なでしこジャパン決勝戦へ

2015 年 7 月 2 日

カナダで行われている女子サッカーのワールドカップで、なでしこジャパンは準決勝でイングランドを破り、決勝戦へコマを進めました。LIVEの中継は、通勤時間帯と重なっていましたから、勝利の瞬間車内にどよめきが湧いたのではないかと、思いました。延長戦に入るかと思われた後半のアディショナルタイムに、相手のオウンゴールで得た決勝点でした。前に対戦したオーストラリアとの戦いでも同様でしたが、体格差は歴然としており、大人のチームに挑むなでしこジャパンという印象でした。違う見方をすれば、コマネズミのように相手の裏をかく、という戦術は効果的でもありました。90分間の戦いを、衰えることなく走り続けた選手たちの力が、相手のオウンゴールを誘ったとの見方もできるでしょう。
決勝戦は、前回大会と同じアメリカチームです。相手のパワーをいかに躱しながら、優位を得るか、基本は矢張り走力でしょう。今日の結果について、佐々木監督は「疲労が少し残っていたのか精度が落ちるプレーが若干見られたので、決勝には体調を十分整えて臨みたい」と語っていました。たしかに、映像を見ていて、不注意のようにボールを奪われてしまった場面がいくつかありました。決勝ではこのようなことがないよう、祈っています。
ファンとは勝手なものです。勝って当たり前のように思っています。でも、このような期待があるという幸せを、ぜひ選手も感じてほしいものです。さわやかなプレーで、最後まで全国のファンを魅了してください。

ナチス発言の行き着くところ

2015 年 7 月 1 日

かつて、自民党の副総裁は、「ナチスだって合法的に政権を得たのだから」というニュアンスの発言をしました。この発言の裏には、とても考えられないような独裁体制を敷いたナチスであっても、世間に出てきたときには、当時の制度を踏まえた中で、勢力を拡大していった、(のだから我々だって独裁的な振る舞いをしていこう)ということと、それまでは決められない政治が続いていた後だから、自民党一党の思いをこの際一気に進めたい、という意向があったのではないかと感じました。その後、報道の中立性を求めると言いながら、政府に批判的な意見を封じてきたのは、現政権の姿勢そのものでした。ですから、今回自民党の青年部長が、「報道機関を言いなりにさせるには、スポンサーの側から圧力をかければ良い」という発言をしても、本人は全く咎められるはずはないとの思いだったのでしょう。しかし、この発言は、あまりにも露骨で、民主主義の根幹である「発言の自由」や「報道の自由」を損なうものであることは誰にでもわかることです。ですから、自民党の幹部が、あわてて対象者を処分したりしましたが、処分を受けた側は、副総裁だって前から同じ趣旨のことを言っていたじゃないか、とばかりに、反省の色はありません。
考えてみれば、滋賀県知事選挙の時も、自民党に対抗する候補を応援している大学教授がいたら、文部科学省の圧力で抑え込めないか、と自民党幹部が発言したと報じられました。現在政権を得ているということを、このような狭い視野でとらえて、思い通りにさせたい、というのは許せないことです。大阪市の市長も似たような発言をしていました。自分が投票の結果地位に就いたのだから、全能性を与えよとばかりに、他者を貶める発言をしていました。現政権と、この市長との共通性は、独裁政治への傾斜です。
この根本的な誤りを正していかなければいけません。個々の課題の話ではなく、意見を交わす態度を見せずに、最後は議席数の優位で総てを決められるのだ、というのでは、民主国家はおしまいです。首相が十分な審議を経て、と口では言いながら、何も議論できていない国会の中継を見ていると、安全保障関連法案の問題以前に、決定的な間違いを現政権が犯しているのだと気づかされます。

