酒税法の改正

2017 年 5 月 23 日

来月になると、ビール類などの値上げがあると伝えられていますが、なぜか政権の評判を落とすような内容の為か、報道機関の取り上げ方は積極的ではないと感じています。少し前のことでした。酒類を低価格で大量に売りさばく店があるために、一般の酒屋は立ち行かなくなってきた、これを是正するためにこのような業態を無くしてしまおう、という意見があるとは聞いていました。それを実現するために酒税法を改定して(間違っても改正ではないと思います)安値販売を行わせないようにしようとするものだそうです。この法律の改正をどれだけ国会でまじめに審議したのか承知していませんけれど、自由競争を進めようとしている政権の意向とは異なる話ではないのかと疑います。筆者が小さいころは、お米屋さんとお酒屋さんは、地域の名士とされるくらい、尊敬される立場でした。一定以上の資産のある人でないと、これらの商品を取り扱う資格が得られなかった時代だったのです。しかし、その後商店のあり方が次第に変化して、スーパーマーケットやコンビニエンスストアが幅を効かせ、これらの店舗でも、酒類やお米が販売されるようになりました。その変化の中で、酒類の低価格販売店が生まれてきました。確かに、一般の酒屋さんからは、我々の仕入れ価格より安く販売されていてとても太刀打ちできない、という嘆きの声を聴いたことがありました。また、消費者が車を利用して購入に行くことで、重い酒類を扱う小売店の特徴が失われていきました。
その中で今回の酒税法の改正です。どう考えても、自由を制限する行為にしか見えません。そのうえ、一般の消費者にしてみれば、より高い商品を選ばされる結果となるはずです。規制緩和とか、偉そうに言っている割に、今回の処置は政府が公正な自由競争を奪おうとしているように見えます。だからなのでしょうか、この処置に対する報道は極めて低調です。筆者はアルコールをたしなみます。普段その購入は、低価格の大量販売店まで車で行きます。今回の法律改定によって、どこで買うのが割安になるのか、しばらく観察することになるでしょう。実質的な値上げを前に、少しだけ買いだめをする程度の庶民の抵抗しかできませんけれど。

怪しげな話

2017 年 5 月 21 日

現在報道機関が伝えている政権の怪しさの話は、森友学園と加計学園と二つです。この話の怪しさは、従来行政が丁寧に扱ってきた学校の新設問題に対し、政権からの圧力があった形跡があって、そのうえ、国有地の低価売却や、自治体が学園に過剰に支援する結果となっていることです。この構造を見ると、余計な圧力のかかり方とか、安く国有地を払い下げたいきさつなど、国民が知りたい話が行政の壁の中に隠されていることが判ります。その結果として、国会での質問に答える財務省の役人たちの卑屈な答弁の姿勢を見ると、歯がゆく感じるばかりです。なぜなら、今回の話の怪しさを作り出したのが、文字通りの「行政機関のトップ」だからです。本来であれば、三権分立の法則が機能して、行政の過ちを正しく告発してくれると期待したいのですが、現在のわが国では、行政の優位の法則がまかり通っていて、なかなか本当の事実に接近しにくくなっているのです。文部科学省で交わされていたメモが公開され、このうちのいくつかに関しては、該当する本人が、ほぼ正しいものであるとコメントしたにもかかわらず、官房長官は「これらの文書はいわゆる怪文書ですから」と記者会見で述べていました。このやり取りからも、本当に怪しいのはどこにあるのか、国民にはすぐわかる話です。昔であれば、そんな嘘を言っては閻魔様に舌を抜かれますよ、とおばあさんから忠告されるようなひどい記者発表です。隠しきれると思っているのでしょうが、二つの案件が、類似していて、微妙に首相夫人などが暗躍していたことなど、疑いは深まります。少なくとも、今回の官房長官の釈明のようないい加減さではなく、国民に対し納得のいく説明を果たす責任は、政権側にあると考えます。
アメリカにおいてトランプ大統領が、過去の怪しげな話によって糾弾されようとしています。同じ構造がわが国にあるということが、とても情けなく感じられるのです。権力を持つということが、このような動きに結びついてしまうと、国家としての浄化機能が失われてしまったと指摘せざるを得なくなるからです。

