とんでもない発想

2014 年 7 月 26 日

経済成長を目指すために、これから何をすべきかを考える与党の勉強会を終えて、ある中堅幹部が次のような発言をしているのをテレビの報道を通じて聞き、愕然とするとともに、暗澹たる思いに引き込まれました。それは、「地方にとっては、公共事業こそ最大の産業なのです」ということです。発言をした議員は、だからこそこれからも公共事業を地方に誘導することが議員の最大の課題であるかのように誇って発言していました。本当にそうなのでしょうか。財政再建のめどさえ立たず、少しだけましな予算が組めた程度の評価しかされていません。このままでは、わが国の財政はギリシャ化し、地方自治体は夕張市化していくことでしょう。その傾向はこれからも改善される可能性が全くないと思わさる発言でした。
かつて、国を抱えいた大名は、いかに産業振興を図って安定した政治を営むかに苦労したものでした。米沢藩の上杉鷹山公の話を出すまでもなく、国にとって、住民にとって、プラスになる産業を見出すことが大切なのです。ところが、何を血迷ったのか、首相は武器や原子力発電所を海外に売りつけることで経済整地用を目指す、などと発言し、その党の中堅議員が、この公共事業の発言なのです。これでは、私たちを代表するとする国会で、将来への展望など見えてくるわけがありません。情けない話です。
国が税として、国民から集めているものをこのような使い道に振り向けてしまい、それをどれだけ地元に誘導できるかが、選挙に反映されているのだとしたら、民主主義の入り口で、この国は大きな間違いを犯しているのでしょう。
このような議員の発言を当然視してしまうマスコミには、次の時代への責任が感じられません。

マレーシア航空機撃墜事件

2014 年 7 月 24 日

このニュースに接した時、行方不明になっていたマレーシア航空機の消息が分かったのかと、一瞬間違えてしまいました。インド洋で消息を絶ったマレーシア航空機は、さまざまな謎を残したまま、ブラックボックスの捜索もできなくなったとされています。同じ「マレーシア航空機」が、ウクライナ上空でミサイル攻撃にあって、撃墜された報道は、世界のきな臭さを一層煽るものとして嘆かわしいばかりです。ウクライナ東部は、反政府の立場となる親ロシア派と政府軍とが、実質的な内戦状態に入っていることを、この撃墜事件によって、改めて知らされました。
民間航空機であれば、内戦状態であったとしても、撃墜の可能性がないように管理されるはずだ、と考えるのは、遠くにいる部外者の思いでしかないのでしょう。民間航空機を撃墜して、相手側を非難することで、自分たちを正当化する、という動きは歴史の中でいやというほど行われてきています。まさしく、このような愚かしいことが、現実にウクライナで起きてしまったのです。本欄では、武器輸出をして経済成長を図りたい、とする、現政権の意向を望ましくないものと評しましたが、武器輸出をした者には、このような結果に対する責任があるのです。
人は、複数いれば、仲間を作ったり、憎みあったりするものです。そのような心の動きが存在することを理解して、だからこそ、平和を築いていくための方法を考えなければならないのです。ところが、人の心の営みに付け込んで、武器を持たせていけば、どのような結果が待っているのかは自明のことであるにもすかかわらず、今回の事件を起こさせてしまったのです。それを防ぐためにこそ、政治家の判断力と行動力が欠かせないはずです。ときどき触れる「いじめ問題」解決のための方策でも述べているように、いじめがあってはならないと隠ぺいするのではなく、人はいじめを行ってしまうものではあるが、その結末が悲惨な状態に導かれないように、社会全体はどのように配慮すべきか考える必要がある、という指摘と同様なことを今回のウクライナ内戦状態に関しても主張します。内戦状態になってしまえば、当該の人たちは頭に血が上っています。瞬間的な敵味方関係にばかり目が行ってしまいます。
長い世界の歴史の中で、平和を願った人たちが作り出した国際赤十字の心を、今回の撃墜事故の解決にあたっても、かみしめるべきなのでしょう。