中條理事長の墓参り

2015 年 6 月 27 日

本欄は、特定非営利活動法人(NPO)の環境資源開発研究所のホームページの一部です。ところが、このホームページは、改造中の表示をしたまま、捨て置かれています。そして、理事長に、中條高徳さんのお名前をそのまま出し続けています。情けない話ですが、このような非常識な形のまま、ホームページがあることに抗議する気持ちで、本欄を書き続けていることは、すでに何回か記したとおりです。
この中條理事長が亡くなって、半年となります。亡くなる前に、専務理事と称する理事に、理事会、総会の開催を何回も指示したにもかかわらず、その理事は対応をしませんでした。その前任の専務理事(と称した理事)も同様に、社会的公器であるNPOの正しい運営に努めませんでした。筆者は、理事長と一緒に、このような状態に心を痛め、NPO運営の正常化を求めましたが、結局その求めが実現できないまま、お亡くなりになってしまいました。
理事長のお墓は、長野県の千曲市のお寺に建てられました。「あんずの里」という交差点がすぐ近くにあることでわかるとおり、信州の豊かな自然に包まれた墓地です。NPOの後始末が不適切なまま放置されていることは、心を痛められていることでしょう。正しく、閉鎖させることさえしようとしない人物たちに抗議しつつ、中條理事長がお亡くなりになって故郷の墓地でお休みになっていることをお伝えいたします。

終戦70年談話

2015 年 6 月 26 日

終戦50年後に村山首相が、60年に小泉首相が発表した談話を、今回はトーンを変えたいという現首相の気持ちがあったためでしょう。有識者をわざわざ呼び込んで、周辺諸国への過去の過ちを詫びる文言を外そうとの試みが行われそうでした。ところが、その振り上げたこぶしを収めようと、今回は首相談話に関しては閣議決定はしない、あくまでも首相の個人的談話である、という方針が示され始めています。国民の皆が考えればわかることですが、終戦に当たっての談話を述べるという人が、ポツダム宣言を詳らかでない、というのでしたら、入り口のところで談話を述べる資格がないとされてしまいます。さらに言えば、当初首相が目論んでいた談話の内容は、未来志向と称して、過去において近隣諸国に掛けた迷惑に敢えて触れようとしないものだったような気がしています。知識が不完全であることだけを咎めようとは思いませんが、あれほど首相の終戦70年談話にこだわっていた人が、急変した態度そのものに、国を率いる気概を捨て去った惨めさを感じます。
本欄では、現政権が陥っている与党が圧倒的多数の議席を占有している魔力が、国を危ぶませてしまっている、と指摘し続けてきました。その危うさは少しも減少してきていません。ただし、国民全体が、この怪しげな動きへの警戒感を高めてきています。憲法違反と指摘されている安全保障関連法案を、無理やり国会で通そうとすることはいけない、とする世の中の声が大きくなってきています。もっともっと、声をあげて、国の変質を止めなければいけません。

なでしこジャパン決勝トーナメントへ

2015 年 6 月 24 日

カナダで行われている女子ワールドカップの決勝トーナメントの最後の試合になでしこジャパンは進みました。予選リーグの結果は、大勝はできませんでしたが、僅差ですべて勝利し、監督の意図である全選手の力で予選を突破する、目論見は達していました。前回大会で優勝できたために、国内の見る目は、勝てて当たり前という評価になってしまっています。そのような国内の視線にさらされているせいでしょうか、選手の動きのどこかに、勝たなければいけないというプレッシャーが出ているようにも見えます。今日行われたオランダとの試合は、体格差ではるかに劣るなでしこジャパンでしたが、連携の良さを示して二得点を挙げることができました。トーナメント状態では、一点差だけではいつ追いつかれるかと、とても気になります。その一点差の状態が長く続いたあと、絶妙の連携で二点目を入れたときは、ほっとしてこれで勝てると思ったのでした。
ところが、終了間際、相手のシュートをゴールキーパーがそらしてしまって失点してしまいました。まるで、金縛りにでもあったようなキーパーの動きでした。幸い、残り時間も少なかったことで、追いつかれることも、まして、逆転されることも考えられませんでしたから、テレビ観戦していても危機感はありませんでした。それでも、あのような不思議な動きが起こってしまうところが、スポーツのこわさなのだと感じたものです。
あと五日後にはオーストラリアとの対戦があります。今日の試合反省の上に、体格差を克服する動きに期待しています。

