教育制度

2014 年 11 月 1 日

今朝の新聞に、小・中一貫校の設置を国の方針で取り組むと報道されていました。筆者の時代は、中学になると学区の規模が大きくなって、小学校時代より広がる交流関係ができることが、魅力の一つでもあったと感じたものでした。一貫校にすれば、中学一年になるときのカルチャーショックから生じる「いじめ」が回避できるだろうと、まさかそれだけの目的とは言えないでしょうが、何か安直な制度改革のように見えます。公立の学校が抱える課題は、もちろんいじめだけではないと考えられます。学校教育を、子供たちが生き延びるうえでの競争の手段ととらえる親たちは、公立の学校より私立の学校を選ばせている風潮があります。通勤電車の中で、教育環境の欠陥を見せられるような子供たちを見るときわめて不愉快になりますが、このような風潮と小・中一貫校の発想は似ています。
本来、義務教育で教えなければいけないことは、「同じ時代を生きることをお互いに認め合うこと」の習得です。読み・書き・そろばん、はそれを身に着けるための役割を持っています。ところが、いつの間にか、読み・書き・そろばんの能力で序列化することに教育者、保護者の関心が集中してしまい、まともな教育がなされなくなっています。序列化は、結果のわずかな部分でしかありません。もっともっと、子供たちにとって大切なことがあります。それらを身をもって伝えられる教育者や、関係者が増えてほしいと願っています。
最高学府に行って得た知識で、当選を目指した「うちわ」を配るような人間を育ててほしくはありません。「法」は守るためのものであって、抜け道を探すものではないのですから。

政治資金

2014 年 10 月 30 日

選挙に金がかかるから、政党には公的なお金を支給してほしい、とわがままを言った人たちが、与えられたお金なのだから、使い方は自分勝手で構わない、と言わんばかりの事例が伝えられます。政党交付金と呼ばれるものを受けている人たちが、本当に政策集団として、国民のためを思って日夜活動しているでしょうか。本欄では、再三にわたって指摘し続けています。法律が定める制度設計と、実態の経営収支が破たん状態に近い年金問題など、党派を越えて議論しなければいけない課題です。ところが、その討論を真摯に(政治家が使ういい加減な意味ではなく)議論することさえされていません。そのくせ、「百年安心年金」などと、いったんはやし立てた年金の課題が、すぐに色あせてしまう状態なのです。こんなことをしまくっている人たちに、公的支援をさせられている国民の方がいい面の皮をしている、と言われてしまいます。
いったん助成を受けたなら、あとは使い放題だ、との認識なのです。こんな人たちが「選良」と呼ばれる不思議さに戸惑います。拉致問題解決の覚悟はあるのか、と数日前の本欄でも書きました。隣国の犯した醜悪な過去が暴かれた時、将来に向かって受け止めきれる政治家がいなければなりません。隣国を非難するだけでは時代は前に進みません。そのような策を、頭を振り絞って求めることこそ、公的支援を受けるにふさわしい「選良」の役割であるはずです。非難だけすることは簡単です。それを乗り越えて、かつ非道な戦争に導かない、解決策を提案することを、筆者は関係者に強く求めるものです。

拉致被害者

2014 年 10 月 28 日

北朝鮮による拉致の結果、残されている家族の心情を思うと、言葉がありません。「拉致行為」そのものが、国家の間で厳しく糾弾されるべき犯罪です。家族にしてみれば、「神隠し」のように突然いなくなって消息がつかめないのですから、もどかしさに苛まれたことでしょう。その現実を回復しようと、北朝鮮との交渉が行われています。秋になれば調査結果が届くであろうと、わが国の国民の大多数の期待でした。ところが、その時期を過ぎても、隣国は音沙汰なしです。聞きに来れば経過を説明すると言っておきながら、訪朝団に対し、無作法な対応しかしていないようです。
本欄では、この件に関し、以前から覚悟を決めて話を聞きにいかなければならない、と指摘してきました。拉致を平然と行った国が、被害者を厚遇し続けることなど考えられません。目的を終えたら、悲惨な結果をもたらしていないとは限らないのです。ですから、交渉をしてみた結果、愕然とするような調査結果が伝えられることを覚悟の上での交渉しかありえなません。相手国にしても、過去をすべて白日の下にさらした場合、国際社会から強い制裁を受けてしまうであろうと、恐れているはずです。交渉事ですから、寛容と忍耐が求められます。それでも、こらえきらなければいけない現実が突きつけられることでしょう。
相手国のこのような国家運営がなされてきたことは、わが国の常識から見れば、あり得ないことです。あり得ないことが、結果として示された時、どのように振る舞うのか、青いバッジをつけている議員たちは、その収拾策を考えておかなければならないのです。きれいごとで済まされない、汚い過去を相手国は行ってしまっていたと推定されるのですから。