忖度の中身が判れば

2017 年 5 月 18 日

森友学園と並んで、首相が口利きをして獣医学部新設が早められたとされる疑惑に関し、内閣府が文部科学省に対して圧力をかけていた文書が表ざたになりつつあります。内閣府は、この圧力をかけようとした首謀者を、内閣のトップにあるもの、としています。通例を破って、学部新設を認めさせようとした背景が、この文書からはっきりと見えてきます。このことは、裁判の問題などではなく、首相と言う立場にいるものが、本来やってはいけない禁じ手をやらせていたことを示しています。一方森友学園の場合、国有地売却の価格を下げようとした経過が、交わされていたメールが露見したことで見えてきています。土の中に埋まっていたごみが、減額の基礎となった杭打ち深さまでは達していなかったというのです。財務省がのらりくらりといい加減な答弁を重ねているうちに、その背景などが判ってしまってきています。こうなれば、誰が無理強いを求めて、その結果としてお役人が嘘までついて、へつらっていたことが判ります。報道機関が、この事実を積極的に伝えようとしないほど、忖度が行きわたってしまっています。しかし、徐々にではあっても、過去の真実が明白になってきていますから、首相は自分で言ったことを守って、議員も首相も潔くやめるべきでしょう。これ以上、優秀な官僚であるつもりの財務省の役人に、無理な答弁を強いるべきではありません。現在までに明らかにされている関連の文書をすべて明らかにすれば、国民は正しい判断ができるはずです。その結果として、首相の支持率は圧倒的に下がっていくことでしょう。それが見えてからやめるのか、低下していく支持率を見る前に辞めるのか、これが安倍総理に残された選択です。
首相夫人を隠していれば、忖度の中身が追及されないだろう、などとたかを括っていたことを今更反省しても間に合いません。報道陣に掛けていた呪縛も、どうやら証拠がこれだけ見えてきたことで、さすがに外れてしまいそうですから。

実のある国会審議を

2017 年 5 月 16 日

これからのわが国を考えるうえで、大切な役割を持つはずの法律案が提出されている国会ですが、その審議の中継をテレビ報道を通じてみていると、議員たちの英知がほとんど感じられないのが残念であり、心配でもあります。本来であれば、提出された法律案に対し、問題点を正しく議論する場所であるにもかかわらず、提出した側の担当である法務大臣が、二転三転をするような答弁をしたりしています。さらに、大臣への手助けが目に余るような状態になったりもしています。このような法律を通す以前の問題が明白であるにも拘わらず、ただ審議時間がどれだけ費やされたかだけにしか関心を持たないような政党があって、議席数の優位に寄りかかっています。究めて嘆かわしい議会運営です。しかし、このようないい加減さにならされてしまった国民は、首相の支持率を下げる抵抗さえ失っているかのようです。現在は保障されている個人の自由が、今審議されている法律が成立してしまった後に、奪われてしまっても簡単には取り返すことはできなくなります。その深刻さを国民に伝えようとはしない報道機関も、情けない国会審議に肩を貸していると非難されるべきでしょう。それよりも、国会議員であるならば、与野党の所属は関係なく、現状の異常さを恥としなければいけないでしょう。審議したかどうかを、その延べ時間だけで評価できるわけがありません。野党からの質問に答弁できない法務大臣を置いていて放置していることだけでも、現在の国会の情けなさが判ります。
このような民主主義の根幹をいい加減にしていては、国際社会からも笑われるだけでしょう。北朝鮮問題に対して、本当の解決策を求める姿勢も求められています。森友問題を隠すためだけのように、不適切な議会の運営がなされていることに、強く異議を申し立てます。

印象操作

2017 年 5 月 11 日

国会中継などを聞いていて気になることがあります。質問に対し真面目に答えようとしていない態度は勿論ですが、首相の答弁の中に、「あなたはそう言って印象操作をしようとしている」と述べている点です。この言葉の裏には、「首相である私はそのようなことはしていないのに、私を陥れようとしてしている質問ですね」という驕りが強く見られます。森友学園に関して言えば、この問題が発覚する少し前に、日本会議について解説する新書を読んでいましたから、大阪の支持者達と首相の関係について、事前の知識がありました。その知識を持って報道に接していましたから、あの狂信的な支持者が首相とどのような位置にいたかもおよそ理解できました。ですから、この報道が始まった時期に、首相が「万一私や妻が関係していたのであれば、議員も首相もやめます」とした発言には強く驚かされました。なぜなら、首相夫妻と熱心な支持者である籠池氏との関係は、誰の目にも明らかなことだったからでした。この発言の裏には、どのようなことがあっても、私の力で明るみには出させない、という不遜な思いがあったのかもしれません。事実、財務省の答弁のいい加減さなどを聞くと、首相の手が回っている、と感じさせられます。そのような無理強いは、どこかで破綻してしまいます。先日も本欄で指摘しましたが、財務省は国会を見くびっていても、会計検査院を欺くことはできません。提出書類を黒塗りにすることなどもできません。そうなってくると、会計検査院ごと首相が忖度を求めるだろう、と一般の国民は考えるでしょう。こういう無理は、歴史に耐えるものではありませんから、どこかで露見してしまうことでしょう。一般国民としては、その時期まで、厳しい目をして見守らなければいけません。間違っても、選挙で禊を終えた、などという言い逃れなどを認めてはいけません。そのように考えてみると、首相が正しく答えないまま、相手の質問を「印象操作」と逃げている背景がなんとなく見えてきます。
一般の国民が、真実を求め続ける気持ちが問われるような首相答弁です。