決められる政治の誘惑

2015 年 6 月 22 日

平成の変が、いつの間にか与党独裁に変質しようとしています。民主党の敵失によって過大な議席数を得た自民党が、決められることの誘惑に取り込まれて、閣議決定による集団的自衛権行使、秘密保護法など、次々と勝手なことを進めています。憲法違反の疑いが濃い安全保障関連法案など、昔であれば、党内の議論でもまれて、もう少しましな形で国民に提案されていたのでしょうが、姑息なことばかり考えて、本当の国家の将来など想定できていないことは、これまでの国会の論戦の中でも明らかなことです。なかでも情けないのは、首相がポツダム宣言を理解できていないことが判ってしまったことです。80年近く前、大陸進出をしたあと、振り上げたこぶしをおろせないまま、ドイツ、イタリアと組んで、世界を相手に戦争を拡大させてしまったことを、ポツダム宣言は厳しく問うています。その糾弾の矛先をそらすことばかり考え、あの時代を作ってしまったのは、私たちの同胞であったという現実から目を背けようとしています。大陸進出の泥沼から脱することができなかった過去は、今政権が非常事態だと想定している内容と、とても似ています。そのような場面に踏み込ませないことこそ政権を握るものの務めなのです。何をなさなければいけないのか、全く逆の間違いに政権は浸ってしまっているのです。
東京裁判を検証するとの作業も始めると噂されています。たしかに、戦勝国だからと一方的に断罪できるはずはないのだけれど、日本人としては、それ以前に、自国の中枢が誤った戦争に引き込まれてしまったことへの反省と、本当の「戦犯」の処分をする覚悟を持つべきです。治安維持法など、数多くの法律で国民の自由を奪い、国を挙げての戦争に邁進させた人たちの群れ全体を糾弾しなければいけないのです。

平成の変の行き着くところ

2015 年 6 月 20 日

本欄では、財政赤字を放置して、決められない国会の状態が続いたころから、現状は破局的な展開を経なければ安定に至れない「平成の変」の時代ではないかと、評論してきました。そのゴールを目指すかのように、議会の安定多数を得た政党が、立憲主義を踏みにじり、平和国家の実をかなぐり捨てて、とんでもない方向に国を導こうとしています。このプロセスは、世界の保安官と称するアメリカが非難する「独裁主義」の形になっているにもかかわらず、アメリカは、自分たちの負担を軽減してほしいからと、わが国の動きを評価しています。笑ってしまう愚かさです。自分の国の目先の都合を優先してこのような動きをすれば、保安官としての最低限の誇りさえ失ってしまうことに気づいていないのでしょうか。さらに言えば、アメリカがテロ集団の目標とされるに至った歴史上の無謀さは、もう少し先の歴史家が整然と整理してくれることでしょう。ブッシュ時代のアメリカは、東西冷戦に勝利した錯覚のままに、保安官気取りで、自国の利益優先の行為を地球規模で行ってしまいました。大統領がオバマに変わった時には、新モンロー主義的に国の方針を変えるのかと期待しましたが、結局は大きな変化は見られませんでした。この国のうしろに、コバンザメのように從いていくための安全保障法制定なのですから、国の将来を危うくこそすれ、安全に近づけることなどできはしないのです。
与党推薦の参考人さえ「違憲」であると認識するような法律案を提出していることだけでも、国民はNOを突き付けるべきなのです。いったん法律が成立してしまいますと、その災厄を取り除くにはべらぼうなエネルギを必要としてしまいます。廃案に追い込むための動きを高めなければなりません。