ウィンタースポーツ

2014 年 10 月 27 日

先週末、フィギアスケート、スピードスケートの大きな大会が開かれ、いよいよ冬を迎える季節になりました。わが国のフィギアスケートの選手は、オリンピックソチ大会を終えて、入れ替わりがありますが、男子に限って言えば、今年も世界のトップを争う力を持っています。海外の大会で町田選手が圧倒的大差で優勝して、幸先良く始まりました。観衆は、演技の出来栄えを見ながら、にわか評論家になったりして、冬のスポーツを楽しみます。野球やサッカーなどと比べると、競技人口が少ない割に、国民の見守る力は大きいものです。
すでに、大学駅伝なども始まっています。以前から本欄で指摘していますけれど、長距離種目に関し、若い人たちの力は伸びてきていますが、実業団入り後の伸びしろが少なくなってしまっているように見えて仕方ありません。適切なトレーニング法を習得すれば、これを乗り越えられるのではと、半素人的に考えています。何より大切なこととして、本人の内発的挑戦意欲の継続が大切でしょう。公務員ランナーの川内さんは、素質的には他の実業団選手に及ばないと見ています。それでも、アジア大会でも示された、競技への執念は素晴らしいものです。この意欲を、素質に恵まれた人たちも、自分のこととして持ち続けてほしいのです。東京オリンピックは8位、その後メキシコのオリンピックで銀メダルを獲得した君原選手は、トレーニングの間も、他人以上の負荷を常に自分に課すようにしていたので、コーチは過剰にならないようにと抑えることが仕事だったと伝えられています。今の選手は、きわめて科学的ではありますが、このような心がけも必要なのではないでしょうか。
観衆に感動を与えてくれる新星の出現を待っています。

納得感がない

2014 年 10 月 25 日

東京電力の今年度の決算予想が公にされました。1000億円を越える黒字が見込めると言われています。どこか納得できないものを強く感じます。もちろん、さまざまな営業努力を重ねた結果も背景にあるでしょうから、黒字を出すための努力がなかったなどとは言いません。しかし、これだけの黒字を実現できるだけの「電力料金」を申請して、認可された、という経過がしっくりきません。黒字に至った時には、株主に配当する前に、消費者に還元する優先事項でもあったのなら、許せますが。余計なことを言えば、経済産業大臣は、東京電力の大株主でいますから、筆者のような意識の流れは持たないのでしょう。
汚染水対策の技術を選択した時に、コスト面から東電が推奨した方式が行き詰っているとも聞いています。このような企業運営のスタンスで、本当に国民全体に顔を向けられるものでしょうか。部分的に国営化以上に国の資金を求めていながら、自立している風を装うことに、誰も異議をさしはさまないのでしょうか。復興のために、現在原子力建屋の上を覆っている部分を取り除こうとしています。この時、周辺に大量の放射性物質をばらまいてしまうことがないか、しっかりモニターされなければなりません。2年前3号機に対し同様の処理をしたとき飛散した放射性物質があったと分かったのは、周辺の水田からの収穫物をチェックしていた農林水産省のプロジェクトチームの分析結果からだと言われています。作業をすることだけに注意が向くのではなく、自分たちの作業の結果が常に周辺に対し、マイナスの結果をもたらす恐れがないかどうか、東京電力の関係者は謙虚に現実を見る必要があるのです。
九州電力などが、太陽光発電からの電力供給に対し、受け入れ制限と称して実質ストップをかけています。そのこと自体は、配電施設との関係からわからないこともありませんが、どうも、原発再稼働の方にばかり企業の関心が向いてしまったことの結果とも見受けられます。本当に、この国のことを考え、将来像を描けるような企業運営が強く求められます。

テロップ

2014 年 10 月 22 日

テレビの報道で、答えている人の言葉をテロップにして流してくれる場面があります。耳と、目と、両方で話が伝わりますから、有効な手段と言えます。ところが、このテロップがときどき間違っていることがあります。よく指摘されるのは、火事の原因を伝えるときに、「過熱」と書かなければいけない時に、「加熱」としてしまうような場合です。昨日大臣更迭を報じる番組の中で、テロップミスに気づきました。ただし、その番組の中では誤りを認める言葉が聞かれませんでしたから、もしかして、発言者の真意を番組関係者全体が理解できていなかったのかもしれません。
それは、選挙区内の有権者にワインを配ったことに対するコメントでした。法律関係のコメンテーターは、「議員事務所の関係者は『全盛期』の感覚で対応してしまったのでしょう。」と言ったのでした。そして、テロップは、ここに示した表示だったのです。本当は、コメンテーターは、事務所の担当は公職選挙法による寄付行為など厳しさがなかった時代の『前世記』という趣旨で発言したのだと考えられます。この言葉には、いくら法律を作っても、法律を作る立場になる人間の側近には、法律を守る気持ちなど生まれてきていない、という非難も込められていたと思います。ところが、テロップ作成者の意識は、発言の真意や指摘しようとしている内容にとても及んでいなかったため、報道としては失格なのでした。
このように、同音異義の言葉がインタビューなどで出た場合は、聞き返したり、趣旨を確認したりして、誤りなく発言者の真意を伝える必要があるのです。それとも、大臣更迭番組のばかばかしさから、とても深く報道する気持ちを欠いてしまっていたのでしょうか。