大病院の実態(失態)

2014 年 7 月 20 日

今から6年近く前に、こらえられない腹痛を起こし、都内の大きな病院に診断を仰ぎました。結果は、脾臓梗塞を起こしており緊急入院となりました。その後、9週間ベッド生活を強いられました。不摂生な生活を続けてきた報いなのですから、誰かに文句を言うことではないと思いつつ、天井から綿ぼこりが垂れ下がる下で病院食を食べさせられる哀歓を、医者である友人にメールで送ったところ、「この病院ですから、診立てに間違いはないでしょうが……」という返信が届きました。
確かに、病気を診る目は確かな感じがしました。しかし、心細い入院患者としては、どこか冷たさを感じて、友人に嘆きのメールを送ったりしたのでした。退院後も、定期検診を続けていましたが、3年が経ってから、次のような体験をしました。腹部エコーの撮影に基づいて診断される担当の医師に、半年ごとの次の診察日を指定されました。その日は、世間はお盆の休暇にあたるような日でしたが、指定した医師は、年度末に移動する予定なので、自分のこととは考えもせずに、一方的に通告したのでした。まだ先のことだし、変更が必要なら言ってくるだろうとたかをくくって待っていました。ところが、ある日、事務所に出かける途中の携帯電話に連絡が入ったのでした。電車に乗っていたので、出られないとのメッセージを発したはずでした。すると、わが家から携帯電話にメールが入り、その病院に急いで連絡してほしい、番号はこちら、と連絡されました。電車を降りてすぐに電話を架けました。ところが、大病院ですから、先方が言っていたとおりのことを交換手に告げても、簡単にはつながりません。経過は推定できていましたので、予約担当の部署ではないかと添えると、ようやく電話はつながりました。
経過を話して、「そちらから緊急に連絡せよ」と指示されたので家人は慌てていましたよ、と告げると、いったん電話に出ていた担当は上司と入れ替わってしまいました。再度、その日に起こったことをその上司に告げると、予約変更を病院の都合でお願いしなければならない時に、たいへん申し訳ない連絡の仕方をしてしまいました。交代した医師が、予約担当者に厳しく変更指示を出したのでしょうが、それを患者さんへの負担にしてしまう連絡方法をとってしまったことはお詫びします。というのです。そう言われてしまえば、こちらの苦情を重ねる気はありませんでしたが、その病院との腐れ縁をおしまいにしようと思ったのでした。
大病院は病気を診るのには長けているけれど、患者と向き合うことはどうも苦手のようだ、という病院批判を聞くと、わが身の体験からもおもわず賛成したくなるのです。

リスク管理

2014 年 7 月 18 日

聞きかじりのラジオ番組からの思いの流れですから、筆者の誤解や曲解があるかもしれません。聞きかじった番組のどこに最初の関心があったかと言えば、「中学校時代など、異性への関心が高まった時に、素直に自分の心に向き合うことをすれば、他人との関係の作り方が理解できて、その後になってからのストーカー的な行動を防ぐことができるでしょう。初期における相手への恋愛感情をそれなりにコントロールするのは大切なことなのです」という解説者の話でした。筆者の中学生時代を思い出すと、異性への思いは目覚めていたものの、それよりももっとストイックな生き方があるはずではないか、と敢えて目を背けたところがあったような気がしています。あのころ、もっと自分の心に正直になっていたら、果たしてどのように人生は変わっていたのでしょうか。
筆者の周辺を見てみると、異性に対しきわめて高い関心を持ったまま成人し、そのことが人生を不幸に導いてしまった人を知っています。ですから、関心を持つことは間違いではないとしても、適度なコントロールができるかどうかが問題なのではないかと感じたのでした。もちろん、こだわり過ぎずに適切な人間関係が築かれるなら、それに越したことはないでしょう。
ただ、この解説者が指摘する内容に、とても共感するところがあったことも確かでした。それは、人生生き続けるには、どこかで失意の総括を自分で行うときがあるはずです、ということです。どんなに恵まれた環境にあっても、自分の思い通りにだけ結果することなどあり得ません。どこかの独裁者でさえ、思い通りにはならずに、瞬間的な誤った指揮をしてしまうのですから。その「失意の総括」を自分が生きていくうえで役立たせるものかどうか、人生はそこにかかっている、という指摘でした。
考えてみれば、これまでたくさんの失意の総括があったのかもしれません。しかし、そこから生まれた小さなこだわりが、歯を食いしばってでも頑張れる力になったのも事実のようです。
一番感じたのは、筆者が中学に入る前にこのような解説番組にどうして出会えなかったのか、という思いでした。