環境基本法が泣いている

2015 年 6 月 17 日

環境基本法は、制定されてから20年以上が経過しています。ところが、この法律が目指す社会のあり方が、さっぱり理解されていないばかりか、「環境」という名前でいかがわしい儲け話を囁くような不逞な輩も出回っています。この法律が、国民に、国家に求めているのは、20世紀型の「大量生産・大量消費・大量廃棄」の時代からの脱却です。たしかに、わが国でも高度成長時代は、何をやっても儲かったし、働く場所に不自由はしなかったし、あのような時代に戻れればよい、と考える人が沢山いたとしても、そのこと自体は問題ではありません。そうではなくて、あの時代を経過してきたことが、実に多くの場面で環境問題を起こしていると知り、その解決のあり方を求めているのが環境基本法なのです。新しい生き方を、国民にも、国家にも求めているにもかかわらず、求められている人たちは、まるで自分たちのことだなどと考えてはいないようです。
その程度だけであれば、無自覚な国民を変えていけば済む話でしょうが、無自覚な人たちは、国会の会派の中枢を占めてしまっています。ですから、これからのわが国のあり方を論じるときに、いつでも平然と経済成長を持ち出して、これを増大させなければならないとする方向へ展開しようとします。もう一度、環境基本法を精読してくださいと、このような論者には伝えなければなりません。あなた方が描いているその将来構想は、もう簡単には実現出来はしないのですよ、と諭さなければいけないのです。
環境基本法が泣かされているということは、私たちの本当の将来を思い描いてくれる政治家が、ひとりもいないことなのです。哀しいし、嘆かわしいし、胸をかきむしられる思いです。そのうえ、環境と名が付けば、そこに儲け話があるはずだと、詐欺的行為を働くものばかりが増殖してしまっています。安全保障の大前提となる、地球環境との付き合い方を、国民を挙げて学習しなおさなければいけないのです。

Fw: プロ野球セ・パ交流戦終了

2015 年 6 月 16 日

今日行われるタイガースとファイターズの試合を最後に、今年の交流戦は終了します。昨年より、対戦数を四分の三に減らし、実施球場を二つずつではなく、今年に関しては、一方だけ、というファンにとっては変則的な扱いとりました。そのことが影響したわけではないのでしょうが、成績はパシフィック・リーグの球団が上位を占め、セントラル・リーグは下位に甘んじています。中でも、交流戦に入るまではトップに立つなど活躍していたDeNAは、厳しい結果となってしまいました。この連敗の初めにあった試合では、無理矢理試合成立を図ったために、投手の暴投で決勝点を献じるという、不本意な結果でもありました。昨年までのやり方は、日程が開いてしまい間延びする、という指摘も確かだと思います。だからと言って、今年のように、無理矢理成立させる試合を行っては、ファンは離れていくことでしょう。アメリカで行われている交流戦の実態を参考にして、選手に無理がかからず、ファンの関心も高まるようなスケジュールを考えるべきではないのでしょうか。
そのような問題点を感じながら見た交流戦です。全般に、パシフィック・リーグのチームの方が、打線に迫力があるように感じました。セントラル・リーグの投手のやりくりは、パシフィック・リーグ相手では通用しなかったと思ったのです。この交流戦があったことが、今週後半から始まるレギュラーシーズンにどのような後遺症を生むでしょうか。非常に触れにくいのですが、今年の結果は、ファンの野球離れを加速させてしまうのではないかと感じています。少なくとも、プロ野球のオーナーたちは、そう見ているファンがいることを知ってほしいものです。

ヤングワーキングプアー固定法

2015 年 6 月 15 日

派遣労働者に関する法律が改正されます。結婚できなくなる若い人の階層を固定しようというたくらみに見えてなりません。少子化対策を政策の一つと掲げていながら、若い人が結婚に踏み切れなくさせるような法律を制定する議員たちの頭の中が疑われます。派遣労働者を増やし、働いても十分な収入を得られない状態を作り出すことは、この国の将来にとって、決して望ましいことではありません。本欄では、元首相の麻生太郎氏の言葉として再三にわたって触れてきました。麻生氏の地元の企業が、派遣社員を正社員化したら、一気に子供を産む人が増えた、というエピソードです。筆者の周辺にも、不安定な派遣労働をしていて、結婚できないと語る若者がいます。
働く人たちを、コストとしてしか見ていない役員が経営する企業が大きな顔をしているようでは、お先真っ暗としか言いようがありません。働くことを素直に喜びと感じられる国になることは、とても普通なことですが大切なことでもあるはずです。どこかを間違えて、楽して得取る生き方を奨励するような学習塾の宣伝を見せられると、国の将来はもっと案じられます。経営者の心構えから刷新して、国全体が将来に向かっていく力強さを求めます。
国際競争にさらされているからこそ、社会全体で将来に向かう気概を醸成する必要があるのです。一時的なコストダウンで企業が生き残ろうとする姑息な手段でしかないと、今回の派遣労働者に関する法律の改正を感じています。