大臣の交代

2014 年 10 月 20 日

政治資金問題と、うちわ配布の問題とで、二人の大臣が立て続けに交代しました。これで済まして、すべてはおしまいになってしまうことでしょう。毎回思うことですが、この程度の人の中から大臣を選び、国政を動かせるはずなどないのに、それ以外の選択肢は国民には与えられていないのです。つくづく悲しく思います。大臣席に女性を並べることが、女性が輝く時代を作ることだととんでもない勘違いをしている首相がいることに問題の根源があるのでしょう。アベノミクスの失敗が様々な形で表れ始めていますけれど、責任をとろうともせず、次から次へと耳に響きが良いキャッチフレーズを考え出しています。「女性が輝く」もそのうちの一つでしたが、すでにそのことが破綻しているように見えます。地方創生も、その動きと反対となるリニア新幹線にほれ込んでいるようでは、どれだけ本気で地方のことを考えているのか疑うばかりです。地方創生のために中央で考えるべきことは、地方に、お役所の縦割りを強要せずに、自由に(と言ってもなかなか自由にはなれないのですが)自治体の裁量権を認めることでしょう。今まで、縦割りを前提に陳情型でやってきた自治体には難しいかもしれませんけれど、自治体の中に積極的な未来志向があるなら、きっとうまくいくはずです。
当然のことですが、地方創生の結果として、中央の過干渉は排除されるのだと、その筋の人は覚悟しなければいけません。どうも見ていると、地方創生と言いながら、箸の上げ下ろしを干渉したがっている中央の役人がいるように思えてなりません。少なくとも、地方創生と口にしてすぐに、予算に反映させるような無茶をしてはいけません。もっと、地方の主体が想を練る時間を与えるべきです。いったん予算の形にしてしまえば、全国どこも類型的で独創性のない、それこそ、予算を使うことを目的にしてしまうような動きになってしまうことでしょう。担当大臣の持っている独創性に期待していたのですが、どうもこれまでの経過を観察していると、役に立つ発想はほとんど出てこないと絶望的になってきます。

情けない話

2014 年 10 月 19 日

本欄では、今、国会で議論しなければいけないことを以前にも示しました。年金問題の制度設計そのものが破綻を招くのであるなら、その目的を最大限生かしながらも、国民全体に最大限の納得感ある是正策はどこにあるのか、それをまな板に載せるのも大切なことと指摘しました。アメリカとの協調関係を大切にすることは必要なことですが、アメリカ自体が地球全体の監視機能を果たせなくなってきていることに対し、どのような将来像を作り上げていこうとするのか、これもとても大切なことです。現政権が行おうとしている糊塗策では、10年先の国際社会は乗り越えられないでしょう。
そのような基本的な問題が山積している中で、大臣の政治家としての資質を問われるような課題ばかりが取り上げられています。このような議論しかできないことの情けなさに気づいていない愚かさばかりが目立ちます。マスコミは、このような動きを増幅するだけしか機能していません。わが国の民主主義の基盤のなさが露見しているのです。うちわに「討議資料」と書きさえすれば、選挙民に配っても言い訳が通用すると信じている人が法務大臣になっているのが、この国の実態です。ブラックユーモアにもなりません。そのうちわに、「法務大臣」と書き込んだ気持ちの卑しさが伝わってきます。最高学府を出ているのだとしたら、そのような大学こそ反省すべきでしょう。たしか、海外で大きなばくちに負けて会社の金を使ってしまった御曹司も、この大学出身だったと報じられましたね。
大学を出ることを、責任ととらえず、権利としてしか見ていない人たちが、学問の府を構成していれば、こうなることは目に見えています。情けない話です。
重ねて言いましょう。制度設計に矛盾点や、克服できない欠点があるなら、そこを改善して国民の安寧を図ることこそ、国会が最も力を入れなければいけないことなのです。制度設計の不備を、官僚の作文でごまかして、年金の支給開始年齢の変更などに一気に持って行ってはいけないのです。原則に戻って、国会は国会としての論戦をはたさなければいけません。

