ダムがすべて無駄なわけではなくて

もう5月も終わり。例年より稲の伸びが少し足りないのではないかと心配しています。考えてみれば、5月の連休が田植えシーズンとなるほど、田圃に水が早く十分に供給されているのが当たり前とされる日本の現状なのです。このことは、農業用水を供給しているダムの有効性を示していると言っても良いのです。ところが、そのような実績のあるダムでありながら、どう考えても無駄になってしまうような計画が立てられてきたのも事実です。社会に有用なダムだ、だからといってダムを作り続けることがすべて有用ではないのです。そんなことは当たり前で、とほとんどの人は気づきますが、一旦ダムで予算を取ることを覚えてしまった人たちが、もう要らないのかもしれない、などとは決して思わずに、「ダムを作り続けることが有用だ」と思い込んでしまうのです。これはまさしく無駄であり、仕分け作業にかけるまでもなく、不要なのです。ところが、ダムを作ること自体を目的化してしまった予算獲得の動きは、とどまることを知らずに膨張してきたのでした。そのことと、お役所の縦割り主義、組織維持最優先主義、とが絡み合って、仕分け作業が必要な事態を招いていたのです。今の国交省が、八場ダムの建設中止を指示したことを、私は支持します。なぜなら、その政策決定は、ここに述べたダムを作り続けることを自己目的化してしまった勢力が決めたことだと思うからです。
似たようなこととして、食糧増産に後押しされて、「干拓事業の継続」として八郎潟以降無駄な努力がなされていました。これらの無駄を後押しするかのように、空港や高速道路の必要性を裏付ける「需要予測」をいい加減に行ってきた、わが国のシンクタンクも非難を浴びても仕方ないはずです。こういう構造が、国債依存症を作り上げ、今の閉塞感をもたらしてしまっているのですから、仕分け作業は、これらの構造そのものをを厳しく批判しつつ、だから、これから何が必要なのかを検討しなければなりません。そのときには、消費税云々という低次元の話ではなく、国民負担率と国の将来設計という、大所からの検討に耐えられる議論を国民全体で進める必要があるのです。
八場ダム中止は、今までの傷跡を再びさらしてしまう恐れがあり、そのことで傷つく人がいることは理解できますが、長い将来のことを思えば、ここで中止を決断したことは歴史の評価を得られると確信しています。大切なことは、傷つく人たちを社会全体で癒していくことです。

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