんずの里」にある菩提寺に、墓参りに行ってまいりました。実際に交差点の名称が「あんずの里」という場所があり、そこからほどなくのところに菩提寺の禅透院があります。ちょうど、地域ではあんずまつりが行われていて、理事長が眠る墓地も、穏やかなあんずの里の一画をなしているのでした。なるほどあれだけ大切にされていたふるさとの風景なのだと、納得できました。このような思いを以前一度持ったことがあります。秩父の方にドライブした折、「ここが桃源郷なのか」と思わせた花桃が咲いている里を見たときでした。それと同じか、それ以上に、心を和ませてくれる景色の中に、理事長のお墓があります。この欄をお読みで、元理事長の墓参をと思う方がいらっしゃればと思い、かなり詳しいことまで書きました。
それにしても、理事長がお亡くなりになっても、理事会も総会も開かず、毎年行うべき報告もしていないで、「幽霊NPO」を悪用しようとしているゴロには天誅が下されるべきなのでしょう。