格差拡大社会

2014 年 10 月 16 日

昨日のニュースの中で、「21世紀の資本論」と呼ばれる文献の紹介がありました。世界の国々で、中産階級が衰え、数少ない富裕層と中流以下の層が増えてきている、ということを多くの統計や制度の改革の経過などから明らかにした文献です。まだ、日本語訳は出版されていないのだそうですが、ニュースの内容の中に、本欄でも指摘していたことが言われていたことに気づきました。現在の社会では、ひたすら働くことだけでは、生活は向上できない仕組みに労働者は置かれてしまっている、というのです。わが国では、昭和30年代、集団就職に代表される世代は、ひたすら働くことで「家」を持ち、それなりの上昇志向を満たされる時代でした。その結果、一億総中流時代、と呼ばれる時期が出現したのでした。
ところが、この時代を担っていた「団塊の世代」が、舞台から退く時期になると、「規制緩和」の呼び声の下、中流を裏付けていたさまざまな制度が消失していったのでした。それは、非正規雇用と呼ばれる労働者の形態にも表れています。「同一労働同一賃金」の建前は、もろくも崩れ去って、非正規雇用となった人は、結婚機会も縮小していったのでした。このような変化を促進した人たちが、あわてて、少子化対策などを話すのを聞くと、笑止千万と笑わずにいられません。グローバル化に応える、と称して規制緩和をした挙句、結局人の心だけが荒んできたように見えます。
経営者の多くは、不当労働行為は露見しなければやりたい放題だ、と考えているものと推測されます。一方、親方日の丸的労働組合の失敗例は、社会保険事務所のいい加減な労働実態が明るみに出たことで知られます。制度を前提に、労使が発展的な交渉ができなかったのだとしたら、それは人の知恵が足りなかったからにほかなりません。経営者は、自分のもとで働く人たちの幸せを考えることから遠ざかってしまっています。平気で「リストラ」を口にしてしまいます。株式会社なのだから、と言い訳する前に、会社が置かれている社会的責任に思いをはせるべきでしょう。
現在のわが国の政権は、「給料が上がるよう経営者も配慮してほしい」と言っていますが、それは、デフレ脱却のシナリオの構成のうえで欠かせないからです。けれど、政府の主張の内容は社会に浸透できていません。浸透できる背景をすでに失っているからでしょう。来年の春闘で、労働者側は、2%の賃上げを要求すると伝えられています。要求をしないよりはした方が良いのでしょうが、このような腰が引けたままで、格差解消など絵に描いた餅でしかないと筆者は感じています。
もっと謙虚に、将来を見植えて、現在の立場を超えて、閉塞の打破を議論していかなければ、「イスラム国」への誘惑は勢いづいてしまうことでしょう。

非常識な会話

2014 年 10 月 15 日

新幹線の座席は、2名掛けと3名掛けがあります。3名掛けは、同行者の数が一致した時は、快適に過ごせますが、一般的には避けたいと思っている乗客の方が多いと思われます。それでも、指定がほかになければ、3名掛けの真ん中でも不満を言いはしませんけれど。台風の襲来が予測された火曜日、台風の速度が上がったこともあって、始発から東海道新幹線は順調に走っていました。筆者は、2名掛けの席の窓側の指定をとっていました。早目に家を出た関係で、東京駅でサンドイッチと紅茶を買って、さっそく腹を満たしていました。隣の3名掛けの方を見ると、最初に来ていた女性と、遅れてきた女性は、どうやら知り合いのようで、真ん中の席を挟んで話に夢中になっているのでした。幸い、中央の席に人は来ませんでしたから、このままで済めば何事もなかったことでしょう。
ところが、途中名古屋駅で真ん中の席に人が入ったのでした。指定席なのですが、知り合いの二人は、隣になるようには座席をとっていなかったので、真ん中の席を挟んで、話は続けられることになりました。たとえ、座席指定であっても、席の移動をお願いして話を続けるのならわかりますが、間に人を挟んだまま、自分たちは体をやや前に倒して、人の前を行き来する会話を続けていました。迷惑そうにしている間の人を見るに忍びない風景でした。それなのに、何を盛り上がったのか、二人の会話は全くやむことがありません。
おばさんたちの非常識を指摘する話はたくさんありますが、この新幹線で見た、間に人を挟んで平然と会話し続けるおばさんには、情けなささえ感じました。京都を過ぎたころでしょうか、座席移動の提案を、初めて真ん中の人にしたようでしたが、ここまで虚仮にされたあとでは、今更とばかりに提案は拒否されました。結果的に、この非常識な会話を見届けてしまって、こちらまで心が塞いでしまうような体験でした。