国会審議の不誠実さに

2017 年 5 月 9 日

現首相は、森友学園問題が取り上げられ始めたころ、国会で次のように答弁しました。「私や妻がこの件にかかわっていたと明らかになったら、首相を続けて行くわけにいかない」と断言しました。そのことは、普通に考えれば、潔白であることを自信を持って述べているように聞こえます。ところが、今回の国会審議の中で特別に用いられている「忖度」という言葉を思い浮かべると、首相夫妻が関与していないとされる状態を財務省が作り上げているはずだ、と首相が思い込んでいるだけの話にしかすぎない、と理解されてしまうのです。それは、昨日の国会予算委員会での財務省の答弁であったり、提出された資料などからも、容易に推定されます。このように財務省がとぼけ続けられれば、時間とともに国民の関心が消えてしまうので大丈夫だと考えているとすれば、国民も民主主義も随分バカにされているとしか言いようがありません。その国会審議の中で、自民党総裁たる立場の見解は「読売新聞に書いてあるので読んでください」という趣旨の答弁もしました。内容として嘘ではないとしても、国会で審議されていることに対して真摯な態度でないことだけは、この発言が十分示しています。さすがに予算委員会の委員長も戒める発言をしましたが、国会軽視、議席さえ押さえてあるのだから、という驕りの姿勢が、ここにも見られました。しかし、もっと大切なことは、財務省がどれだけ嘘をつき続けて首相を庇おうとしても、誰もが見破れる内容ですから、いずれ破綻してしまうでしょう。少なくとも、この財務省の言い訳の姿勢を、会計検査院が見過ごすはずはないからです。そうなったとき、首相は以前の発言に対し、どのような責任を取るのでしょうか。責任を取らせるために、国民はどのような発信をすべきなのでしょうか。
次の時代を少しでも正しい方向に向かわせるには、地道であっても、この活動がとても大切だと筆者は思っています。若い人たちが、この首相の嘘を見破って、追及していく対応をしてくれることを期待しています。

憲法記念日に

2017 年 5 月 5 日

今年の憲法記念日に、首相は改憲集会にビデオメッセージを寄せ、2020年までに憲法を改正したいとの構想を述べました。とても強い違和感を持っています。ひとつは、この首相見解に示された内容が、与党内でも練られたものとは考えられないことです。それ以上に、このような内容を憲法記念日に首相が表明する筋違いさに納得できないものを感じます。基本的には、わが国の国民は、憲法を守る義務があり、行政府の長である首相は、率先して憲法を守っていく姿勢が求められます。日常的にそのような姿勢を貫ぬいていて、そのうえで改憲のコメントを出すならまだしも、日常的に憲法を遵守しない人だと感じさせたうえで、このような振る舞いをしたことに、強い不信感を覚えます。改正すべきとした二つの柱は、公明党と維新の会へのメッセージであろうと、評論家は述べています。筆者もそのように思いますが、高等教育の無償化が、果たして憲法改正にふさわしい内容であるかと言えば、きわめて疑問です。また、憲法第9条の条文に自衛隊を書き加えることが、法律の文章として成立するものか疑問です。「自衛のためならば」というお墨付きは、現在の与党の中では、第二次世界大戦に踏み込んだ決断も、許しているのではないでしょうか。とすれば、この文言は何の歯止めにもならないことは、小学生なら理解できることです。頭がいい加減さに犯されている国会議員の中歯止めの言葉としていることなど、実質的には意味を持ちません。そのような乱暴な考え方で改憲を語ることの恥ずかしさを、首相は改めて考えるべきでしょう。
それにしても、北朝鮮の脅威を言い募るばかりで、外交交渉による平和解決への努力を怠り続けている現政権に、将来を託す気持ちにはとてもなれません。トランプ大統領でさえ、適切な場が設けられれば、北朝鮮のトップとの会談を拒まないと表明しています。突っ張ってばかりいるわが国の首相の言動を、正しい方向へ導く人は出て来ないのでしょうか。