原子力規制委員会

2014 年 7 月 17 日

原子力発電所の再稼働を求めて、規制委員会に適合基準を満たしているかどうかの審査が求められています。その中で、最初に九州電力の川内原子力発電所に関し、昨日適合基準を満たしているという審査報告がなされました。この報道で強く感じたことは、規制委員会の田中委員長は常につぎのように述べています。「基準に照らして満たしているものであります。決して安全であると評価しているものではありません」ということです。ところが、首相や経済界のメンバーなどは、「規制委員会が安全であると判断したのだから、これで再稼働だ」とはしゃいでいます。
この両者の見解の相違に、原子力発電所の安全性の大きな問題点が含まれているのではないか、と筆者は感じています。すなわち、規制委員会の立場からは、「これならば安全である」と言い切る論拠はまったく出てこないのです。福島第一原子力発電所で起きてしまった重大事故に対し、関係者のほとんどが「想定外」と表現して自分たちの責任を逃れようとしました。それならば、現在進められている規制委員会の審査基準は、考えられるすべての災害要因に関し、配慮しきれているのでしょうか。私たちは自然現象のすべてに対し、それほど正しい経験を持ってはいません。起きてしまって初めて「想定外」という言い訳をしてしまうのです。
要するに、その程度の技術レベルで、原子力発電所を運転してもよいものであるのかどうか、について議論が深められていません。にもかかわらず、現政権は、規制委員会が再稼働へのお墨付きを出してくれたのだ、との判断をしてしまっています。
本欄では、この問題に対し、事故調査委員会の報告をしっかり読もうと試み、その結果として、国会も政府も、基本的な正しい対応をしてきていないのではないかと指摘しました。まずは、福島の原因究明を正しく実行することが、再稼働への第一歩であるべきです。それなのに、議論をすり替えて、再稼働できるのだとはしゃいでいる人に、国民の明日を委ねる木本にはなれません。

アメリカ大リーグのオールスター戦

2014 年 7 月 16 日

今年のオールスター戦には、渡米初年度のヤンキース田中投手が出場できるものと期待していましたが、故障が発覚し、残念ながらその活躍は来年以降になってしまいました。それ以上に今年の大リーグの注目を集めたのは、今年度限りで引退を表明しているヤンキースのジータ遊撃手でした。最初の打球が、ジータ選手の横を襲い、横っ飛びでこのごろを捌いたものの、俊足のバッターがわずかに優って内野安打となる出だしでした。この選手の生還は許さずに迎えた裏の攻撃は、先頭打者に抜擢されたジータ選手からでした。ライト線に二塁打を放ってゆうゆうとベースに達し、次の打者の3塁打で最初の得点を挙げたのでした。
ジータ選手は次の打席でもライトへヒットを放ちました。そのあとの守備の機会で、いったん守備位置に着いた後交代し、ファンの歓声を得られるようにした演出も心憎いものがありました。オールスター戦全般に、投手は150km 以上、打者はそれをものともせずはねかえそう、という雰囲気が感じられて、さすがと思わされるものでした。勝利したリーグにワールドシリーズの開幕権が与えられるという目標も、それなりのモチベーションになっているようです。わが国の複数試合を行うのに比べ、たった一度だけの戦いですから、まさしく夢の球宴と言えるものでした。
その中で、ヤンキースのジータ選手が立派な輝きを見せてくれたことは、スポーツの良さを改めて強く感じました。他のメンバーの多くが、ジータ選手の活躍ぶりに刺激されて大リーグへの歩みをたどったのですから、一緒にプレーできてどれほど感激したものでしょうか。
最近は、わが国の高齢の選手も多くなってきています。身体の手入れなどが、以前よりうまく行われているからかもしれません。しかし、今年のジータ選手が与えた感激を、わが国の高齢の選手も同じように見せられるかというと、ちょっと疑問が残ります。安打数、とか、勝利数、などの個人記録ではなく、ファンへの感動を与えようとする選手であってほしいと、アメリカ大リーグのオールスター戦をテレビ観戦して感じたのでした。

武器輸出問題について

2014 年 7 月 15 日

アフリカのソマリアが海賊国家になってしまったのはなぜでしょうか。先進国と呼ばれる国々が、アフリカに無節操に武器輸出をして、部族間抗争を助長し、国家として安定する道をとだえさせてしまったことに大きな原因があります。表の社会では、アフリカの時代です、などと響きの良い話をしていながら、実際には武器輸出をして国家としての安定性を奪い、その隙に乗じて資源を安く調達しようと企んでいたのが、先進国と呼ばれる国々です。最近では、中国もその意味では立派な先進国になりました。
このようなアフリカ諸国の動きの一環に、ソマリアの海賊国家化があったとも言えるでしょう。先進国は武器輸出をしてその代償に資源を買いあさったのです。この状態は、21世紀型の植民地主義とも言えます。
わが国は、このような先進国と一線を画して、武器輸出を行わないことを国是としてきました。ところが、現政権は、この国是も破り、経済界もこの禁を破ることで経済成長を果たせるのだ、と主張しています。まったく情けない話です。普通の国になるということが、このよあな歴史の評価に耐えられない国になって行くことではないはずです。
さらに言えば、このような取り組みの上に形として出来上がった「経済成長」が、本当に国民のためになるものでしょうか。瞬間的な金の動きだけに一喜一憂する情けない国家に堕ちていくだけではないですか。国会の論戦を聞いていても、この種の問題に対し、本質を突いた意見を述べる議員が全くいないのが不思議です。
本欄で再三にわたって指摘してきた、国債発行によってかさあげした経済成長は、本当に国のためになっているのか、という入口のところから、もっと謙虚に反省すべきでしょう。

サッカーワールドカップ決勝戦

2014 年 7 月 13 日

わが国が予選リーグで敗退したこともあって、熱狂的な応援風景は見なくなりましたが、関心を持っている人はなお多くいるはずです。地元のブラジルが予期しない出来事で、3位決定戦にも敗れてしまいました。決勝は、アルゼンチンとドイツです。下馬評では、ドイツ有利だとか。明朝の決勝戦をLIVEで見る時刻に目覚められるでしょうか。
決勝リーグをテレビ観戦していると、わが国の至らないところがどこか気づかされる感じです。ピッチ全体を覆う緊張感が、敗れていったわが国のチームと決勝リーグ参加チームとでは少々違うと思わされます。また、審判の判定にすがらなくて良いほど、相手のファールを凌駕する動きにも感心させられます。やはり、この一段上を目指して、次回のワールドカップにも出場してほしいものです。地区予選を勝ち抜いたところで満足するのではなく、決勝リーグで見られる高度な戦いを身に着けてほしいものです。
そのためにも、傑出した選手の出現を期待しますが、それと同様、ドイツチームのように多彩な展開力を培ってほしいものです。そうなると、当たり前のこととして、個の力の向上と、監督の描く構想を選手が正しく理解することが待たれるわけです。
選手の個性をマスコミが面白がって書くことが、チームの足を引っ張ると思わされこともありますが、そんなことは克服すべき課題の中では、小さなことです。勝ってほしいと強く思いますが、だからと言って、勝利至上主義が表に出るようなことはあってほしくないと、ファン心理の一環です。
少なくとも、4年後までに、FIFAランクを少しでも上げていることが必要です。ランクの下位にいて、なんとか番狂わせを期待するのはなしで、本当に強くなり、他国から一目置かれる位置に達してほしいものです。
睡眠不足になるのもあとわずかです。