大型連休

2017 年 5 月 2 日

明日から日曜日まで、学校も含め連続して休みとなる職場が沢山あります。筆者は、このような条件に押さえつけられる状態から外れていますので、報道機関が取り上げる「大型連休」の恩恵を直接は感じません。思い出すのは、筆者が小学校に行っていたころは、5月4日が日曜日になると三連休になると、そのことを喜ぶような時代でした。それが、土曜日が休みになって行き、さらに5月4日がみどりの日になって、連休の大型化が進んできました。そのことは、喜んでよいことなのかも知れませんが、一方では24時間営業の店が増えて、ここで働いている人たちの状態はどうなのか、少し心配もしています。働く立場の人は、大型連休をかきいれどきとして大いに稼げれば、そのあとどこかで休養が取れるのでしょうか。同じような心配は、正月早々からデパートなどが売り出しを始めたりすると、陰で疲れ切っている人がいるのではないかと思ったりするのです。
明日からは、全国的に好天だと気象情報は伝えています。混み合うところではなくても、ゆったりと初夏を味わえる場所で過ごせれば、リフレッシュできることでしょう。幾つになっても、そのような過ごし方をしたいと思っています。人の賑わう場所に行ってみたいと思わないではありませんが、前にも述べたように、筆者の今の立場ですと、無理してまでそのような場所に行くまでもないのです。
それでも、さまざまなスポーツの行事があると、関心を惹かれます。どこかから100m競走で10秒を切った、と言うようなニュースが聞こえてこないかと待たれます。先日の東京都の高校野球春の大会、決勝戦で17体17で延長に入ったというすさまじい試合がありました。事前にファンが大量に詰めかけるだろうと、会場を変更し、ナイターでの実施でしたが、結果はこのような配慮に応えるものでした。驚かされましたけれど、スポーツの良さを感じるものでもありました。
少しでも充実した連休が過ごせますように。

財務省の説明責任

2017 年 4 月 30 日

森友学園問題で、国有地を格安で払い下げた当事者である財務省が、証拠書類は廃棄したとか、適正に実施したことなので問題はない、などと国会でも答弁していますが、この態度に関し、国民の大多数は納得できていないと思います。第一、決して昔のことではないにもかかわらず、十分な調査を行う前から、書類は存在しないと言い続けていること自体に怪しさがあります。少なくとも、このような国有地の取引に関し、後日の会計検査院の調査がなされるまでは、関係書類は保全されていなければいけないはずです。それとも、財務省は、他の官庁とは異なって上位にあるのだから、そのような検査を受ける恐れがないと己惚れているのでしょうか。少なくとも、国有財産を管理している以上、書類を正しく整え、かつ、保存することくらいは十分認識しているはずです。そこの官僚が、知らぬ存ぜぬを答弁しているいかがわしさを、報道機関はもっと鋭く衝く必要があります。のらりくらりの答弁で、森友問題を幕引きしようとしている政権は、北朝鮮問題について危機感を煽って、国民の視線を逸らそうとしています。確かに、北朝鮮問題は一つ間違えるととんでもないことになってしまいますが、手詰まり感を武力行使をちらつかせることで乗り切ろうとしているトランプ政権に便乗することは許されません。わが国の首相が、トランプ大統領との会談で、「武力によって平和をもたらすことは大切」とコメントしたのは、それだけでも憲法違反です。外交努力をどのようにするのかさえ理解できないまま、このきな臭い国際情勢を煽り続ける姿勢に強い疑問を覚えています。
後ろ暗い財務省が、このような流れの中で怪しい役割を果たそうとしている現状を許せません。国民こぞってこの問題に関心を寄せ続けるよう期待しています。

復興相更迭

2017 年 4 月 26 日

以前にも記者会見の席で暴言を吐いた復興相が、昨日の派閥の会合の中の発言によって更迭されるに至りました。この発言は、参加していた議員の多くが心に抱えていた内容と一致していたのではないかと疑っています。記者会見のような、やり取りの中で生まれたものではなく事前に準備してきた発言要旨に沿って述べられたものだけに、より罪深いものだと感じています。あの大震災が首都圏ではなく、東北地域を襲ったものだったから良かった、という発言内容は、すべての災害の被災者に対する冒涜です。先日の暴言で咎められた後、「被災者に寄り添って」などと言い訳していた自身の発言に対してさえ反しています。自然災害が襲った後、その復興に携わるものとして、首都圏でなくてよかった、などという発想は、そもそも持ってはならないことなのです。それを、原稿をもってやって来た会合の中の発言で犯してしまうのですから、間違った意味での確信犯としか思えません。こんな人物を、よりによって復興相に就けていたとは、お粗末の限りです。以前から指摘しているように、国会に出てきている議員のかなりの部分が、政治ゴロのなれの果て、でしかないのですから、このような組閣の実態が見えてしまうのも当然なのかもしれません。だからと言って、許せる範囲を越えています。政治ゴロの大臣病を癒すために国政が使われていてはいけません。今回の更迭人事の背景にある、議員資質の劣化に対し、報道機関はもっと正しく取り上げてほしい。
それにしても、まだ居直り続けている大臣が何名か残っていますし、見えを切った首相自身、森友問題から逃げられないように、筆者は感じています。