留守番電話

2014 年 7 月 12 日

携帯電話、スマホが主流となって、固定電話へ架ける機会が少なくなってきました。それでも、企業への連絡は、固定電話に頼ることが、まだ多いのが実情です。固定電話に連絡すると、時間外の場合は、留守番電話に切り替わって、営業時間、営業日などを伝えてくれます。そのことは、当然のサービスとして、電話を架ける側にも納得できる話です。
先日、たまたまある営業所に電話を架けたところ、留守電に切り替わりました。ところが、先方のアナウンスが伝える営業時間にすでに入っていることが、手元の携帯電話の示す数値で判ってしまったのです。不思議なもので、わずか数分のことですが、このような体験をすると、この営業所のサービスの基本姿勢に大きな疑問を感じてしまったのです。しばらく前の時代でしたら、正確な時刻をお互いに知ることもなく、このような営業所の行為は誰も咎めたりすることはなかったでしょう。しかし、現在ですと、営業所の怠慢が即座にお客に判ってしまうのです。営業開始前には、メンバーが配置についているはずですから、担当者が留守電からの切り替えを行っていれば済むことなのですが、それが為されていなかったために、信用を失うことになってしまうのです。複数の営業マンがいる事務所ですと、このような段取りに不徹底なことが起きてしまったのでしょう。
そのあと、この営業所に顔を出して、朝のいきさつを伝えました。聞いた事務員の対応を見ると、どうやら、このようなことは初めてのことではなかったようでした。営業においてもっとも大切にしなければならない「信用」を培うことは、もっともっと大切にされなければいけないと思わされた体験でした。

孫子の兵法

2014 年 7 月 10 日

集団的自衛権の行使を容認すると閣議で決定されましたが、関連の法律を議会に提出するまで、議論を閉ざすことで当面の反論を無視しようとする、姑息な手段が発表されました。無理やり既成事実を作ってしまい、その瞬間には「国民的議論をこれからしっかり行っていただき」とか口にするものの、あとは、ひたすら自分の目指す「戦後レジュームからの脱却」という方向に向かうかのようです。武器輸出を日本の財界が支持するのは、はたして本当に当然なのでしょうか。軍需産業の肥大化は、いずれ、国民を参戦させようとする力になってしまうことは、戦前のわが国のことだけではなく、世界全般の歴史を見れば自明のことでしょう。それだけに、戦後の平和国家日本を担ってきた自負を持つ経済界はもっと骨のある対応をするのかと期待していましたが、結局は、目先の金権支配にだけ手を貸そうとするのですから、これまた情けない話です。
積極的平和主義と称して、なんでもありの国家に我が国を変えていこうとする動きは、これまで、平和国家日本の道を困難はあっても進めようとしてきた人たちの努力に対し、まったく許せない行動です。たしかに、平和な状態を作っていくことは決して簡単なことではありませんけれど、国連で活躍した緒方さんのように、高潔な生き方の中から、平和への努力の足跡が生まれてくるのです。これらの今までの人たちの動きを蔑ろにする行動としても、許せるものではありません。
孫子に曰く、戦わずして勝つことこそ、戦術として最も優れたものである、ということを、国民全体でもっとかみしめるべきではないでしょうか。